第10話 上陸

 四月二五日。

 俺たちは船頭がオールで水をかく音だけを聞きながら、鉄板に守られた上陸艇という名の小舟に揺られていた。今のところ、敵からの応戦はない。目指すのは、オスマントルコ領ガリポリ半島の先端、ヘレス岬。我らが大英帝国の艦船が打撃を与えるのに失敗したオスマンの砲台が占拠する海域を、木の葉のような乗り物で突っ切れというのだ。


「緊張してるか、スイス人」


金髪でがたいのいい水兵ダニエルズが、俺の胸板を握り拳で叩く。


「まあな。初めての陸戦前にしちゃあ悪くない心持ちだね。そういうお前はどうだ?」


「同じようなもんだ。まあ、祖国のために戦うって大義がある俺と、傭兵のお前とでは少し違う点もあるだろうが」


言い返す言葉が見つからず、俺は黙る。

 突如、崖上でぱっと火の玉が現れた。と、思ったときには、俺たちのすぐそばを潜行していた上陸艇にオスマンが放った砲撃が着弾し、巨大な水柱とともに数十名の隊員もろとも瞬時に海の藻屑に変わった。


「敵襲、敵襲!」


「ああ、クソ! 俺たちもいつああなるかわからない!」


「それでも行くんだろ、兄弟! 祖国の為だ!」


 クリック軍曹が、泣き言を言い出した隊員のヘルメットを激しく手のひらで叩く。


「お前ら! 銃を用意しろ! 弾薬は確認したな。上陸の準備だ!」


上陸艇が浜に乗り上げた感触が靴底から伝わった。


「行け、走れ走れ!」


 軍曹の号令に追い立てられ、同じ分隊の兵士が次々と弾幕の飛び交う浜へ飛び出していく。俺とシェーマスは互いの顔を見合わせ、「死ぬなよ」と互いの肩を叩き合い、仲間に続いて海水と雨水のしみた海岸を踏んだ。

 身を低くした頭上を砲弾が飛び、耳元では弾丸が空を切って過ぎ去る。数十フィート先に砲撃が着弾し、隕石が衝突したように巻き上げられた湿った砂とともに、イギリス人兵士が何人も吹き飛ばされた。


「怯むな! 足を動かし続けろ! 撃たれるぞ!」


 叫んだ別隊の将校が、次の瞬間には眉間に被弾し、その場に倒れて動かなくなっていた。

 軍曹とシェーマス、分隊員のダニエルズが身を隠した岩陰に、俺は少し遅れて前のめりに滑り込んだ。泥が左目に入り込み、視界の遠近感が半減する。低下した視力で目を凝らして周囲を見回せど、残りの分隊員の姿はない。生存を、祈るばかりだ。

 傍らに横たわった友軍の兵士の傷だらけの顔にシェーマスが十字をきった。


「マズい。オスマンの野朗、俺たちの上陸地点を予測して事前に対策を練ってやがった。火砲が大量だ」


 クリック軍曹が崖の上の闇から連合軍に集中砲火を食らわす砲台を憎々しげに睨む。


「あの高台を掌握しなければ我ら海岸上陸隊に勝利はない。この隊であそこを捕るぞ」


「しかし軍曹!……我々四人では到底……」


 砲撃の轟音に負けじと声を張り上げるダニエルズに、軍曹はさらに大きな怒号を放つ。


「この状況で他の隊と満足な連携が取れとでも! 俺たちが声を上げればおのずと味方はついて来てくれる!――お前ら、休憩は終わりだ。俺について来れるか」


 シェーマスとダニエルズが意を決したように頷く。


「イエッサー」


「イエッサー」


「お前は、どうだ傭兵。命を捨てる覚悟のないやつはこの隊にはいらない。帰りたければ、今すぐ母艦に引き返せ」


「――やります」


「よし、来い!」


 クリック軍曹がホイッスルを吹いたのを合図に岩陰から飛び出す。俺たちに気づいた機関銃手が崖上から弾丸を文字通り雨のごとく降らせる。そんな中、先陣をきって突っ走る軍曹が叫んだ。


「別隊に告ぐ、我が隊はこれから崖の火砲を叩く! 勇気ある者は我らに続け!」

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エーデルワイス 星野響 @H-Hoshino

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