第2話 美術準備室の絵
「全く、森山先生ったずぼらだよなあ。いつもいる部屋なんだからもうちょっときれいにしといて欲しいよ。こんなに物が散乱したところで、よく耐えられるもんだ」
「お前はきれい好きから、気になるだろうな」
「ほんと、片付けられない奴の気が知れない」
石田が、準備室の戸が閉まっているのをいいことに、ぶつぶつ先生の悪口を言いながら古い作業台やベニヤ板、ペンキなど邪魔なものを一つ一つ端に寄せていった。中には放置された絵画やデッサンなどもある。
「まあ、おおらかと言えばおおらかだけど、かなりずぼらな性格だな。捨てるに捨てられずに放置されている作品たちもありそうだけど。かなり年代物のもありそうだ」
「確かにな……。おっ、おいおい翔吾、これ良くかけてるぞ。亮太ってサインが書いてある」
石田が、一枚の水彩画を手に取りじっと見つめている。俺も作業の手を止めその絵を覗き込んだ。
「ほんとだなあ。まるで生きていて、じっとこちらを見ているみたいだ」
その絵の少年は俺と同じぐらいの年代で、少しやせ気味で、頬が細く顎のラインがとがっている。背景の暗めの藍色の海と濃い灰色の雲が低く垂れこめている。それらが不気味にこちらへ迫ってきて、妙に居心地の悪い気持ちにさせた。
「顔の輪郭は細いけど、目は何かを見つめて鋭い感じがする。髪は、短めだけど柔らかい質感だな。トーンはちょっと、いやかなり暗いな。暗い未来を感じさせる」
石田のコメントは的を得ていた。その時扉がガタンと鳴ったような気がして、視線を移した。その後何の動きもなかったので、二人は目を合わせた。もう一度がたがたっと音がして勢いよく扉が開いた。
「そろそろ活動始めよう。画材をもってこっちに来て」
なんだ、あゆだったのか。俺はほっとしてそちらに細い目を向けた。あゆが、扉の向こうから手招きをしていた。制服を着ている時に比べると幾分声がリラックスしていて、ワントーン高い。俺たちは画材を持って美術室に移動し、描きかけのキャンバスを前に絵の具を何色か出し、スマホの中の海の写真を見ながら色を重ねていった。あゆがいつの間にか後ろに来て、絵を覗いていた。
「青山君の描く海は透明でキラキラした海。でも海って、もっと引き込まれるような怖さもあるよね」
あやねは、俺の弱点をさりげなく指摘してきた。確かにきれいな海を描くことに執着しすぎて、人間の力の及ばない自然の恐ろしさが感じられないところは俺も認めるところだ。
「俺だって、あゆの言いたいことはわかるよ。ただ同じ海にもいろんなイメージがあるだろ。俺は、あまりダークな色彩を使いたくない。っていうか、そういう深い色を出すのは難しい」
「おせっかいだったかな。せめてるように聞こえちゃったらごめん。この水面を飛び跳ねてる魚はトビウオか何か?」
「カモメがえさを求めて降りてきたところなんだけど。まったく、もう戻って自分の絵を描けよ!」
「わかった、わかった。じゃあ、お互い頑張ろうねっ!」
あやねは、そろそろと自分のキャンバスの前に戻っていき、目の前にある花瓶に生けられた花を描き始めた。
日が傾きかけるまで描き続け、誰言うともなく一人一人と道具をしまい始めた。夕食の準備をするために全員で一階へ降りた。バーベキューの道具を整えてからから花火に火をつけた。はじめはめいめいに手持ち花火を持っては、回転させたり上に向けている。それが終わると、打ち上げ花火を中心に据えた。打ち上げ花火が上がる度に歓声が上がり、緑や青黄色などの光の輪が夜空を照らした。その光は上を見上げている部員たちの顔の色を変えながら最後は暗闇の中に溶け込んでいく。
「夏の夜っていいよね。こうしてみんなで花火を見ると最高じゃない?」
女子の声がした。そんなふうに考えたこともなかった。人と人を繋げるために同じ光、同じ空間、おなじ闇を見つめている。最後に線香花火にかわるがわる火をつけては、風が当たらないように周りを手で囲い、まるで大切なものを守るようにに小さくなった火の玉を見つめた。落ちていく最後の瞬間、大切な何かが一つ消えてしまったような気がして、皆名残惜しそうに地面に落ちた小さな火の玉を見つめた。
「綺麗だった……。派手な打ち上げ花火もいいけど、線香花火もいいもんだね」
美奈が、すらりと伸びた足で近づいてきて目くばせした。彼女のそんな飾らないところが場の雰囲気を明るくしてくれる。俺たちはバケツの中に花火の燃えかすをいれ、水をかけた。バケツの中から夏の匂いがして、目がつんとした。
そのあとに一緒に食べた夕食も格別だった。皆でバーベキューをし、肉や野菜を甘辛いたれにつけて食べた。こういうことがないと外で食事をすることもない。野生に戻ったような気がして、ふと心が安らいだ。
後片付けをして、部屋へ再び戻った。美術準備室には、先ほど見た少年の絵が置きっぱなしになっていた。入った瞬間その少年は、俺たちを睨みつけているように見えてぎくりとした。まるで、生きていてこちらを観察しているようだった。
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