4.後輩は、意外に人気があった。

「あれ?」


 見慣れない顔が、そこには居た。


「吉衛…… どうしたの?」

「用事があったので」


 簡潔な返事だった。なるほど、と彼は思った。

 三月初め。教室に差し込む日射しが日に日に暖かくなる頃。

 既に部の世代交代もし、高校も決まった三年生のクラスがずらりと並ぶ三階は、のんびりとした空気の中にあった。

 とは言え、「のんびり」と思っていたのは倉瀬だけかもしれない。確かに勉強からは解放されたかもしれないが、個人的問題からは解放されていない者が多かったのだ。

 例えば14日。ホワイトデー。単純にお返しに悩む者も居れば、この先の進路上、付き合いそのものを見直さなくてはならない者……様々だった。

 もっとも、倉瀬はその類のことに関しては、鈍感だった。

 いや、考えている暇が無かったと言ってもいい。彼の三年間は、結局部活に始まり部活に終わったと言ってもいい。

 そして特にそうなった原因が目の前に居た。

 それはとても珍しい光景だった。

 トモミが彼等の学年のフロアにやって来たことは、彼が彼女を後輩として受け持ってから二年、一度として無かった。

 彼女曰く「用事が無いし」。

 倉瀬自身も、その返答に対し、実に「らしい」と思っただけだった。出会った時からそうだった。他人に無駄に使われる時間を惜しみ、「部活動の掟」を無視し、図書室から引きずられてきた後輩である。

 彼女にとって「自分の時間」は一秒たりとも他人によって無駄にされるべきものではないのだろう。倉瀬はそう思う様になっていた。

 それが彼女だ、と思ってしまえば大した問題ではない。

 だったら彼女に「現在」を「無駄な時間」と思わせなければいいのだ。結果オーライ、彼のウッドベースの腕も非常に上がった。

 だが彼女を良く知らない同級生は、そんな彼に茶々を入れてくれたりした。


「結構お前のとこの後輩、可愛いじゃん。付き合ってみようとか、そーいうの、ないの?」


 知らぬが仏、である。聞くたびに彼は肩をすくめたものだった。

 確かに自分が彼女と全く関わりもない、ただの「一学年上の先輩」なら恋愛対象として見たかもしれない。しかし実際のところ、この部活の先輩後輩はそれどころではなかったのである。

 一度そうはっきり同級生に言ったら「そいつは淋しいぜえ」と思いきり呆れられた。


「うーん、よく考えてみれば、それはそれで淋しいかも」

「よく考えてみなくてもそうだろ」 


 確かに倉瀬とトモミの毎日は真剣だったが、同じ様の繰り返しだった――― かもしれない。彼等の間には必ず楽器があった。

 しかしどうも、この日は違った。彼女の手には教本も、弦を弾く弓も無い。

 そして彼女は口を開くや否や、こう言った。


「クラセ先輩、今度の日曜日、予定はありますか?」

「日曜日? 無いよ」

「じゃ十三時、**駅のロータリーの花時計の前に来られますか?」


 彼は少し考えると、短く答えた。


「行ける。でも何で?」


 彼はまずYESとNOを、彼女には言うことにしていた。それがどんな質問であったとしても。この回答が無いと彼女は混乱する。次の言葉が出て来なくなるのだ。

 そして次の言葉はこうだった。


「父が食事かお茶を一緒にしたい、って言ってましたから」

「お父さんが?」


 彼は濃い眉を寄せた。はい、と彼女はあっさりとうなづいた。周囲の方がその会話を耳にして、固まっている。


「そういう条件ですけど、行けますか? 大丈夫ですか?」


 彼女は重ねて問いかけた。


「ああ…… 大丈夫」


 彼は首をひねりつつも答えた。断る理由も無かった。


「ではその時に、……よろしく」


 彼女は来た時同様あっさりと背中を向けた。

 何なんだ、と彼女の行動には慣れていたはずの倉瀬も、この時には首をひねるばかりだった。しかしゆっくり考えている余裕は無かった。うわ、と不意に彼は後ろから首を絞められるのを感じた。


「おーいクラセ、今の何だよ」

「ううう、く、苦しいって…… 何だよって何だよ」

「今の! あれ、前言ってた後輩だろ?」

「変だ変だって、可愛いじゃんよー」

「こいつ隠してやがったなー」


 同級生は一斉に彼をこづいたり冷やかしたりする。


「やめれ! ……そんなんじゃ、ねーんだよ」 


 何とか彼等の腕を逃れ、へえへえと彼は息をつく。


「そんなんじゃないってよ、……ぜいたく」


 なあ、と数人の男子は揃ってうなづく。


「何だっけ、吉衛トモミちゃん、だよなあ。確かこないだの期末で二年で五位だったって言うじゃん」

「まあ…… 頭はいいよな」


 彼は記憶をひっくり返す。確かに相変わらずその類の「頭はいい」のは変わらない。いや、出会った頃より良くなっていると言ってもいい。それは認める。

 だが。


「それに可愛いし綺麗だし、大人しそうだし、いいんじゃないかあ?」


 一人がそう言った時、彼は思わずこう言っていた。


「あいつ、綺麗なのか?」

「……おい」


 周囲の同級生は、再び彼の身体を取り押さえた。


「だから俺が何したって言うんだっ!」

「お前目悪いんと違うか?」

「慣れすぎてる、ぜーたく」


 そんなこと言われても。彼は再び必死で腕を振りほどく。


「だってなあ…… 俺はそういう目で見たことは無いの!」

「だったらもったいない!」

「だよなー。そーいえば、隣のクラスの徳松、あの子が楽器弾いてるのがいいからって、付き合ってくれとか言ったんだろ?」

「は?」


 初耳だった。思わず問い返す彼を、周囲は更に責め立てた。


「何、お前、知らないの?」

「知らん。でも断られたんじゃないのか?」

「ご名答」


 ぱちぱち、と周囲は苦笑しながら拍手した。だろうな、と彼は思う。自分は単に彼女と近すぎてその対象に見られないだけだが、彼女はそれ以上にまず―――


「やっぱり倉瀬って、女に興味無いって本当だったんだ……」

「は? 何だよそれ」


 そんな噂立ってたのか? と彼は眉をハの字にする。


「だから、いくら後輩ってなあ……」

「彼女、背も高くて綺麗だし、ああいう楽器、似合うんだよなあ…… ゆったりとこーやって」

「あーいうの、『優雅』っーんじゃねえ?」


 一人がポーズとしなを同時に作って見せた。思わず倉瀬は「そりゃ違う」と内心突っ込んだ。

 優雅だなんて。彼の頭にひらめいたのは、ついコピーしてしまった某3ピースバンドの激しい曲を、弦も切れんばかりに弾きまくっている彼女だった。

 どう考えても、そんな単語は自分の後輩とは結びつかない。彼女が「楽譜と音が結びつかない」と常日頃言っているのと同じ位に。

 そもそもその「優雅」に見える演奏をするために、彼女がどれだけ繰り返し繰り返し練習しているのか知りもしないのに。


「とーにかく、別に俺はあいつにどう、って訳じゃあないから、気があれば、当人に言ってくれ」


 そんな、と周囲から声が飛ぶ。どうやら中には「取り持って欲しい」と内心考えていた者も居た様である。

 彼は少しばかり不愉快なものを感じた。

 そんなこと知るか。彼女のテンポを乱して玉砕すればいいんだ。

 内心彼は、吐き捨てた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る