第9話 魔族との出会い 1
私たちへの殺気をそのままに、少女は銀色にきらめく髪を揺らして手を大きく横に振るった。すると少女の姿を隠して余りある太さを持った隣の大樹が、容易く真っ二つにされて横倒しになる。
「たったの
アイサが息を呑むのが分かる。しかしさすがは魔獣との戦闘経験があり冒険者を志望するだけあって、圧倒的な力を見せつけられてなお及び腰になることなく、正中線に沿って真っ直ぐ前に剣を構える。しかし――
(マズいかも……)
今回に限ってそれは正解じゃなかったかもしれない、そう思って私は銀髪の少女へと視線をやった。今にも飛び掛かってきそうなばかりに屈められた身体が、アイサをもっとも警戒するような形でこちらを向いている。僅かに上げられた顔は、犬歯を露わにして威嚇する獣のようだった。だけど、そもそも彼女が殺気を放ち始め、雰囲気を一変させたのはアイサが構える剣を見てからだ。
「ア、アイサ――」
なるべく銀髪の少女を刺激しないよう、剣を下げてと小さく声をかけようとした直前、パキリという音が横から聞こえる。それは殺気に圧されて僅かに後ずさったリオルさんの足裏から聞こえたもので、踏んでしまった小枝が折れる音だ。普段なら気にも留めないくらいの音量。
――しかし、この緊張の糸を切るには充分過ぎるきっかけとなってしまう。
目の前の少女は反射的に、屈んだ状態で縮められたしなやかな身体のバネを一息に伸ばして、音のした方向――リオルさんへと疾風のように飛び掛かった。
「させないっ!!」
人間を越えた超速の突撃に、しかしアイサは反応する。2人の間に割って入り、剣を盾にして防御へと移った。だが――
「邪魔っ!!」
「かっ、はぁっ!」
無造作に振るわれる腕は、それだけで大樹をも両断する程の鋭さと
――そしてその暴力の嵐は呆気に取られるリオルさんに届く位置へと到達する。
もはや2人の間に
(え……?)
その瞬間が、私にはやけにスローモーションに映っていた。
(いや、これは……。時間が、止まっているの……?)
そんな訳はない。少しずつ、今も本当に少しずつ、少女の殺意を持ったその手刀が上下から、リオルさん目掛けて近づいているところじゃないか。しかしそれでも刹那の時間としては本来あり得ないほどの体感。
(そういえば死に直面した人間は間延びした時間を体験するというドキュメンタリーを見たことがあったっけ……)
何でも生き残る最善の術を探すため、脳が通常よりも何倍も高速に動いて考えるようになるから、通常時に比べて時の流れが遅くなる錯覚を視るとかなんとか言っていた気がする。それを見て「そういうこともあるんだろう」と納得していたことがあった。人の可能性は無限だから、危険な目に遭った時に初めて発揮される力もあるんだろうと。だがしかし。
「残念だけど、今回のコレはそういったものじゃないんだ」と、私にそう語り掛ける声がどこからか脳内に響く。それから、「これがキミに与えられた力なんだよ」と言葉は続いた。その声は、今はなぜかとても懐かしく感じる少年のもので。
――そして私の直感が、確信を伴って身体を突き動かした。
その魔族の少女の暴力の手がリオルさんへと届く瞬間、その僅かばかりの時の
「――ッ!?」
「まだ――ツ」
私は左右に広げられた自身の腕を手前に戻し、その手のひらを脇の位置まで引き寄せる。そして声にならない驚きの表情を見せる目の前の美少女の、上段と下段に向けて
「がぁ――っ!?」
人が逆立ちしても追いつけない運動神経を見せつけたその少女が、いくら虚を突かれたにせよ、まったく反応すらできていない。受け身を取りそこなった少女の身体は力のベクトルを水平に保ったまま後方へと大きく飛んで細い木々をなぎ倒し、そして遠くの地面へと落ちた音がした。
「――アイサッ!!」
私はバッと横を向いてアイサの飛ばされた方向を確認する。木に叩きつけられたのか、地面にグッタリと倒れている姿が目に入った。私は驚きに動きを止めたリオルさんを振り返る。
「リオルさんっ!! 今のうちに、アイサを連れて逃げてっ!!」
「ソ――ソフィアちゃん、いったい今のはっ!?」
「話は後っ! きっとあの子はまたすぐに立ち上がるっ!!」
何が何だかと唖然とした表情のリオルさんに、心苦しいが声を大に自分の言わなければならないことだけを口にする。しかしリオルさんもそう簡単に引いてはくれない。
「なら、アイサちゃんを連れて一緒に逃げよう! アイサちゃんがあの女の子は魔族と言っておったな。それは10年前までの大戦で魔王軍の味方として大きな力を振るった一族! まともに
私を真っ直ぐ見るその目からは心の底から私を心配し、守り抜こうという意思を感じる事ができて、こんな状況にあって私の胸の内に温かな感情が湧き上がる。
(でも、ごめんなさい――)
私は静かに首を横に振った。
「ダメだよ。3人じゃきっとすぐに追い付かれちゃう。リオルさんも見たでしょ? あの子の素早さを……」
「う、うむ。じゃが、それならワシが囮に――」
「私なら大丈夫」
なおも食い下がるリオルさんだったが、私は譲るつもりなどこれっぽちも無い。おもむろに『左足前方の構え』を取った私に「何を――」と尋ねるリオルさんに対して、行動で答えを返す。
「せいッ!!」
ヒュンッと風を切る音が遅れて聞こえた時には、すでに私の右足は高く天に向かって伸びあがっていた。これは、『上段回し蹴り』。空手の基本動作の1つ。しかし、これがただの基本動作で終わらない理由があった。
――速さが極限まで引き上げられた足先は優に音速を越えていたのだ。
その証拠に、宙より遅れて地面に突き刺さる太い枝が1本。
「こ、これは……!?」
「事情を細かに話している余裕はないんだけど――つまり、今の私はあの女の子に張り合えるだけの力を持ってると思うの」
太い枝の断面がまるで切れ味の鋭い刃物で切断されているようになっている痕を見て、リオルさんが息を呑み瞬きを繰り返す。
「う、うむ……。ワシにはもう、何がなんだか――」
「とにかく、私なら大丈夫! 今見せた通り、身体からすごい力が溢れてくるのが分かるの。今の私ならきっと止められる!」
ザッという木の葉を踏みしめるような音が茂みの奥の遠くに聞こえる。恐らくあの少女が立ち上がり、こちらへと向かっているのだろう。私が茂みの奥へと向けた視線の意味を理解して時間がない事を悟ったリオルさんは渋々ながら首を縦に振った。
「――わかった。だが決して、決して無理はせんでおくれ! 」
「うん!!」
私は力強く頷き返した。
(失う痛みは知ってる。だからこそ失いたくないし、失わせたくもない!)
元々、殉教者の気持ちで2人を避難させるわけではない。私は私も含めた3人揃って、無事にここを乗り切るために頑張るのだ。
(それに――多分あの女の子は勘違いをしてる)
ちょうど思考を銀髪の少女へと回したその時、その本人が茂みを割って私に襲い掛かってくる。
「ぅあああッ!!」
猛りの声と共に上下左右に振り回される腕、それは普通の人が1つでも喰らおうものならたちまちに致命傷となりうる攻撃の数々だったが、私は1つ1つを丁寧に捌いていく。
「はぁ――ッ!!」
左右からの攻撃に『内受け』『外受け』、上からの振り下ろし攻撃に『上段受け』、当たらない攻撃に業を煮やした少女の突進攻撃はサイドステップで綺麗に
「なんで――攻撃をしてこないっ!?」
少女が言った通り、私は最初に距離を取るために空手の基本型の1つ――『回し受けからの上下段掌底突き』を放ってからは防御に徹して攻撃に移っていない。
「他の2人がいない……仲間を呼ぶ気……?」
「ううん、違うよ」
なるべく静かに、肩で息をする少女を落ち着かせるような声で語りかける。
「あなたと戦うつもりがないの。私たちに敵意はない」
「嘘だッ!! あいつは剣を抜いていた!」
「それは警戒していただけで――」
「――2度はだまされないっ!!」
――2度?
その言葉に組み合いの際にチラッと見えた、少女がもともと負っている傷へと目をやった。ゴシック調の服のあちこちに細かい破れがあり、血も滲んでいるのが分かる。今思えば、少女は出会ったその時から苦しそうに身体を木にあずけて――
「――話は終わりっ……!!」
説得を微塵も受け付けないような硬い言葉を最後に、少女は私からさらに距離を取ってその場にしゃがみ込む。
(いったい何をするつもり……?)
「っ――!!」
――魔族。その言葉が改めて頭に浮かぶ。
顔を上げた少女の眼からはアクアマリンの色が無くなり紅に染まって、怪しげな光を放っていた。そして身体中を叩くように弾ける空気を肌に感じる。
(これがアイサの言っていた、魔力……?)
それが少女を中心にして増幅されていくのが分かる。いつの間にかポワッと怪しく光る黒色の球がその口元にできていた。次第に大きく成長していくそれを見て、ハッと気が付く。
(じゃああの女の子の元にできている球はもしかして……! 魔力の塊!?)
溢れ返って肌を叩いていた魔力は波が引くように空気中から薄れていき、代わりとばかりに目の前の少女の黒い光球へと凝縮されるように集まっているようだった。それは、そこに存在するだけで空気を震わせる代物。
(まずいッ……!! そんな力一気に解き放たれたら――!!)
私の直感がアラートを上げる。
――この身体が今いくら強化されていようとも、あの一撃をまともに受けたらどうなるのかわからない。
ステップを踏んで躱せるのか、それとも大きく旋回すれば避けられるのか、あるいは距離を取れば届かないのだろうか、接近戦と違い飛んでくる攻撃に対しては私の中で未知の部分が多く、何が適切な行動かの判断がつかない。その間にも光球の力は増幅し、その周りの空間を歪めるほどになっている。
(――わからないっ! どうすれば……!)
行動を決め切れずに動けないでいたその時だった。
――プツン、と糸が切れた人形のように、突然少女は大地に膝をつく。
顔は空を仰いで、その長い銀髪が地面へと着く。口元の光球はそれまで溜めていた力が嘘のように霧散して、黒い
「――え?」
目の前で起こったことに数瞬理解が追い付かず、私は呆けてしまった。しかし、綺麗にうつ伏せとなって倒れてピクリとも動かない少女の姿にハッと我を取り戻し、駆け寄った。
「だ、大丈夫……?」
まるで反応がない。私は恐る恐るその身体に触れて、やはり反応がないその少女を仰向けに起こした。そして改めてその姿を間近で見て、美しさに息を吞んだ。それはまるで高価な西洋人形のように精緻で、そして険の取れたその顔はやはりまだ充分に幼さを残すものだった。
(――このままにはしておけないよね)
私よりひと
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