暁高校美術部夏合宿の怪

東雲まいか

第1話 合宿が始まる

 俺は、久しぶりに卒業した高校の前を通りがかった。あの暑い夏の日、学校であったことは今でもこの胸の中にしっかりと刻み込まれている。奇妙な感覚にとらわれながら、俺はその時出会った少年のまなざしを鮮明に覚えている。丁度今日のように空はどこまでも青く、遮るもののない痛いような夏の日差しを受けながら高校の校舎に入ったあの日。もうすぐ取り壊されることになった木造の古い校舎を前に感じた、得も言われぬ高揚感と懐かしさ。そう、それは三年前のことだ。

 俺は、自分の部屋で、荷物を詰めながら鼻歌を歌っていた。二歳年上で同じ高校に通う姉貴が、俺の部屋を覗き込みながら、好奇の目を向けている。


「翔吾、美術部の合宿って、何だか面白そうじゃない? 絵を描くだけじゃなくて、学校に泊まるなんて、なかなかできないもんね」    

「へへ、かなり楽しみにしてた。一日中、ほかのことを考えないで、絵を描いていられるし、古い木造校舎に泊まるのも乙なもんだ」

「あの古い校舎に泊まるなんて、私はちょっと遠慮したいなあ。何か出そうじゃない。お化けでも出るかもしれないわよ…… そうそう、絵が上達したら、私の顔を描いてもらおうかなあ。思いっきり美人に書いてよ!」


 いつものように、姉貴風を吹かせることだけは忘れない。


「自分の心で見た通りの絵しか描けないよ、まったく。美人かどうかは絵を見る人の主観によるからな」 

「何よ、生意気なこと言って。せいぜい得意な焼きそば作ってみんなに食べてもらいなよ!」

「おう、そうだな。行ったらすぐ買い出しだ」


 俺は、鞄に三日分の着替えと、絵の道具を詰め自転車を走らせた。八月に入り暑さは本格的になってきた。風はいくら自転車をこいでも生暖かく、俺は短パンにTシャツ姿だったが、次第に汗が噴き出してきた。学校に着くと、一階の職員室で森山先生がもともと丸い顔の頬をパンパンにして笑顔で迎えてくれた。


「青山君、張り切ってるわね、一番乗りよ」


 先生は、丸い目をさらに丸くして、たくましい二の腕を俺にぶつけてきた。先生の腕の圧力に押されて、ちょっと足がぐらついたが、体勢を立て直して俺は答えた。


「家にいてもしょうがないし……楽しみにしてたんです。少しだけど花火を持ってきました」

「わあ、いいものを持ってきてくれたのね。ありがと! 気が利くわ」

「夜も、みんなで盛り上がろうと思って」

「そうそう、ほかの部員たちが来たら、食材を買いに行ってきてね。裏庭でバーベキューをしましょう」


 森山先生は、財布から千円札を数枚取り出し、僕に渡した。バッグと、レンタルの布団を持って、合宿場所である美術室に向かった。校舎の廊下は蒸し暑く、築数十年という木造校舎の三階にある美術室まで昇ると汗ばんできた。鍵を開け荷物を置き、クーラーをつけて体を冷やした。絵の具の付いた筆や、水入れなどを洗う流しで顔を洗い、持ってきた炭酸飲料を一気に流し込んだ。

 一階に降り、ほかの部員たちが来ないか様子を見に行ったのだが、まだ姿が見えなかったので、森山先生が持ってきたバーベキューセットを車から出し、裏庭に運んだ。

 ようやく同学年の女子生徒桜田あやねと小関美奈が現れた。二人とも旅行鞄とコンビニの袋を手にしていて、飲み物や菓子などが袋いっぱい入っているようだった。体格の良いあゆが威勢よく言った。


「青山君、早かったのね! 私たちだって集合時間よりだいぶ早く来たのに」

「家にいても別にやることないし、準備することもあると思って」

「合宿って楽しそうだよね。私、ホラービデオ持ってきちゃった。夜見ようよ」

「俺は苦手だよ。遠慮しとく」

「へー、怖がりなの?」

「別にそういうわけじゃないけど……」

「合宿の雰囲気も盛り上がると思うよ」


 見れば必ずきゃあきゃあと叫び声をあげるのに、見たがる気が知れない。どんなに現実離れした映像が出てきても、それはあくまで作り物だという冷めた気持ちが心のどこかにあるから見られるのだろう。そうでなければ怖くて見られない。そんなことを考えながら、僕の眼は二人の足にくぎ付けになっていて、短パンにTシャツ姿の二人の姿も、僕の頭脳の中のかなりの部分を占めてしまった。

 十時近くになって、ほかの部員たちがやってきて、出席することになっていた八人は、そろって美術室へ移動した。男子部員は僕と石田元木の二人だけだ。入部を決めた時、男子がもう一人いたことを知りホッとした。めいめいに布団を一階から運び、美術室の隅に積み上げた。


「男子は、隣の準備室で寝てね。広い方の美術室は女子が使うから」


 森山先生が、男子二人に向かって隣の準備室を指さした。


「はーい、わかりました。布団を持っていきます」

「あっ、その前に準備室を片付けてスペースを作って。結構散らかってるから」


 俺たちは、先生に用があるときに入る準備室が、思いのほか雑多なものであふれていることを思い出した。画材や、古い作品などがそこかしこに無造作に置かれ、ほんのわずかな床を歩きながらどのようにスペースを作ったらよいか考えていた。俺たちは、誰が作ったのか全く得体のしれない作品たちをとりあえず部屋の隅に追いやり、重ねられるものは積み上げ、二人分の布団を敷くスペースを作った。部屋は教室の四分の一ぐらいしかなかったが、二人で寝るには十分だったし、狭い分かえって落ちつけそうだった。

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