第4話 「それって、あんたに対する嫌がらせじゃないの?!」


「一体何が何なの?」


 図面を汚しては元も子もない、とキュアは彼女から受け取った箱を持って、紙くずと消しかすと資料が散乱した床に直に座り込み、彼女にはここ数日使われた形跡の無いベッドを指し示した。普通ならそんな場所に座ることは彼女はしない。それは危険を意味する、と彼女の育った環境は教えていたからだ。

 だがどう見ても、この男にはそんなことをしている暇はなさそうである。そしてその床に直に座り込む勇気は更になかった。一段高い場所から、勢いよく食べものをたいらげる彼を見ながら、彼女ははふ、とため息をついた。どうやら食べ終わるまで、理由は話してくれないだろう。

 そして食べ終わった彼が、これだけは彼女に入れてくれた食後のお茶を飲みながら話してくれたのは次のようなことだった。

 競争率高いディフィールド教授の研究室には、入室試験の様なものがある。建築実技の専門である研究室だから、それは実際の使用に耐えうる図面だった。

 正直、彼らはこの時点で、図面を引くことはできる。この場合、図面、というよりは図面集、であろう。建物全体図に加え、その建物を構成する一つ一つの部屋であったり、立地条件を詳細に計算した表を付け加えることもあるかもしれない。いずれにせよ、このウェネイクの建築学部に五年在籍できた者はその程度の作業は可能である。エラもそれは経験している。経験して―――自分はそれに向いていない、と思ったのだ。


「それは判るだろ?」


 キュアは当たり前のことの様に彼女に問いかけた。彼女はうなづいた。


「それは判るのよ。でもどうして、それをここでやっている訳?」

「そんなに不思議?」

「だってキュア、製図はマシンでやるものよ。どうしてこんな、狭い寮の中で広げて自分の手でなんかやっている訳? いくらディフィールド教授が厳しい方だと言って、それを許さないってことはないでしょ?」

「そりゃ俺だって、CAD使った方が楽だけどさ」


 古くから変わらない、製図用ソフトの名を彼は口にする。


「だけど空いてないから仕方ないだろ」

「空いてない?」


 彼女は眉を寄せる。そんな訳はない、と思う。このウェネイクは、そういった設備に関しては、他の追随を許さない程なのだ。製図用のマシンは基本的に一人一台あるのが当然だった。


「だけど実際そうなんだもんな。俺が借りようと思ってマシン室に行くと、絶対誰かしらが使っていてさ、そっちが空いてるからいいんじゃないか、って思うと、そっちは先約がある、あっちはほら立ち上げたばかりだ、先輩達がもうじき来る、そんなことばかりでさ」

「それって」


 彼女の眉間のしわが深くなる。


「それって、あんたに対する嫌がらせじゃないの?!」


 CADを使わないで、教授の要求を満たす図面を引くなど、彼女には逆立ちしてもできそうになかった。


「ま、そうだろうね」


 あっけらかん、と彼は言う。


「判っててどうして」

「だからそいつら…… ああ、先輩に向かってあいつら、はまずいか。とにかく連中は俺に言う訳よ。工科学校出身だったら、機械無しでも図面くらい引けるんじゃないのって。まあそれも事実だけどさ。工科じゃ、そんな機材持ち込めないとこでの実践向きのことも教わったし」

「そういう問題じゃないでしょ!」

「そういう問題、で俺は別にいいけど」


 うっ、とエラは言葉に詰まる。


「だってさ、そこで何かしら言って結局使えたとしても、データを消されるのは目に見えてるんだぜ?」

「だからそれはひどいって」

「別にいいんだよ。俺はこんなことができるんだから」


 とん、と彼はお茶を手にしていない方の手で天板の上を叩く。


「こういうでかい板を調達するのはちょっと苦労したけどさ。でも美術学群の友達に聞いたら、あっさり作ってくれたよ?」


 そうだった。この男は、他学群に友人が多いのだ。何となく、自分の心配が何の意味も無い様な気がして、エラは胸の中がもやもやしたもので埋まり出すのを感じる。


「……でもそれって、あんたが怒っても、正当なことよ? だってこの学校に入った以上、皆同じ条件で学べることになってるんじゃない。同じ授業受けて、同じ授業料払って」

「同じじゃないよ」


 彼はするりと、しかしはっきりと言う。


「違うの?」

「違うよ。俺は授業料は1/4しか払ってないし、授業だって、連中より沢山出てると思うし。安くても通えるってのは俺が優秀で勤勉だってことだし」

「それはそうだけど」


 自分でそれを言うのか、と彼女は苦笑する。


「それでいて俺がよそ者だから嫌~な気分になるのは仕方ないでしょ。それに俺がいちいち付き合ってから身が保たないもん」

「……キュアあ」


 ふう、と彼女はため息をつく。


「あんた本当にそれでいいの?」

「だから、わざわざ手書きしてるんでしょうが。大丈夫俺は絶対あの研究室に入れますって」


 しかしそもそも何故、彼がその研究室に入りたいのか、彼女はさっぱり判らなかったのだ。

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