第2章 友達はスパイスのように

第7話 カレーの味って何種類?

 ランチタイムが終わって綺麗に片付いたホールにお客の姿は無く、食堂には私1人だった。厨房の加熱魔具の前でグツグツと鍋を煮込みながら入れるスパイスを調整していると来店のベルが鳴る。今は営業時間外のはずだったけど、時間を間違えて入ってしまったのかもしれない。


「すみません、今日はもうランチ終わっちゃったんで――」


「よっ!」


「あれっ、アイサ!」


 厨房からカウンターの方に出た私を入り口のドア前で迎えたのは、私より少し高い程度の身長にしては長めの剣を腰に下げた、赤いショートヘアの女剣士。この世界に来てしばらくしてできた友達で、この町で冒険者見習いとして働くアイサだった。


「どうしたの? 何か私に用事?」


「んにゃ、仕事の切りがつかなかったからお昼ご飯食べ損ねちゃってさ。もうお腹ペコペコなのよ。だからさ、何か食べるものなぁい?」


「もー……しょうがないなぁ。簡単なものでよければ作ってあげるよ」


「やったー! さすが私の親友! 愛してる!」


 わびしそうな表情でお腹をさすっていた手を万歳して挙げる。調子の良い性格ではあるけど、コロコロと変わる表情は見ていて飽きない。


「はいはい。じゃあちょっと用意してくるから、適当に座って待ってて」


「私キーマカレーがいいなぁー!」


「売り切れだよー。残念でしたー」


「ちぇ……。相変わらず景気がいいねぇ……」


 キーマカレーを新メニューとして提供し始めてからもう半月が経つ。売り上げは毎日のように更新され、作っただけ売れるという盛況っぷりだ。夜にまたいで売れ残りが出ることはまだなかった。


「うん?」


 再び厨房へと向かう私の背中で何かに気付いたかのようにアイサは鼻をヒクつかせる。


「なんか、いつもと違う匂いがする……」


 スンスンと年頃の女の子らしからぬ仕草で、その匂いから情報を得ようと続けて鼻を鳴らすアイサ。ちなみにアイサは私と同い年だ。


「すごく複雑で、香りが鼻から口に駆け抜けていくような刺激的な匂い――ソフィア、もしかして新メニューでも作ってるの!?」


 そしてまさに的のど真ん中を突いたその嗅覚にギクリとする。


「よ、よく分かったね……」


「そりゃあね! 見習いとは言えどこれでも冒険者を名乗ってますから、環境の変化には敏感だよ!」


 えへんと胸を張るアイサは自慢気だけど、それは果たして本当に冒険者に必要な技術なのだろうかと心の中で思う。ただ食い意地が張っているだけなんじゃ……?

 

 鼻高々として機嫌もよさそうだから『冒険者というよりむしろ犬っぽかったよ』という感想も胸にしまっておく。


「それでそれで? どんな新メニューなのさ?」


「まだ新メニューになるかどうかは分からないけど、スパイスの調合を変えたカレーだよ。最近は食堂を開けてない時間に厨房を貸してもらって新しいカレーの研究をしてるの」


「へぇ~! ソフィアは勉強熱心だねぇ! よしっ、私もその研究に付き合ってあげよう!! その一環として、試食担当を請負わせてもらうよ!」


 目をキラキラとさせて宣言するアイサを見てため息が漏れる。まあ、こうなると思ったから当てられた時にギクリとしたわけだ。


「ダーメッ! まだまだ試作だからそんなに美味しくできてないの。自分が納得できるのが完成したら食べさせてあげるから、それまで大人しく待ってなさい」


「えぇ~。ちぇーつまんないのー」


「……ご飯食べたくないの?」


「ご、ごめんごめん! 食べたいでーすっ!!」


 私は厨房に戻ると、昼の余りものの食材を使ってササッと調理し盛りつける。


 (そうだ。アイサが食べるなら、私も一緒にコレを試しちゃおう)


 小さな器を取り出して自分の分も取った後、1つのトレイにまとめてアイサが座って待つ席へと運んだ。

 

「よっ! 待ってました!」


「はい。お待ちどうさま」


 アイサには1皿に盛りつけられているバターライスを、自分の前には3つの小さな器を並べる。


「――それってもしかして、例の試作ってやつ?」


「うん。私もアイサと一緒に食べちゃおうと思って」


「え~! 私にも1口おくれよ~!」


「もー、ダメだって言ってるでしょ。冷めないうちに自分の分をさっさと食べちゃいなさいよ」


「う~いただきます……。でもバターライスもこれまた美味いんだなぁっ!」


 アイサは渋々といった表情の割に、食べ始めるとカレーのことなど忘れたかのように皿を手に持って夢中でがっつく。結局お腹に溜まればいいのね、とちょっと呆れた。向かいの席に座って、器を手に取る。そして順番に1つずつ試していった。

 

 1つ目――舌がヒリヒリする。ペッパーと名のつくものを端から入れていったそれはもはやカレーの味ではない。というより辛さで味覚が麻痺してしまうといったところか。私の目指す辛さではなかったので、ボツ。

 

 2つ目――爽やかさを求めてレモングラスやミントなどのフレッシュハーブを入れてみたものだ。しかし、すり潰してスープにしてしまったのが良くなかったのだろうか? 青苦さが舌に残る。そしてこれもまた求めていた味とは程遠いので、ボツ。

 

「どうしたのさ、そんな納得のいかなそうな顔して」


 よほど難しそうな顔をしていたのだろうか、アイサがしげしげと私の顔を眺めてそう尋ねる。 


「うん、実際に納得がいかないというか、どうしても昔お店で食べた味にならないんだよね……。使うスパイスのベースは記憶にあるんだけど、それじゃ何かが足りなくって色々入れてみてるところなの……」


「カレーって決まったスパイスを混ぜるだけじゃできないんだ?」


「まあ、基本のスパイスっていうのはあるんだけど、それだけじゃ個性が出ないからね」


「へぇ……」


 感心したように息を漏らしたアイサは、「それじゃあ」と少し興味を持ったような目で聞いてくる。


「カレーって何種類くらい味があるのさ? 20? 30?」


 20? 30? 冗談かと思ってしまった私はちょっと笑ってしまう。


「いやいや、そんな少ないわけないでしょ」


「え~? じゃあ……100?」

 

 言ってみたけどそんなに多いわけないよね、という目をして私を見つめるアイサに、これは本当に分かっていないんだと気付いてしまう。でも確かに、私自身もお父さんから初めて聞いた時は驚いた記憶がおぼろげにある。


 それにいくらこの町に日常的にスパイスをよく使う家庭が多かったにしても、カレーという文化が無かった以上は多くのスパイスを組み合わせて料理をするという常識はなかったのだから、想像が及ばないのも仕方ないことなのかもしれない。


「な、なんだよぉ~。まさか、100より多いわけ……?」


 考え込んで答えを返さない私に、焦れたアイサが恐る恐ると再び尋ねる。


「――正解は3万2000種類」


「へ?」


「だから、3万。単純計算で3万通りを越すんだよね、カレーの味の種類って」


「は、はぁぁぁあ!? 3万!?」


 余りの多さに驚き、立ち上がって大きな声を出すアイサを「どうどう」と落ち着かせて席に戻す。


「カレーの基本となるクミン、コリアンダー、カルダモン、オールスパイス、チリペッパーを除いて、カレーによく使われるその他の15種類のスパイスの組み合わせを数えるとそれくらいになるんだって」


「えぇ……」


「ちなみにもっと多くの種類のスパイスを使う人もいるよ。他にもフレッシュハーブや香味野菜とか、ヨーグルトやココナッツミルクを入れて作る場合もあるから、それも含めるともっとパターンが増えることになるね」


「す、すっごいなぁ……それじゃあ何回試しても試したりないわけだね……」


「そういうこと。だから前の世界の特別に熱心な人なんかは、毎日カレーを作っては食べて新しい組み合わせを考えてるらしいよ」


「はぁ~……そりゃ頭が下がるね」


 アイサはそう言うと驚き疲れたとでもいうように椅子に深くもたれ掛かって天井を見上げた。


「しかし、3万か……。そんなの全部食べれないなぁ、100ならともかくさ」


「いや、むしろ100種類だったら全部食べる気だったの……? 」


 そんな会話をしつつ私が3つ目の試作の入った器を手に取ると、アイサは目を見開いて前のめりにその中身を覗き込んだ。


「ちょっとちょっと! これ真っ黒じゃん! 焦げてるんじゃないの!?」


「ち、違うよ! これはこういうカレーなの。昔、パ――お父さんたちに連れて行ってもらったことのあるカレー屋さんがあってね、そこで食べた味を思い出しながら作ってみたんだけど……」


「そういえばさっき食べてた2つも暗い色だったね。ソフィアはそこの味を再現しようとしてるってわけか」


「まぁ、そんなところかな」


 私はそう言うとそれほど期待もせずに3つ目の器のカレーを口に運ぶ。


 ――その瞬間だった。


「なっ――!!」


 活力が漲るなんて、そんなものじゃなかった。キーが回されて身体の中のエンジンが雄々しく唸り動き始めたような、そんな力強い感覚が全身に宿った。今ならもしかしてなんだってできてしまうのではないか、そんな全能感の端っこに手を掛けている気分。

 

 ――だがしかし、今はどうだっていいのだ。


 私は器をまじまじと見つめる。


「――こ、これだ……!! この味だよ……!!」


 私は追い求めた懐かしの味の一端をとうとう掴んだことに、心を奮わせていた。自然、息が荒くなる。


「えっ? なに、どうしたの?」


「深いコクにハッカのように鼻を抜ける独特の香り、そして中華料理顔負けで幼かった私を泣かしたこの容赦のない辛さっ!!」


「ちょ――近っ――!」


「そうっ!! あの時食べた味にそっくり!! まだ改良の余地はあるけど、それでもベースのスパイス・調味料は完全に押さえられたよ!!」


 声が大きかったのか、アイサが少し身体を引くようにして困ったような顔する。いつの間にか間近に迫ったアイサのおでこに掛かる前髪がゆらゆらとせわしなく動く。


 ――ん? ああ、私の鼻息のせいか。


 どうやら気付かないうちにアイサに詰め寄るようにして熱弁してしまったらしい。

 

「そ、そりゃあよかったね、うん。よかったよかった。だからちょっと落ち着こう?」


 私の後ろの椅子を指差す椅子は、私が立ち上がる時に巻き起こったで別のテーブルの下に転がってしまっていた。確かに、今の私はちょっとテンションが高くなっているのかもしれない。でも――


「――ダメだよ、落ち着いてる暇なんてない! 万が一でも忘れることのないようにメモしとかなきゃっ! ――あっ、空いた皿片づけるよ? いーい?」


「あ、はい……」

 

 テキパキと皿をトレイに乗せて厨房へと小走りする。後ろの方で「ソフィアでも暴走することがあるんだなぁ」なんて呟きがあったが、この時の私の耳には全く届きはしなかったのだった。

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