ついに下船へ

毎日下船グループが発表され、次々と人々が下船してゆくなか、


下船最終日の前日になっても、私の部屋には何の通知も来ませんでした。


もしかしたら、検査が陽性だったのかもしれない…


そんな不安が常に頭の中を過ります。


不安な気持ちのまま迎えた下船最終日の21日の朝、やっとPCR検査「陰性」の結果が記された上陸許可証が発行され、下船が決まりました。


下船は指定のグループ番号ごとに呼び出されました。


ついに自分の番号が呼ばれ、荷物を手に取り、忘れ物がないか、最後に部屋をぐるっと見渡してみました。


クルーズ出発から約1カ月過ごしたこの部屋は、既に居心地の良い我が家のようで、お別れするのがとても寂しい気持ちになっていました。


離れがたい思いを振り切るようにして、一歩部屋の外に出た瞬間に、一気に現実が襲ってきました。


普段はクルー達やお客で賑やかな廊下が、誰の姿もなくシーンと静まり返っているのです。


ずらりと船室が並ぶ、長い長い廊下を歩いていると、陽性患者の出た部屋につけられた、目印のシールが目に飛び込んできました。


「あぁ、この部屋も。あそこの部屋も……」


想像以上のあまりの数の多さに、思わず愕然とし、その中には何度か親しく挨拶を交わした方のお部屋も見つけてしまい、胸が苦しくなる思いでした。


重く沈んだ気持ちで廊下を進んでゆき、やっと下船口に到着し、出口の光が見えた瞬間に、緊張状態が一気に解け、肩の力が抜け、その場に崩れ落ちそうになりました。


船を降りると、クルーだけでなく、自衛隊の方も出迎えて下さいました。


自衛隊の支援が入っていた事は聞いていましたが、その姿は部屋からはあまり見る事が出来なかったので、こんなに大勢の自衛隊の方達が支援で入って下さっていたのかという思いと、改めて今回の事態は「災害」であったのだと実感させられました。


下船の際に自衛官の方より

「ご苦労様でした」と声をかけていただき、

「お世話になりました。ありがとうございました」

と感謝の気持ちを込めて直接お礼をお伝えする事が出来て良かったです。


後日、船内活動を行った自衛隊からは1人の罹患者も出なかったとのニュースを聞き、その完璧な任務を遂行された姿に、改めて自衛隊の皆様に敬意を払いました。



下船後は、自宅へは帰らずに手配の車でたった1人で別荘へと向かいました。

 

あの船内隔離では十分とは思えず、今後発症するかもしれない可能性に備えたかったからです。  


非常に辛い決断でしたが、大切な家族を思えばこその行動でした。


別荘には事前に家族が食料などを運び込んでくれていて、すぐに生活が出来るよう整えておいてくれていました。


それでも、たった1人での生活はやはり苦しかったです。


今までは絶えず人の声や気配がありましたが、それらがいきなり途絶えて、風がカタカタと窓を揺らす音しかしないのです。


とても寂しくて堪らなかったです。


テレビをつけても、明るいニュースは殆どなく、また、下船したクルーズ客達が帰宅後に、地域から村八分のようにされている記事にも、心を痛めました。


そんな中で、家族や友人達との電話が、唯一の慰めとなりました。


振り返って、いつが一番辛かったですか?と聞かれたら、この自主隔離期間だと間違いなく答えると思います。


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