5.「僕はね、倉瀬君。本当に君に感謝しているんだよ」
日曜日。「**駅のロータリーの花時計前」に彼は居た。
そして花時計が十三時を指した時。
「先輩ーっ!」
パールピンクの軽自動車の窓から、聞き覚えのある声が飛んできた。トモミが助手席の窓から手を振っていた。
すっ、とそのまま車は彼の前に止まった。
「こんにちは先輩、後ろに乗って下さいな」
扉を開ける。すると、やあ、と運転席から声がした。
「こ、こんにちは」
「倉瀬くん? はじめまして。吉衛トモミの父です。よろしく」
若い声だ、と倉瀬は思った。振り向いた顔も、二十代後半位に見えた。
「いきなりでびっくりしただろ?」
なめらかに動き出すとすぐに、彼は倉瀬に問いかけた。
「ええ、まあ……」
「トモミさんから普段から君のことは聞いてたから、一度会いたいとは思ってたんだ。……お昼は食べたかい?」
トモミ「さん」。……ウチの親からは絶対出てこない呼び方だ。
「いえ、まだ」
「じゃあ食事としようか。いや、こんな半端な時間、おかしいと思っただろう?
でもこの子の部活が十二時半までというからね」
まあそんなものだろう。日曜日の部活動は午前中だけだが、実際に終わるのは十二時半だった。おそらく彼女の父親は、学校まで彼女を迎えに行き、その足でロータリーまで向かったのだろう。
やがて車はこぢんまりとしたレストランに止まった。
木製の看板には、「洋風家庭料理」と書かれていた。扉を開けると、天井が高いせいか、外見より広く見えた。「三人」と告げて入った内部には、一つ一つのテーブルが、立ち並ぶ他の座席と壁や植物できちんと区切られている。
普段友人達と行き慣れているファーストフード屋やファミレスとは何処か違う、と彼は思った。普段家族と行く店ともやや違う。何と言ってもこの店は静かだ。家族で行く店はもっと雑多だ。それは「安くて量がある」店の宿命なのだ。
だがここはそうではない。
席に案内されると、彼女を奥に、父親はその隣り、彼は父親の正面に座らされた。
「何がいい?」
と言われても。彼は思わずメニューを手に固まった。
「どうしたんだい?」
穏やかな声で、父親は問いかけた。長身。丸眼鏡の下に優しそうな瞳、柔らかそうな髪。さっぱりとしたスーツ。ただしネクタイは無し。
……そしてやっぱり若々しい。歳の離れたきょうだい、と言った方が納得できるかもしれない程。
「や…… あの、お任せします」
「何でもいいのに」
そうは言われても。いつも見るメニューとは値段が違うから。
「いえ、俺好き嫌い無いですから」
そう、と父親は微笑むと、軽いコースを三つ頼んだ。ウエイトレイスがデザートやアフタードリンクの種類まで、穏やかな口調だが事細かに聞いて来る。彼は多少戸惑った。
ウエイトレスの背を眺めながら、彼は水を口にする。そのグラスもまた、良く見る素っ気ないものではなく、細かいカットがされたものだった。
「緊張している?」
ふふ、と笑いながら彼女の父親もまた、水を口にした。
「ええまあ」
彼は率直に述べた。
「まあ、それはそうだろうね…… ただ実のところ、僕は君に一度会ってみたかったんだよ」
「……はあ」
「どうして、って顔しているね」
「……はい」
「どうしてだと、思う?」
「……えー…… まあ、俺が、吉衛…… トモミさんの部活の先輩だった、ってことで……」
それ以上に彼には浮かばなかった。実際、自分達のつながりなど、それ以外何があろう。
父親はその言葉に大きくうなづいた。
「それはそれで、正解。それに加えて、この子に二年間よく付き合ってくれたなあ、というお礼が一つ」
「一つ」
「君、進学は公立の工業に決まったんだって?」
「……あ、はい」
唐突に変わった話題に彼は思わず身構えた。
「ということは、進学は、それ以上はしない?」
「はい。大学行く程の成績でもないし、勉強は……まあ……」
彼はぼかした。ちら、とトモミを見ると、何となく首を傾げている様だった。しかし以前に工業に行く理由は彼女にも告げてあった。
「で、だ」
そう言った時、前菜が運ばれてきた。ウエイトレスはそっと音を立てずに皿を彼等の前に置いた。父親はそれに構わず、テーブルの上で手を組むと、倉瀬の顔をのぞき込む様にして話を続けた。
「この子も工業に行きたい、って言うんだよ。君と同じ」
「は?」
さすがにそれには倉瀬も驚いた。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ……」
「初耳?」
「初耳です。……お、おい」
そう言いながら彼は今度はトモミの方を向く。
「確か期末テストでは、五位だったって……」
「ワタシ、言いました?」
「いや言ってないけど…… それで何で工業?」
順番を飛ばした質問に、トモミは顔をしかめた。ふふ、と笑いながら、父親はそこに助け船を出した。
「つまりね、トモミさん。君は成績がいい。成績がいいなら、行くのはまず市内でもトップクラスの進学校だろうと普通は思う。なのにどうしてそれほどランクが高くない…… ああ失礼…… 工業高校に入ろうとするのか、彼は不思議がっているんだよ」
さすがにその意味は父親の方が判っていたらしい。短い彼の疑問の中に含まれているものを一気に彼女に伝えた。
そして彼女の答えはいつも通り、簡潔だった。
「先輩が工業に行くから」
「という訳だ」
言いながら自分の方を見る父親に、はあ、と彼は脱力した。
「……も、もちろん、反対……ですよね? あの、お父さんは……」
「いいや?」
そう言いながら、父親は前菜に手を付けた。
「君もお腹空いているだろう?」
空腹感はあった。だがショックでその感覚が迷子になったかの様だった。
だが一応フォークを手にする。チーズのかかったサラダを口にする。味は何とか感じられる様だった。しゃくしゃく。美味い。
ふふ、とそんな彼を見ながら父親は言葉を続けた。
「僕はね、倉瀬君。本当に君に感謝しているんだよ」
「はあ……」
またも彼は曖昧に返す。だが次の言葉が非常に怖い。
「で、これからも感謝したいんだ。それがもう一つ」
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