第2話 嵐

 嵐と言ってもよいくらいの天候にもかかわらず、集落の住人は入り口に集り、人だかりをつくっていた。

その数、約百人。

家の数から見て集落の住人全員が、突然の来訪者を一目でも見ようと、わざわざ家から出てきたようだった。


 派手にプロペラ音を鳴らしたせいで訪問を知らせてしまったようだ。

彼らに気を遣わせたことが急に申し訳なく思えてくる。


 作業用とみられる家畜のにおいが染みついた民族衣装を纏った人々は、僕のことを半分は客人として、もう半分はどこか珍獣を前にしたような目で見ているようだった。

そんな好奇心を隠しきれない視線で見つめられて、緊張に弱い方の僕はほとほと対応に困った。


 と、ひとりの男が人垣の内側から前に進み出てきた。

働き盛りの屈強な熟年といった雰囲気の彼は、警戒と好奇心が混在した両目で僕を見つめた。

身長は他の村人より低いのにもかかわらず、その風格は群衆のなかで抜きん出たものがあった。


「ようこそ、ゴーサゼィ村へ。私が、この村の村長ダヴィットです」


 ドイツ語だ。僕が日常会話程度なら話せる言語だ。

国際交流のチャンスと見た僕は張り切るあまり。


「アラン=マーフィーです」


 返して習慣で敬礼をしてしまい、慌てて、気軽にアランとでも呼んでいただければ、と苦笑いで補足する。


 幸いにも、村長はさも当然のことのように流してくれた。


「酷い雨ですので是非ともゆっくりしていただきたいところなのですが、しかし……」


 そこで立派なヤギヒゲをはやした村長は怪訝そうに眉をひそめる。


「何故このような何もないような集落に? 服装と敬礼の様式から類推するに、あなたはイギリス海軍のパイロットでしょう」


 村人たちにざわめきの波紋が一気に広がる。

皆が不安げに互いの顔を見つめるなか、一つの声が空気を読まず興奮気味に叫んだ。


「海軍? お兄さん海軍なの!」


 その場にいた全員が声の主を探して目を泳がせる。


「すごいや!」


無邪気としか言いようのない感嘆を発して群衆をかき分けてきたのは、十代前半と見られる少年だった。

くるくると癖のついた金髪の下でいたずらっぽく瞳を輝かせている。


「こら、ユリウス。危険かもしれないから大人しくしていなさいとあれほど言ったのに、お前というやつは」


「えー、父さん……だって、お兄さん悪い人に見えないじゃん」


 声変わりしかけの聞き取りづらい声で言い訳じみたつぶやきを発し眉をへの字に曲げる息子に、ダヴィット村長はあからさまに大きなため息をつく。


「人は見かけによらないものだ。さあ、わかったら引っ込んでいなさい」


「そうだよお兄ちゃん。だから止めたじゃん」


 いつの間にか、弟とみられる子供や母親まで参加して、ユリウス少年はズルズルと人だかりの内側へ引きずられていってしまった。


 一連の光景にぽかんとするしかなかった僕は、村長の咳払いで我に返った。


「うちの倅がすみませんでした。あいつ、海に憧れているもので。ゆくゆくは村長の座を継がせようとしているのですが、どうもね……それで、話の腰を折られたせいで、あなたの目的を聞きそびれていましたな」


 ああ、そうでしたっけ、と妙に遠ざかってしまった記憶を呼び起こしてから僕は後頭部をかいた。

それから大袈裟に肩をすくめてみせる。


「あなた方は僕のことを海軍将校か何かのような目で見ますけれど、僕はただ、イギリス軍に雇われて新型飛行機のテスト飛行をしているだけのしがない人間です。ここにだって、戦闘機の機体がアルプスの乱気流に耐えられるか検証しに来たのです。それで、予想外の悪天候に遭って、仕方なくあそこの草原に不時着したというわけです。全く、命がけの仕事ですよ。報酬はいいんですけどね」


 自嘲気味に笑いながら僕は胸ポケットのあたりを指先で叩く。


「ほら僕、軍服を着てはいますが、勲章のバッチも所属部隊のマークも何もついていないでしょう」


 先ほどとは全く別種のざわめきが村人たちの間に広がり「確かに」「本当だ」といったつぶやきが聞こえてくる。

村長も「ほう」と唸る。


「それに」


僕は腰のホルスターから一丁の回転式拳銃を取り出す。

引きつった悲鳴がチラホラとあがったが構わず続ける。


「護身用のウェブリー・リボルバー。僕が所持する唯一の武器です。なんと、ブリテン島にまだ実権を持った国王がいた時代に作られたシリーズものですよ。もちろん近代化改修は為されていますがね、旧式です。いかんせん、装弾数が少ないのと弾の再装填に時間がかかるのとで、少し頼りないのですが。テストパイロットにはこれで十分と言うことでしょうか」


 言ってのけ、僕は静かに回転式拳銃を収める。


 自慢のポンコツ銃が僕の狙いに反する効果をもたらしてしまったのか、村人全員の顔色はお世辞にも素晴らしくなったとは言いがたい。


「えーと、それとも何です? 僕と一戦交える気ですか。いくらこっちに火器があると言っても、村人全員で鍬とか鋤とかでかかってこれば、僕なんてイチコロだと思いますけど。さっきも言いましたが、なんたって六発しかないんですもん。全部急所に当てたって最大で六人にしか勝てませんよ」


「……何が言いたい」


眉間にシワを寄せる村長に、僕は苦笑してみせた。


「つまり、僕が不時着を装ってこの村に危害を加えるなんてありえないのです」


 村長はしばらくの間黙っていたが、やがてゆっくりと首肯した。


「君の物言いには癪に触るものがあるが、筋は通っていることは認めざるを得ないようです。よって我々があなたを拒む理由はない」


「ありがとうございます」


 飛行帽を脱ぎ、会釈しかけた僕を、ダヴィット村長が片手を挙げて制す。


「しかしながら、あなたの接待、宿泊場所の提供等はすべて私が行います。まだ完全に信用しきれたわけではないのでね。他の村人に万一のことがあっては困ります」


「億にひとつもないですって」


 口を尖らせながらも僕は、ぶっきらぼうに手招きする彼について行った。

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