第4話 家族
「さあ、お待ちどうさん、この村自慢の牛乳から作られたチーズフォン、デュ、だ……?」
アンナさんと一緒に戻ってきた村長の表情が固まる。
「やあダヴィット村長、待ってました」
村長は、片手を上げる疲弊しきった僕と、「やべっ」を顔面に貼り付けて向かいの木製椅子に座った長男坊を代わる代わる見つめた後、ずかずかと息子に歩み寄り、手の持ったフォンデュ鍋をテーブルに放り出してから、空いた両手で息子の肩を鷲掴みにした。
「お前、あれほどアランにちょっかいを出すなと言っただろう! なぜ人の言ったことが聞けない !! 同じようなことを言うのはこれで何度目だ? お前は自分の夢のことになるといつもいつも――」
「あったりまえだろ!! こんな機会一生めぐってこないかもしれないのに、どうやってじっとしてろって言うんだよ」
「夢を語る前に分別をわきまえろ!!」
双方とも頭に血が上り始めたようで、私の存在がどんどん無視されていく。
このハブとマングース、気弱な僕には到底手に負えそうにない。
この場で唯一、二人の衝突を止める力を持っているのは。
「お客さんがいらっしゃるのにそんなみっともない姿見せないの。それこそ分別の欠片もないわよ」
おお、結構強く出たな、アンナさん……。
僕の予想を遥かに超えたアンナの肝っ玉ぶりに男二人は渋々といった様子で黙りこくってしまった。
彼女は満足げな表情で、手に持っていた角切りパンや野菜入りのボールを音高くテーブルへ置いた。
「さ、気を取り直して、ご飯にしましょう。ノアも呼んできますから。遊び疲れて寝てると思いますけど」
と言ってふっと笑った。
アンナが二階へ上がって行ったのを見届けてから、ダヴィットは「いいな、夢ばかりにとらわれるな。今何をするのが正解か、常に考えろ」と眉間にシワを寄せ、念を押した。
「……わかってるよ」
そんな小声のやり取りを僕は口角を上げて聞いていた。
多分、ユリウスは、父親の目に宿るものにも、母親の言葉に縫い込まれた心にも、気づいていない。
一家は幾度となくこんなやり取りを繰り返しているのかもしれないが、何回堂々巡りしたかがユリウスに気づきを与えるのではないだろう。
でもいつか、両親の心持ちが理解できる日が、必ず来るから。
その「日」を越えた僕の表情は、優しかっただろうか。
階段から二重の足音と気がきしむ音がして、ものすごく眠たげな声が降ってくる。
「おはようございます、あれんさん……?」
「アランさんよ。あと、もう夕ご飯時よ」
まだ十歳前後のノアと母親の会話は、さながらコントのようだ。
吹き出した僕に、ダヴィットもユリウスも苦笑じみた目を向けてきた。
やっぱり、親子だ。
うまく笑えないときの顔つきがそっくりだった。気づいた僕は、さらに腹を抱えて笑った。
カチャカチャと食器どうしがぶつかり合い、音をたてる。
一時はどうなるかと思っていた食卓も、この通り、笑顔と温もりに満ちている。
僕は初めて食べるアルプス伝統料理を堪能した。
溶けたチーズに浸すと硬めのパンもほどよくふやけてくれる。
熱を持ったチーズが発する香り高い蒸気は口のなかいっぱいに広がる。
産業革命を経験し、排煙と工場排水が引き起こす公害に満ち満ちたロンドンでは味わうことのない、世代を超えて語り継がれてきたであろうレシピが作り出す素朴ながら上品な味だった。
フォンデュフォークを動かしながらアンナが言う。
「やっぱりアランさんがいるのといないのとでは大違いね。ダヴィットとユリウスの口喧嘩がこんなに早く収束するなんて」
僕はその言葉にちょっと浮かれてフォンデュの具をおかわりした。
珍しいもの見たさに、ちょくちょくと村人たちが村長宅に訪ねてきたのだが、多くは驚きを隠せない様子で、少しばかり落胆したように帰っていった。
多分、僕が一家に馴染みすぎていたせいだ。
心根は優しかった村長の気配りで僕には一階の個室があてがわれた。
ダヴィット村長のご両親、つまりユリウスとノアのおじいさんおばあさんが住んでいた部屋だったらしいが、おじいさんは十年ほど前に、おばあさんがつい昨年亡くなったらしく、空室になっていたのだという。
誰も使用者がおらず、隅にはホコリがたまり、蜘蛛の巣もはられ始めていたその場所をわざわざ一家総出で掃除してくれたのだ。
村長一家様様だ。
が、そこにまで例のユリウス少年が性懲りもなく屋根裏部屋からわざわざ出向いてきて、ひと悶着起こしたことは言うまでもない。
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