第4話 絵の中の少年
俺は扉の方へ向かって問いかけた。
「君は誰だ? 男子部員は俺たちしかいないはずだ」
「今日は美術部員だけしかいない。何か忘れものでも取りに来たのか?」
この扉の前には物が置かれていて、暫く開けられた形跡がなかったからだ。
「ここを開けてくれ、お願いだ」
もう一度くぐもったような声がした。
「仕方ない、開けてみよう」
石田が積みあげられた机や画材などを移動させようと踏ん張り、俺も一緒に持ち上げた。
扉の前がひとまず何もなくなり、汚れて年季の入った扉を押し開けた。声は意外と近くから聞こえたようだったが、そこには誰も……見えなかった……。
「こっちだ……」
声は、美術室の入り口とは反対の方からした。
俺たちは扉を閉め、声のする方へついていった。美術準備室は廊下の一番端の方にあるので、まっすぐ進むとすぐに階段が現れた。
「階段の下から聞こえたのか? もっと近くで声がしたと思ったんだが……」
石田が不安げな声を出した。
「君たちが来てくれると思った。嬉しいよ」
更にはっきりした声が聞こえた。それは美術準備室の真下の部屋に当たる部屋の方から聞こえていた。
「ああ、下の階から聞こえていたのか。入ってみよう」
「ここ、化学準備室だったよな」
俺は、そっと取っ手を回し扉を開き中へ入った。部屋の中には机がいくつかありその一つにあの絵の中の少年が……何と座っていたのだ。俺たちは、叫び声をあげそうになり、必死でこらえた。
震える手で扉を閉め、二人で二、三歩前に進み始めたところで少年が制止した。
「これ以上近寄らないで! 僕のそばによると、元の世界に戻れなくなる」
何を言っているんだ、こいつ!
「君は、美術準備室にあった絵の少年か? 元の世界に戻れなくなるとはどういう意味だ!」
「言葉通りに捉えてくれ。僕のいるこちらの世界から抜け出せなくなるということだ。君たちのいる世界とは別の世界だ。君たちがきっと来てくれると信じていた」
青白い顔の中の鋭い目が、俺たちの方を凝視していた。
「俺たちに何の用があるんだ! 君はいったい誰なんだ! しかも合宿の日にこんなところへ呼び出すとは!」
俺たちは金縛りにあったように固まっていた。
「いいか、驚かないで聞いてくれ。俺はもうこの世界の人間ではない。三年前白血病になり化学療法や放射線治療あらゆる手を尽くしたが助からなかった。君たちと同じこの高校へ通っていた高校生二年生の時だ。その時僕は美術部に所属し、絵を描いていた。内気な僕にとって、美術部にいる時間は自分の内面をさらけ出せる貴重なものだった。時には海へ行き何時間もキャンバスに向かい、記憶の中の光景を何色もの色で描いていった。その時間が病気によって突然奪われることになった」
少年は長い前髪の下から鋭い眼光をこちらへ向けた。顔色は悪く頬は落ち窪んでいるようだった。
「すごいショックだったと思うし、気の毒過ぎて、何と言ったらいいのか言葉が見つからない。もしその時俺が同級生だったら、せめて一緒にいる貴重な時間を充実させてあげたいと思う」
石田が心から同情の気持ちを表した。こういって慰めるしか、この場をうまく収める方法がない。
「優しいんだな。君がその時に同級生だったらよかった」
少年の表情がふっと緩んだ。
「そんなことおなじ部員だったら当たり前だろ! 何か心配なことがあったのか?」
なぜここに呼び出されたのかということが気になって仕方ない。
「心配なこと? 気になることだらけだった。このまま高校生活がどこまで続けられるのか。果たして卒業後の生活が存在するのか。もし自分が消えてしまったら同級生の記憶の中に自分はとどまり続けることができるのか? 今後起こることの全てが気がかりで怯えていた」
そうだろうなあ、と同情する気持ちは起きてもこの初めて会った少年に何を言ったらいいものか言葉が見つからなかった。
「俺たちに話してもいいことだったら話してみてはどうだ? 案外気持ちがすっきりするかもしれない」
石田が助け舟を出してくれた。こんな時に本当に頼りになるやつだ。
「そうだな……とりあえず明日もまたここに来てくれ。友達になってくれればいい。ただし、ほかの人にここで会ったことは言わないこと。約束してくれないと僕にはもう会えなくなるだろう。君たちも元の世界に戻れなくなる」
俺は半信半疑だったが、ひとまず約束した。
「わかった。誰にも言わないで、明日もここに来る。君の友達として何か解決したいことがあったら力になるよ」
「ああ、後で頼むことがあるかもしれない。帰りはその扉から出て美術準備室に戻れるよ。誰にも見られないように帰ってくれ」
「たぶん大丈夫だ。女子はみんなシャワー室にいる。先生は恐らく職員室だ」
俺たちは扉を開け廊下を見回し、元来た道を戻っていった。二人とも唖然として言葉を発することも忘れていた。準備室に戻りようやく声を潜めて少年と話した内容について確認することができた。もう一度立てかけてあったキャンバスの少年の肖像画を見ると、先ほどの顔と瓜二つだった。
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