第3話 彼女は言い出したら聞かない人
「それにしても、エラ、やっぱり危険だよ」
六回生も中盤を過ぎた頃、級友は口々に言う様になった。
「そうよ。何を好きこのんで、そんな場所まで。あなたなら卒業研究に、もっと探しやすい場所まで行けるでしょ? 何だったら、戦争もあまり関係ない辺境へ行ったっていいんだし」
確かにそうだ、とエラは思う。彼女の実家は、ウェネイクでも入植以来の歴史のある名家である。渡航が不便である現在であっても、彼女にはさほどそれは関係ないはずだった。
もっとも、彼女の研究対象である、危険度Bのコヴィエは別である。彼女は実家を通して申し込んだ訳ではない。あくまで総合大学に通う一学生として、申し込んだのだ。だからこそ、渡航許可が出たのである。これが実家を通したのだったら、絶対に許可は下りないはずである。
「心配させて、ごめんね。でも」
彼女はにっこりと級友達に返す。
だけど「でも」の続きは口にしない。言ったところで、それはずっと予科から一緒だった級友達には通じないものがあるのだ。
「まああなたがそう言うなら、我々は止めることはできないんだけどさ」
ねえ、と彼らは顔を見合わせる。彼女が言い出したら聞かない人であることも、彼らは長い付き合いかよく知っているのだ。
「で、いつ行くの?」
「あと一ヶ月、ってところかしら」
標準時の一ヶ月は、一律に30日、一年360日、だった。様々な自転をする惑星系がある以上、「一日」の長さが同じである訳が無い。皆「標準時」とその惑星の暦を併用するのである。もともとの地球の暦は「参考」でしかないので、計算のたやすさから、一ヶ月は30日、一年は360日と決められたのである。
「あと30日ね……そう言えば、卒業制作の課題提出もそのあたりじゃなかったのかあ」
誰かがそう口火を切れば、まだテーマを決めていない学生は「ああ~」とうめきながら頭を抱える。目的が曖昧なまま入った学生ほど、この時期に悩みやすい。エラの様に、古い建物を好んで研究するとか、キュアの様に、「重々しい建物を作りたい」という明確な目標を持って入って来る者は滅多に居ないのだ。
「……で、あなたの相棒、何しようとしているの?」
口さがない級友達の話題は、彼女の相棒に移ってくる。
「ん? うん、この間、製作の方にするって言ってたけど」
「製作! 彼らしいと言えば彼らしいよな」
そうだよな、とその場にいた五人ほどの男女がうなづき合う。
「奴は絶対、『研究』より、実際の製作だよな」
「あら、やっぱりそう思うの?」
「そりゃあそうだろ。工科出身だし。そのまま工科に居た方が、実際の現場に出るのは早かったんじゃないの?」
「それはそうかもしれないけど」
エラは言葉に詰まる。確かにそうなのだ。共通の六年の基礎学校を降りたあと、実業コースと総合コースにかっちりと分かれるのが、ウェネイクの教育制度の特徴である。
実業コースは、もうそこから五年の工科学校なり商科学校なりの、即戦力を作るコースである。一方の総合コースは、それこそ惑星ウェネイクの各地にある総合大学に進学するためのコースである。中等学校がやはり五年あり、そこを卒業すれば、各地の総合大学を受験する資格は得られる。ただ、彼らが現在通う中央の総合大学は別格で、更に予科に行かないことには滅多に受からない所なのだ。
そんな工科学校をキュアは通っているから、他の学生に比べて、実技面において、抜きん出ているのは当然だった。
ただ、それ故に、上級生からのいじめを受けたことがあるのも確かである。
エラは五回生も半ばの、まだ彼とベアを組むとは思ってもみなかった頃のことを思い出す。
五回生の半ば、と言えば、卒業制作や研究のための担当教官を決める時期だった。エラは古い建築物を「研究」したかったので、その方面で著名なエフウッド教授に当時打診していた。この気のいい教授は、一歩外に出て建築というものを見る立場を取ることで、学内派閥というものから逃れていた。
一方その派閥の中で、最も力を持っていたのが、ディフィールド教授の研究室だった。ディフィールド教授は、この学内で教鞭をとるだけの人物ではなく、一線で働く建築家でもあった。十年前に軍の要請で新築されたウェネイク中央駅の設計が彼の最も有名なものと言えよう。
建築というのは、依頼者があって初めて成立する仕事である。この時期、ディフィールド教授とその一派は、全星系で最も力のある後ろ盾を持っていたと言える。ウェネイクは中立地帯だったが、その当時最も強力な軍と無関係ではなかった。いやむしろ、ウェネイクはその軍によって守ってもらっていた、と言っても間違いない。アンジェラス星系から出たその軍は、全星系統一のあかつきには、ウェネイクを首都星とするだろう―――そんなことも囁かれていた。
だから、そんな気風の研究室に、キュアが申し込みを出していたことが、当時友達付き合いを始めたばかりのエラには不思議でたまらなかったのだ。
そんなある日、彼女は寮の彼の個室を訪ねて行ったことがある。手には学内でも安くて美味しいことで知られているホットドッグとサラダと濃いコーンポタージュが入った箱。どうしているかと通信端末を開いたら、落ち着きの無い髪の毛が、いつも以上にあっち向きこっち向きしている。端末画面ごしの相手は、今暇か、と彼女に訊ねた。暇よ、と答えたら、彼はエラに向かってこう言った。
「メシ食いに行ってる暇がない~何か差し入れしてくれ~」
悲愴なまでの声に、思わず彼女は近くにあった学生食堂のスタンドへ走ったのだった。
それを手に、寮の彼の部屋の扉を開けたら、彼女は自分が何処に足を踏み入れていいものか迷った。心底迷った。足の踏み場も無い、とはこのことを言うのだ、と彼女は実感した。
部屋の真ん中で、彼は机の上に一回り大きな天板を乗せて、何やらひどく大きな紙を広げていた。それが図面であることは、彼女も建築を学んでいる学生であるから、一目で判る。
ただ彼女も判らないのは、それを何故わざわざこんなところでやっているか、だった。
「おおっ、ありがたい~」
好き勝手に跳ね回る髪が落ちて来ない様に、額にバンダナを巻いた彼は、彼女に両手を差し出す。求められたのは自分ではなく、あくまで食べ物であるのは判っているのに、その時エラはどき、と胸の鼓動が大きくなったのを感じていた。
そう実際、彼女は何故あんな時の彼に、と後々にも思わずには居られないのだ。何せ食事の時間も満足にとれないくらいだから、風呂も入っていないだろう。それこそ眠気との戦いのためにシャワーを浴びることくらいはあるだろうが、それ以外には、絶対に身体の手入れなどしていない。その証拠に、普段はちゃんと剃っているひげが色づいている。
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