第6話 カレー始めました!

 開店1時間前、チョークで色鮮やかに「新商品! 豚挽き肉のキーマカレー! 限定20食!」と書かれた、表面が黒板になっている小さめの立て看板をお店の前に出す。20食分しか用意をしなかった為に、それほど時間は掛けずにカレーの仕込みは終わっていた。


「ふわぁ……」

 

 リオルさん達にはそれほど気を張る必要はないと言われているものの、お店で自分の作った料理を提供するなんて初めての経験だから緊張してしまい、昨日は中々寝付けなかった。でもできることは全てやったし、後はお客さんたちの舌に委ねるしかない。今日の仕込みが終わった後、ちゃんと味見もしたので問題はないはず。それに、1度食べてもらえればきっと受け入れてもらえると思っていた。


「さて、ホールの準備をしてこなきゃ」


 再び食堂に戻り、食器やお水などのランチ営業の準備に勤しんだ。




 そしてランチタイムが始まって30分が経とうとしていた。キーマカレーの売れ行きはというと――


「ビーフシチューとサラダですね、ご注文ありがとうございます。しばらくお待ちください!」


 (こ、これで7連続注文なしかぁ……)

 

 内心がっくりと気を落とすものの、しかしそれを表に見せまいといつも通りハキハキとした応対を心掛ける。現在すでに7組の来店があったが、キーマカレーはまだ1度も注文もされていない。

 

 一応、注文を取りに行く際に、


「本日から新商品のキーマカレーを始めたんですよー! いかがですかー?」と勧めてはみるものの、中々頼んでもらえていなかった。


 スパイスが生活に馴染んでいるから、カレーも受け入れやすいんじゃないかなと考えていたが、少し考えが甘かったのかもしれない。


(――もし、このまま売れなかったらどうしよう)


 まず責められるようなことはないと知っているけど、多くの売れ残しを作ってしまったら処理にも困ってしまうし、リオルさん達も私に気を遣ってしまうに違いない。そんな不安を胸に渦巻かせていると、新たに来店を知らせるドアのベルがチリンチリンと鳴った。


「あ、ダレスさん! いらっしゃいませ!」

 

 ドアから顔を見せたのはこの食堂の常連で、近くの町役場で働くダレスさんだった。


「こんにちは、ソフィアちゃん。今日から新商品を始めたのかい? 新しいメニューなんていつぶりだろうな」


「はい! キーマカレーっていって、スパイシーな味付けの料理なんです」


「へぇ、聞いたことがない料理名だね」


「あはは……前に私が住んでいた場所では一般的だったんですけどね。ここではみんなに知らないって言われちゃいます。昨日私がお昼ご飯に作ってリオルさん達に食べてもらったら気に入ってもらっちゃって、今日のランチで出してみようってことになったんです」


 その言葉にダレスさんは感心したような表情を浮かべた。


「へぇ! それじゃあ今日のもソフィアちゃんが作ったのかい?」


「はい! 腕によりをかけて作りました!」


「そうかい。まだ若いのに料理ができるなんですごいね。よし、今日はそのキーマカレーとやらをもらおうかな」


「ほんとですか!? ありがとうございます!」


 初めて注文が取れて、ついつい大きな声を出してしまった。口を手で押さえて周りを見ると、何事かとばかりに注目が集まっている。私はお騒がせしましたと周囲に頭を下げてから、改めてダレスさんに向き直った。


「すぐにご用意させていただきますので、少々お待ちください!」


 注文を厨房に届けに行くと、ホールに居たロウネさんが近づいてきて「やったわねぇ!」と、厨房の中からはリオルさんが「良かったのぅ」と声を掛けてくれた。


「ありがとう、すごくホッとしたよ」


 肩に乗っていた重たいものが少し下ろせた気分だった。これが料理を作って売る人の責任というものかと、しみじみと思う。

 

 5分後、キーマカレーがお皿によそわれてカウンターに置かれた。私は少し緊張しながら、トレイに載せた料理をダレスさんの元へと運ぶ。


「お待たせいたしました。豚挽き肉のキーマカレーでございます」


「おお、これがキーマカレーというやつなんだね」


「はい、熱いのでお気をつけて食べてください」


 料理を置いた後はいつもならすぐにテーブルから離れるのだが、キーマカレーを食べた反応が気になってついついその場に残ってしまう。ダレスさんも私の気持ちを察してくれてか何も言わないでいてくれる。


 ――そうして1口分、キーマカレーがスプーンにすくわれて、口へと運ばれた。


 どんな評価をもらえるか、ゴクリと自分が唾を呑み込む音が聞こえる。私の中の1秒が1分にも感じられる張りつめた時間の後、ダレスさんが口を開いた。


「これは……」


「これは……?」


「うまい……!」


 ポツリとこぼれた一言に、胸の中の不安がパッと弾け飛ぶようだった。


「本当ですか⁉」


「ああ、本当に美味いぞ! 今までにない風味だな。スパイスなんて薬か隠し味かというところでしか使う印象がなかったが、こんなにも美味しくなるとは思わなかったよ」


「やったぁ! ありがとうございます!」


(――よかった、ちゃんとリオルさんやロウネさん以外の人たちにも美味しいと言ってもらえるカレーを作れていたんだ……!!)


「いやいや。本当のことを言ってるだけだよ。なんだか食べるごとに元気や力が湧いてくるような、不思議な感覚になるね。これはすごく売れるんじゃないかな?」


「あ……そう言ってもらえて嬉しいです。でも……」


「ん? どうかしたのかい?」


「実はまだ、ダレスさんにしか注文いただけてないんです。他のお客様には中々受け入れてもらえないみたいで……」

 

 ダレスさんもお客様ではあるのに、私はついつい胸の内の不安を愚痴のように零してしまう。


「そうだなぁ……。俺もソフィアちゃんが勧めてくれなきゃ、今日は別のものを頼んでたかもしれないしなぁ……」


「うーん、そうですか……」


「食べたら食べたでこんなに美味いものはないって思えるのにね」


 それ以上食事の時間を邪魔するのも悪かったので、私はその言葉に「ありがとうございます」と返すとテーブルから離れた。それと同時にまたお客が来店する。


「いらっしゃいませ!」


 2人組のお客を席に案内すると、どうやらすでに頼む料理を決めて来ていたらしくメニューを見る素振りが無い。


「やっぱゴートン食堂っていったら海鮮ピラフだよなぁ。他では売ってないし、安定の美味さだし」


「分かる分かる。考えてみれば俺、結構ここには通ってるけど他の料理あんまり頼んだことがねーな」


 やはり小さな町だけあって度々来店する常連さんのようだった。またもやキーマカレーを注文してもらえそうになくて、ため息が出そうになってしまう。それにしても、この食堂に頻繁に来ていても食べた事の無い料理があるなんてことがとても残念だ。

 

 リオルさんの料理はどれも美味しいのに、もったいない。それに、欲を言えば私のカレーだって食べて欲しい。


「俺はいつもちょっとだけ他の料理も頼もうか迷うんだけどな、やっぱり海鮮ピラフを食べれば間違いなく美味いんだって舌が覚えちゃってるからしょうがないよな」


 その言葉にうんうんと頷く向かいの男性。しかし、私はその言葉に引っかかりを覚えていた。


(――迷う? でもいつも海鮮ピラフなの?)


「そうだなぁ。せっかく来たんなら美味いもの食いたいしな」


 私はその言葉に改めて首を傾げる。リオルさんの料理はどれも逸品なのだ。海鮮ピラフも美味しいけど、ビーフシチューやコンソメスープ、カツレツだって全部美味しい。この2人組のお客さん達は海鮮ピラフ以外の料理が美味しくないって勘違いをしているのだろうか?


 ――いや、多分違う。そうじゃない。


(もしかして――きっと食べたことが無いから、だからこそだけなんじゃ……?)


 その時、ぺかーっと私の頭の上に豆電球が灯るのが分かった。


「じゃあ今日も決まりか。すみません、海鮮ピラフを2つ――」


「――ちょっとお待ちください」


 まさに注文を受けるすんでのところで、私はホールスタッフにあろうことか手のひらを目の前に突き出してその2人組のお客さんの注文を止めていた。


「「は、はい……?」」

 

 私の突然の言動に、目の前の2人組は困惑した様子だ。しかし、ピンときてしまったのだ。この2人組の会話からヒントを得て、キーマカレーの売れ行きを良くするための作戦を思いついてしまった。


「お客様――新商品のはいかがでしょうか?」


「「へ……?」」


 確かに新しいものに挑戦するというのは多かれ少なかれ勇気が要るもの。せっかく食堂に来てお金を払って食べるなら、自分が絶対に食べて美味しいと確信を持てるものを注文したいという気持ちはよく分かる。


 ――だから、注文を取る前に実際にキーマカレーを食べてもらえばいいのだ。


 そうすれば新商品がどんな味をしているのか分かるし、もしかしたら「美味しかったしキーマカレーにしようかな」と思ってくれる人もいるかもしれない。 


「それじゃあ今お持ちしますので少々お待ちください!」


「「え? あ、ちょっ……!」」

 

 我ながらのナイスアイディアに、2人組の返事も聞き忘れて私は厨房へと小走りした。

 

「リオルさん!」


「おお、どうしたんじゃ? そんなに慌てて」


「あのね、お客さんにキーマカレーの試食を出したいの。どんな味かわかった方がきっと注文しやすいと思って」 


「ふむ、確かにどんな料理か分かった方が安心するしのぉ。いいんじゃないかな、やってみなさい」


「ありがとう!」


 リオルさんの許可ももらったので、私は手早く小さな器に小さじ3口ほどのキーマカレーを盛りつけてテーブルに持って行く。


「すみません、お待たせして」


「えっと、注文してないけど、いいのかな?」


「はい。こちら当店からの試食のサービスです。ご注文はその後に改めてお伺いさせてください」


 2人組は顔を見合わせると、恐る恐る器を手に持った。


「「い、いただきます……」」

 

 そして、その目がキラキラと輝くのは一瞬だった。


「「う、うめぇっ!!」」


 2人組は満面の笑みを互いに向けあって、口々に感想を言い合う。


「口の中をガツンと効いたスパイスが暴れまわってる!! 辛い、けど美味い! エスニックな味付けが後を引く!!」


「ひき肉がジューシーだがトマトと合わさって口当たりが爽やかだ……。加えて、この色んなスパイスが混ざったような不思議な香りが胃を刺激して、食欲をかき立てる……!!」


 良いなぁ良いなぁと空の小皿を前に熱く語る2人組に、これはいけると思って私は切り出す。


「ご注文をお伺いしてもよろしいでしょうか?」


 すると2人は親指を立てて、とてもいい笑顔で揃って答えた。


「「キーマカレーで!!」」

 

 私は内心でガッツポーズを決め、自分の狙いがバッチリ当たったことを確信したのだった。




 ――そこから先は驚くほどにとても順調だった。


 注文を取る前のお客さんに試食を勧めて食べてもらうと、とても感触が良くて多くの人が立て続けに注文してくれたのだ。また、不平等にならないようにすでに料理を提供している席のお客さんにも試食を提供したところ「明日はキーマカレーを食べにくる」とみんな口をそろえたように言ってくれる。


 開店直後とは打って変わってキーマカレーの注文が連続して、20食のみで用意したキーマカレーはランチタイムが始まって1時間半で全て売り切れるという大好評に終わったのだった。


 その翌日から限定20食だったところの限定を外して50食も用意したが、それもわずか2時間で売り切れてしまった。小さい町のため新商品の話題はすぐに広まったようで、お客さんの量も私が来てから見た人数の何倍も増えて、お昼に外を見れば食堂の入り口前に並ぶ行列が目に入る。


 ホールを回すのにも一苦労であるが、嬉しい大変さだ。どうやらキーマカレーのリピーターになってくれたお客さんが新規のお客さんをどんどん連れて来てくれているらしい。食べ応えのある他のお店に流れていた食べ盛りの若い男性の客層も増えている。

 

 そして今、なんでも町にはおかしな噂が流れているそうだ。


 それは『ゴートン食堂のキーマカレーを食べると力が湧いてくる』、『いつもより重い物を持ち上げられるようになる』、なんて内容らしく肉体労働系のお仕事に就いている人々から特に好評なようだ。確かにスパイスには疲労回復などの効能もあるが、これはカレーを食べた瞬間に私やリオルさん達も感じた、あの力が漲るような不思議な感覚に関係しているのだろうか。


(――しかし、カレーを食べたくらいで力が増すものかな……?)


 疑問が残ることはあったが、とにもかくにも、キーマカレーがヒットしてからは余計なことを考える暇もなく注文を取り、厨房が忙しくなれば私も手伝いに入るような毎日が待っていた。歓迎すべき忙しさに心なしかリオルさん達も生き生きとしているようで、私はそんな2人を見て嬉しくなる。この世界に来てからというものの助けられてばかりだった私も、ちょっとは恩返しすることができたように思えた。

 

「ソフィアちゃん、そろそろキーマカレーの追加を頼むよ」


 ホールを回る私に、厨房からリオルさんの明るい声が届く。


「はーい! 今戻りまーす!」


 お客さん達からも「がんばれよ」「美味しいの頼むよ」なんて声がかかって、私はそんなみんなに手を振って厨房へと急ぎ足で入っていく。リオルさんに手渡されたエプロンを身に着けて、腰ひもをギュッと締める。こんな日々、ちょっと前までは考えもしなかった。

 

「よしっ! 今日もお仕事がんばろう!」

 

 私のカレーが必要とされて、みんなが美味しいって食べてくれるゴートン食堂。今、私はこの場所で確かな幸せを感じていた。

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