日本の支援
隔離期間も中盤に差し掛かり、外ではメディアの報道もいよいよ加熱して、まるで「死の船」のように呼ばれる中で、相変わらず私の部屋の中は特別な不満も無く、穏やかで平和でした。
それは、多くの方たちの支援を実感していたからです。
毎回、お食事を受け取り、テーブルの上に並べていると、ふと涙がこぼれそうになりました。
本来なら、もう船の"お客さま"ではない私たち。出される食事が、おにぎり1個でもおかしくない状況です。
それでも、多くの方たちの支援のおかげで、こうして温かい食事がいただけるのだと、いつも感謝の気持ちで胸がいっぱいになっていました。
この船に乗っていた事で、あらゆる事に感謝するようになりました。
それに、『ありがとう』の気持ちがあれば、自然とポジティブな感情も湧き上がってきます。
このポジティブさで船内生活を乗り切れた気がします。
日本は総力を挙げてこの船を支援して下さいました。
厚労省から派遣された医療支援チームの他、中には無償のボランティアでこの船に乗り込んで医療に従事して下さった方達もいらっしゃいました。
全国の病院が、船内で出た600人以上の陽性患者受け入れてくれました。
自衛隊も派遣されました。
また、日本の支援のおかげで、3700人分の大量の食料や必要物資がほぼ毎日船内に届けられました。
船内放送でも繰り返し、日本の支援の内容が伝えられていました。
船の水を入れ替えるために、外の海へと出る時には、船内で緊急の患者が出た時のために、海上保安庁の船が常に付き添うようにして併走して下さいました。
真っ白い船体に、ブルーの文字で誇り高く入った
『Japan Coast Guard』
の名がこれほど頼もしく感じた事はありませんでした。
船は定期的に外の海へと出て、水の入れ替え作業が必要だったのですが、これらは大きな負担でした。
しかし、日本の支援で作業船が派遣され、外の海に出なくても水の入れ替え作業が出来るようになったのです。
夜遅く、ふとベランダに出てみると、眼下では、動き難い防護服に身を包んだ作業員の方たちが、手摺りなど無い揺れる小型のバージ船の上で、懸命に作業を行っていました。
その姿を見て、
"ありがとうございます"
と心の中で何度も何度も呟いていたのを思い出しました。
こうした日本の大きな支援が、ほとんど国内外に報道されなかったのは、非常に残念だと思っています。
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