6.「僕達はこの世界の人間じゃあないから」

「はい?」


 倉瀬はフォークを口に突っ込んだまま、顔を上げた。


「僕はね、別にこの子がどの学校に行こうが構わないんだ」

「はあ……」

「この子が楽しく学校生活を送ってくれること、それだけでいいんだよ。だけどこの子は少し変わっているだろう?」


 彼は口ごもった。

 確かに変だ。しかしさすがにそれを直接父親に向かって言うのは。


「変わってるんだよ。まあ変わっていて当然なんだがね。僕達はこの世界の人間じゃあないから」

「は?」


 彼は眉を寄せた。すると父親は急に真面目な表情になり、フォークを倉瀬の前に立てた。


「実はね、僕等は十二年前にこの世界に飛ばされてきた異世界人なんだよ」


 倉瀬の眉間のしわはますます深くなった。

 からかってる、絶対からかってる!


「……冗談でしょう?」

「だから、この子が変わってるのも仕方ないんだよ」

「冗談ですよね?」

「この子は見かけはこの世界の人間と同じだけど、脳の作りが微妙に違うから、君等と同じ様なやり方でものごとをこなせないんだ。その代わりと言っては何だけど、記憶力はすごくいいからね。本当。それで全部補ってるんだ」

「……だ、か、ら! 冗談ですよね?」


 言うに事欠いて、それはない、と彼は思った。

 子供相手としても、それはあまりにもリアリティが無い。からかわれていると思っても仕方がない。

 だが父親はまだも続けた。しかも今度は姿勢を低くして、声を潜めて。


「……実は僕も、この子の父親じゃあ無いんだ」

「……じゃあ何ですか?」


 倉瀬はあきらめた。父親はどうやらその話を言うだけ言ってしまいたいらしい。

 彼はサラダを噛むことの方に意識を集中させることにした。しゃくしゃく。レタスとチーズとドレッシングがちょうどいいバランスで口の中で弾ける。


「僕はね、この子の教育係だったんだよ……」

「教育係、ですか」

「そうなんだ。向こうの世界には、親とか子とか、そういう関係が無くてね。僕も人間に見えるけど、実は人間じゃあないし」

「……あの~お父さん、お仕事、何ですか?」


 サラダが無くなった。さすがに倉瀬も話を遮ることにした。すると父親はふふ、と笑ってこう言った。


「物書きだよ」

「でしょうね」


 倉瀬は大きくうなづてた。


「……まあ君が、僕の話を何処まで信じるかは自由だけどね」


 まるで信じられるかって言うの、と彼は内心つぶやいた。


「ただこの子が周りの子達と『違う』のは生まれつきだ、ということは何となく、判るだろう?」

「……やっぱり、そうなんですか?」

「そう。だから父親としては、心配で心配で」


 ぱく、と父親は情けなさそうな顔でサラダの最後の一口を口にする。


「で、君にこれからも、この子をお願いしたくて」

「は? だけど俺は工業で」

「だからこの子も、その次の年は工業に行くでしょう。まあこの子なら、そんな受験の一つや二つ、受かるでしょうし」

「だけどそんな成績がいいのに」

「成績は確かにいいでしょうがね。でもまた誰も学校内に話し相手の一人も居ないですか? それはさすがに…… ね」


 う、と倉瀬は口ごもった。確かにそれは、親としては辛いところではなかろうか。中学では小学校時代を知っている者が多かったからともかく、高校ではまた新たないじめに遭うことが目に見えている。


「だ、だけど俺は」

「この子のことは嫌いですか? 君がそうだと言うのなら、それなりに判る様に、この子には説明しますが」

「嫌いでは」


 彼は言い籠もる。父親は軽く首を傾げた。


「嫌いではない。では好き?」


 何って単刀直入な聞き方だ。彼は言葉に詰まった。

 そこを狙いすました様に、メインの料理が運ばれて来た。大きな肉がごろごろとした茶色のシチュウだった。

 彼女は中の赤い野菜をつんつん、とつついている。


「それはビーツですよ、トモミさん」


 気付いた父親は娘に向かってすかさず解説をする。トモミは顔を上げ、父親と視線を合わせる。


「ビーツ? ビーツって何?」

「先日あなたとロシア料理の店に行った時、ボルッシィという名で出たでしょう? あのシチュウと良く似ています。つまり、大丈夫です」


 判った、とトモミはうなづくと、スプーンを取って食べ始めた。


「君も料理をどうぞ。冷めますよ。どうやら答えの出しにくい質問を、僕はしてしまった様だ」

「や、嫌いか好きか、二つに一つなら、『好き』の方です」


 倉瀬ははっきりと言った。


「それは、確かです」


 そうですか? と父親は問い返した。そうです、と倉瀬は大きくうなづいた。


「ただ、あの」

「恋愛感情では、ない、と」

「……はい」


 彼はその返事を一瞬ためらった。彼女の父親は彼に、それを求めている様に感じられたのだ。

 普通なら逆だろう、と彼は思う。この年頃の女の子の父親というものは、たいがい娘に近寄る男子を害虫扱いするものだ。

 だが相手は「トモミの」父親だった。

 その時点で、倉瀬は自分にそんな「普通」の答えは求められていない様に思えた。

 何かがずれている。それが「何」なのか、彼には上手く言葉にできないが、確実に。だから彼は率直に答えることを選んだ。トモミにいつもそうする様に。

 さすがに二年弱の付き合いがあれば、様々な彼女の周囲との「違い」は見えてくる。

 例えば彼女には嘘がつけない。嘘ということが理解できない様なのだ。言葉は彼女にとって額面通りのものであり、それ以上でもそれ以下でもない。

 だから彼女との対話は時間がかかる。周囲の、普通の同級生や部活の後輩、教師、家族、はたまたご近所のおじさんおばさんと話す時には「言わなくても判るだろう」ことを省略することが、全くできない。

 父親はその意味では「普通の」人に見えたが、それでもここではトモミに答える様に、率直であるのがいい、と彼は思った。


「後輩か、……妹みたいな感じ、です」


 そう、年下の女きょうだい。それが一番当てはまる言葉だった。

 無論彼とて、思春期真っ盛りの男子だ。いくら「女子に興味が無い」と噂されようが、同学年の女子の体育の時間に揺れる胸や、年々短くなっていく制服のスカートの下の太股に目が行ってしまうのも事実である。

 だけどそれはトモミに関しては適用されなかった。

 彼女の体操服姿も見たことがある。夏の盛りの水着姿も目にしている。彼女は周囲に比べて成長がいい。背も高い。脚はすらりとしている。胸はやや小さめだがバランスがいい。

 ……客観的に言えば、確かに同級生から「お前目がおかしい」と言われても仕方が無いのだ。

 だがやはり、彼女は彼女であって、倉瀬にしてみれば、それ以上の何者にも思えない。部活の後輩、困ったことができたらサポートしてやる存在。それ以外の何者でも無いのだ。


「……そうですか」


 父親はその答えに満足した様にうなづき、スプーンを取った。


「だったらそれは、それでいいんですよ」

「……すみません」

「謝ることではないです。ただ、僕もずっとこの子を見ていられるという訳ではない。だから、外にできるだけ味方を作っておきたい、……それだけですよ」

「だからって…… あの」

「別に多くのことを期待はしません。……ただ、この子とずっと友達で居てくれれば。それだけで、いいんです」


 静かな声だった。だがそれだけに、奥に含まれた気持ちは強い様に、彼には思われた。


「……それだけ、ですか?」

「ええ」


 本当に、だろうか。

 倉瀬の中に、問いただしたい気持ちが無い訳ではなかった。だが自称物書きの父親は、それ以上言葉を費やす気は無い様だった。


「ほら、シチュウが冷めますよ」


 慌てて彼は、スプーンを手に取った。

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