6-3
「いろいろ、大変でしたね」
「はあ、まあ」
海が山に隠れた後、再び猪塚を見遣る。
猪塚は変わらず前を見ていた。
この人、いいな。
目の前にいるのに、どこか無関心な感じも、いい。
こーゆー人はきっと人の悪口や噂話をしないだろう。おかしな人間関係にも首を突っ込まないタイプの人間だ。
居そうで居ない貴重な人だ。
「一人で勝手に大変になってました」
「あははは・・・すみません、笑ったら失礼ですよね」
勇気を出せば仲直りだってできたかもしれない。
もっと勇気を出せば、ひとりでだって楽しくやれたかもしれない。
何かを見つけられたかもしれない。東京で、猪塚のシイタケのような、何かを。
「いいえ、笑ってやってください。私も、なんだか今考えるとおかしいです」
素直な言葉を口にしても馬鹿にされない。攻撃されない。
笑ってうなずいてくれる人がいる。
それだけで今の私には十分だ。
「また、ドライブ連れてってくれますか?」
猪塚が少し驚いた顔をした後、うれしそうに笑う。
「いいですよ。次はどこにします? 美里さんの行きたいところに行きましょう」
「行きたいところなんてありません。一緒に行く人が重要ですから」
「え?」
猪塚が不可解な顔をして首をひねる。そして、少し照れたような表情を浮かべた。
理系の男にはわかりずらい、ひねりすぎた好意の示し方だったか。それでもなんとか通じたようだ。
「私、陶芸やってるんです」
「らしいですね。聞いてますよ」
「本気でやっていきたいんです」
「そうですか。いいんじゃないですか。応援しますよ」
「ほんとですか?」
「ほんとです。一緒に夢を追いかけましょう」
「はい!」
思わず大きな声が出る。四郎はニコリと笑ってそれを受け止めてくれた。心がじんわりと温かくなる。
この人が、好きだと思う。
これでいいんだよね、百済の姫。
美里はボタンを操作し、窓を下ろす。
入ってきた風が美里の前髪をめくった。
海は山の背に隠れてしまっているが、潮の濃い香りがする。
「海だ・・・」
「潮の香りがしますね」
「私、大好きなんです。この匂い」
「それは、良かった」
「はい!」
行く先の空を見あげると、もくもくと大きな雲が立ち上がっていた。
重なり合う雲が唐花六花鏡の一辺を形作っているように見える。
それを見つめる美里の表情はどんどん柔らかくなっていった。
都落ちの姫たち 梅春 @yokogaki
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