第5話 カイネ

あの後孤児を逃がした後アルフは、衛兵からの聞き取り調査を受けることになった。


(なるべくあの子に矛先が向かうのを防がなきゃ……)


「まったく、カイネめ!騒ぎを起こすなといつも言ってるのに……」


と、衛兵が愚痴を言い始めたので、それに乗ることにした。


「えと、『カイネ』というんですか?あの子」

「ん?ああ、我々衛兵の間じゃ結構有名なんですよ、あいつカイネは」

「と、言いますと?」

「……もともと、あいつは下町で小さい商店やってた爺さんと二人で暮らしてたんだがね、ある冬の日に爺さんがぽっくり逝っちまってね。商売はしてても儲けはほとんど生活費と家賃に消えて蓄えが無かったらしくて、残された小さい子供一人じゃ商売もできないってんで結局住んでた家を追い出されたんだよ」

「それは気の毒に……」

「そうなんだよ。それで長年取引のあった商店の旦那が、気の毒に思って丁稚として住み込みで雇ったんだが……らしくてな、一年ちょっとでそこを飛び出したんだよ」


(いろいろ……ねぇ)


身寄りの無い子供を丁稚として引き取る……聞こえはいいが、身寄りも無い丁稚の子供なんて、家畜や奴隷も同然の扱いになることはよくある話だ。

それでも雨風を凌げる屋根と壁、曲りなりにも食事が与えられるだけマシだと、孤児だったアルフは思ってしまうところではあるのだが……

貧しくも商売をする祖父に守られて暮らしをしていた子供にとっては、そのギャップに耐えられずに逃げ出してしまったというのも、まぁ分からない訳でもない。


どうあれ、結果的にあの子は孤児になってしまったわけだ。

普通ならそのまま食えなかったり、病気になったり、犯罪に巻き込まれたりして居なくなることが多いのだが……

運よく今まで生き延びて、しかも現状をなんとかしようと一人で足掻いている。

孤児らしからぬ発想は、もしかすると祖父や丁稚時代の教育の賜物だったのかもしれない。


「ま、そんなわけで、どこかで野垂れ死にするか、かと思ってたんだが、いまでも孤児にしては身奇麗にして大通りの掃除したりしてるんで、みんな驚いてるんだ」

「そうだったんですね」


とはいえ、カイネを取り巻く状況は非常に危ういと言える。

孤児のくせに可能な限り小綺麗にして、露店の主人と取引をするような子供が目立たぬわけがない。

これまで生き延びられたのは本当に幸運だったのだ。

元孤児だったアルフは、孤児という立場の弱さを文字通り痛いほど知っていた。

だからこそ、自分の好奇心と老婆心でその脆く危うい立場を、更に危険に追いやってしまったことに少なく無い罪悪感を感じていた。


(……さて、どうしたものか)


アルフは事情聴取にテキトウに答えつつ、これからどうすべきかを考えていた。





◇◇◇






――路地裏


「ハァ…ハァ…」


大通りから裏路地に飛び込んだあと、いくつかの角を曲がり、狭い壁の間を潜り抜け。

ところどころ壁が崩れている廃墟に囲まれた、小さな空き地へと逃げ込んだ。

そして周囲に聞き耳を立て、追手が来ていない事を確認し、ひとまずは安全地帯まで来れたと判断して、ようやく息を整え始めた。


「なんだったんだ、あいつ…」


カイネという孤児は、壁に寄りかかりつつ先ほどのおかしな男のことを思い出した。

魔導士だと名乗り、見事な(といっても初めて見たのだが)魔法を見せてくれた変わり者の旅人らしき人間。


『……力の無い孤児一人でなんでもしようとするべきではなかった。せめて仲間を見つけて、守れるだけの力をつけなきゃいけなかった』


「…んなこと、わかってんだよ」


だが路地裏の世界では『正解』が分かっていても、それに至る『択』が存在しないことばかりだった。

探しても仲間になる奴など居なかった。

誰も彼も、全てを諦めていたり、馬鹿にしてきたり、騙そうとしてきたり。

路地裏の人間は大人も子供も誰も信用など出来なかった。

だから、カイネは一人で生き抜く事を決めたのだ。


(それにしても、騒ぎを起こして衛兵に目を付けられちまった……あいつがなんて言ったか分からないけど、しばらく大通りには近づかないほうがい「よぉカイネ、そんなに息を荒げてどうしたんだ?」


「ッ!!」


突然後方から声をかけたれた。

声のした方に振り向くと、狭い通路に男が数人立っていた。


「お前ら…」


――嫌な場所で、嫌なやつらに見つかった。


以前から『仲間になれ』と誘ってくる、破落戸ごろつきたちだ。

群れて弱い者を嬲って奪い、強い者には阿るおもねるクズどもだ。

仲間と言ってるが、こいつらはこれまでにも新しく仲間にした奴に汚れ仕事を押し付けて、都合が悪くなれば簡単に裏切っていることは知られていた。

自分もそうなることがわかっていたので、今まではぐらかしてきたのだが……

この状況はよろしくない。



「まぁ、大通りで騒ぎを起こしたのは知ってるんだけどよ」

「……」


そう言いながら、リーダー格の男―ハンス―がニヤニヤしながらゆっくり近寄ってくる。


「カイネ、だめだろぉ?大通りで騒ぎを起こしたら」

「……」

「お前が騒ぎを起こしたせいで、俺たちみたいなはみ出し者はみぃ~んな白い目で見られちまうんだぜ?」


――騒ぎを起こさなくても、もともとお前らは白い目で見られているだろ。

と、喉まで出かかったが堪える。

さすがに、この雰囲気で挑発するほど馬鹿ではない。


「――俺に、何の用だよ?」

「おっとそうだ、忘れるところだった。いい加減俺たちの仲間になれよ。俺たちはお前のこと買ってるんだぜ?」

「……」


またいつもの勧誘。

だがそんなの、元から返答は決まっている。

決まっているけれど、ここで馬鹿正直に答えたらどうなるか想像できないようでは、今日まで路地裏で生きてこれない。



(だけど、どうする?)


カイネはこれまでの短い人生の中で見聞きし、体験してきた事を全力で思い出しながら想像力を働かせた。


ここで一時しのぎに『ハンスたちの仲間になる』と言えば今は切り抜けられるだろう。

だが、それをネタに今以上に付きまとわれるだろうし、ハンスは周囲にもカイネが仲間になったと吹いて回るだろう。


――こいつらの仲間だと思われたら?


きっと、こいつらに恨みを持った連中がここぞとばかりに襲ってくるかもしれない。

そしてその時、こいつらは助けてなどくれないだろう。

仮にそうならなかったとしても『守ってやるから稼ぎを渡せ』と言ってくるかもしれない。

それどころかあの手この手でこれまでカイネが稼いできたなけなしの金を奪おうとすらしてくる可能性もある。


結局、一時的に凌いだところで状況は悪化する。

しかも取り返しのつかない方向に。


とはいえ、もしここで逃げれば今度はコイツらの標的にされてしまい、これから先この狭い街でひたすら追いかけられ続ける事になる。

安全な場所も無く、四六時中逃げ回る事になれば今までのようには生きられないだろう。


(くそったれ、どっちも最悪じゃねぇか……なら!)


どっちがマシか。

いますぐ決断しなければない――




「……わかったよ」

「おっ」


俯きながら答えるカイネ。

ニヤリと笑うハンス。


「そうか、やっとお前も……」

「――なんて言うと思ったかよ!!」


と叫び、低い姿勢でハンスの脇を転がるようにすり抜ける。

ハンスは咄嗟のことで反応できない。

そのまま一気に駆け出すカイネ。


「なっ!てめぇ!?」


背後で叫び声が聞こえるが取り合わず、ハンスの仲間が構えている路地に――は向かわず、その手前の崩れて子供1人がなんとか通れるそうな廃墟の壁の隙間目掛けて飛び込んだ。


(お前らのでかい図体じゃ、この壁を抜けるのは梃子摺るだろ!?)


カイネがあの空き地に逃げ込んだのは、いざというときに自分が咄嗟に逃げ込める抜け道がいくつかあるからだった。

この廃墟の壁の隙間もそのうちのひとつである。


(そして……こうだ!)


ガラガラガラッ!


脱出ルートに決めていたので、以前からこの廃墟の中もある程度確認済みである。

そして、その確認時に追手がいた場合に、追跡の邪魔になりそうな瓦礫を壁の裏側に積んでおいたのだ。

それを崩してさらに時間を稼ぐ。


「うわっ!?」

「まてこらぁ!!」


後ろのほうで叫び声が聞こえる。

どうやら狙い通り崩れた瓦礫に手間取って入るのに時間がかかっているらしい。


(――よし、ここを曲がれば外だ!!)


相手が中に入るのに手間取っている間に廃墟の中を駆け抜け、反対側の出口へと向かう。


(とにかく、とにかくここを離れて隠れよう。奴ら馬鹿だから、しばらく見なければ忘れるかも――)


ドンッ!!!


――突然、目の前にが現れ全身をぶつけた。


「――ぁッ!?」


いや、目の前のは壁ではなかった。


「人が寝てるってのに、ゴソゴソうるせぇなぁ……!」

(誰だ、コイツ――!?)


そこには見たことのない薄汚れた男が立っていた。

カイネが忍び込んだ時には出会したことがなかったが、実はこの廃屋には元々住み着いている浮浪者がいたのだ。

この予想外の遭遇にカイネは固まってしまった。

そして、それが致命的な隙になり――


「んだぁ?お前、どこから入ってきた?」


――気がついたときには男に肩を掴まれてしまっていた。


「は、離し……」

「あ、こら、暴れるな!」


なんとか男の手から逃れようと暴れるが、非力な子供と大人の男では腕力に差がありすぎた。


「どこだコラァ!!」


そうこうしている内にハンス達が追い付いてきてしまったのだった。

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