第371話 魔軍交戦68 肉塊

「最悪……デスね」


 トト・ロア・ハーテンは芋虫のように体を引きずりながら都のスラムを徘徊していた。

 ライコネンが死んだ。魔王エイダンも、重傷となり逃走している。マギサ・ストレガという一番の障壁を取り除いたみたいだが、ここまで劣勢に追い込まれるとは思ってもいなかった。特にライコネンだ。あれが真正面から戦って負けるなど、想定外だ。


 いつでも後ろから魔王エイダンの背中を刺す気でいた。それはトトなりの彼への畏れであり、敬意でもある。正面から殺せるとは思えないほどに、魔王エイダンは強い。だからこそ、正面から戦う人間を別に用意してきた。かつて、ライコネンを魔王軍に引き入れる提案をしたのもトトである。獅子族という脳筋のおさだ。魔王に決闘を申し込むことを予想するのはあまりにも容易だった。両者が消耗したタイミングで魔王軍を乗っ取れると画策したのだ。


 西や南の冒険者や賢者達。獅子族の王ライコネン。そしてマギサ・ストレガ。


 あらゆる人間を魔王の正面にぶつけ、背中の隙を窺ってきた。卑怯で結構。トトにとっては結果が全てであり、過程は美しくなくて良いのだ。何故ならば、彼の生前はあまりにも醜い。死後死者の王になったとして、小綺麗に動こうなどという発想は彼にはない。


「マギサ・ストレガは最高の仕事をしまシタ。問題は、かつてないホド魔王が弱っている時に、ワタシが側にいないことデスね」


 千載一遇の好機を逃した。

 だが、それを悔いるほどの余裕は自分にはない。

 呪いを収集しなければならない。今の自分は、屍の王として君臨していた影も形もない。


 だが、悪運がいい。ここは戦地だ。人が恐ろしい速さで死んでいく。人の死とは、怨念の源泉である。それは彼の主食だ。


 周囲を伺い、呪いや怨念がリアルタイムで生まれていることを感知する。最も強い呪いの気配がする方へ、トトはずるずると這っていく。

 呪いの発信源に着くが、トトは意外に思った。

 そこには人間の死体もなければ、魔物の死体もいないのだ。

 おかしい。

 呪いが発生しているということは、恨みつらみを抱えて死んだ人間がいるはずだが。


 代わりにいたのは、犬人族の商人だった。

 いや、商人かどうかも怪しい。地面に不衛生な御座ござを敷き、その上にガラクタを並べている。劣化して茶色になった値段タグがついていなければ、それが売り物だなどと誰も思わないだろう。

 ボルゾイ犬のようなその男は、不精に体毛を生やしている。毛が地面にべったりと擦り付き、土で毛先が汚れている。

 誰が見てもガラクタ。

 だが、トトにとっては宝の山だった。

 そこにあるのはどれも、呪魔法具カースドアイテムだからだ。

 これを全て食べれば、A級冒険者相手でも戦えるほど回復する。

 其れ見ろ。神などいないと、無いはずの舌なめずりをする。自分のような悪鬼にチャンスが与えられるのだ。いるにしても、この世界の神は人類を見捨てているに違いない。


「フフフ。ワタシにこの世界を統べろと言われてるヨウな気さえしますネェ」

「はて、何の話かな。お客人」


 ボルゾイ犬のような男は、トトに話しかける。

 トトは驚いた。人骨を黒いゲル状の物質で包まれた見た目の自分を、客と呼んだのだ、この男は。

しかし、すぐ納得する。この男の目は、トトが今まで何度も見てきた目だ。全てを諦めた人間がもつ、濁った目。自分に捕まり、体をいじられ、尊厳を全て奪われた人間は皆、最期はこんな目をしていたものだ。

 機械的にいつもの挨拶をしただけだ。ルーチンワークのように来客対応しただけだ。そのついでに殺されても、この男は何とも思わないだろう。トトにはそれが分かる。分かるほどに、この男の人生は終わっている・・・・・・


「素晴らしい品揃えデスねェ」

「そうか。それを言われるのは何年振りかな」

「フフフ。ワタシ以外にも、この価値が分かる人間がイルのデスね。親近感が湧きます」

「そうか」


 この男は「今からお前を殺す」と言っても、同じイントネーションで「そうか」と言うのだろうな。トトはそう思った。


「何をお望みで?」

「全部デス」

「全部?」


 初めてボルゾイ犬の男の表情が動いた。

 トトにはそれが面白くて仕方がない。この男には、感情がわずかに残っている。であれば、殺し方によっては怨念を回収出来るかもしれない。これから起きる「いいこと尽くめ」に、トトは表情筋もないのにほくそ笑む。


「……済まない。計算は苦手なんだ。会計を少し待ってくれるかい?」

「イエイエ、お構いナク。ワタシもこの後忙しくテネ」

「そうですか」

「この国を滅ぼすのに忙しいのデス」

「?」


 ボルゾイ犬の男が眉を傾げる。

 トトはいよいよ愉快でたまらない。


「そうデスねェ。まずは何をしまショウか。このスラム街の人間を一人残らず殺しまショウか。いい養分になるでしょう。今はどちらの戦力も王宮と西に集中してイル。ワタシがここで虐殺しても誰も見向きもしないでショウね!どうせスラムに蔓延る命だ。生きてても死んでイテも、どの道廃棄物スラムデス。その次はどうしまショウか。魔王にとどめを刺してもいい。ついでにルーク・ルークソーンを殺してもいい!生意気な吸血鬼を養分にしてもいいデスね!魔女の帽子ウィッチハットの指揮権を魔王から取り戻し、四天王アーキアを起動してこの国を根こそぎ壊滅させル!巨人の国エルドランのようニネ!あぁ、そうそう!ライコネンを殺したあのガキ。ストレガ……フィル? フィオ?まぁ、ドッチでもいいデス。ストレガの弟子も殺シテおきまショウ」

「お会計が済みました」

「オヤ、意外と早かったじゃないデスか。愚鈍な犬畜生の脳みそでも一丁前の仕事が出来るじゃァないですカ」

「お召しになって帰られますか?」

「ハァ? 何ヲ言って」


 ガチャン。


 硬質な音が路地裏に響いた。

 音源は、トトの手首である。

 無骨な錆びた銀の腕輪。それが剥き出しの骨の手首にかけられていた。


「コレ、は?」

「その、フィル・ストレガ様が買いあぐねた逸品になります」

「何ヲ……アァ!?」


 身体中から魔力が迸るのがわかった。

 出力の増強。

 腕に巻かれた魔法具がその類であることを、トトはすぐに察した。

 これは、こと戦闘においては高いアドバンテージをもたらしてくれる。

 だが、現状況においては不味い。トトには魔力の残量がほとんどない。


「は、何!? コレは。根こそぎ奪ってクル? ワタシの、ワタシの命の源がぁ!?」


 トトは対呪魔法具カースドアイテムへの耐性が抜きん出ている。この世に存在する魔物では唯一無二と言ってもいいだろう。だが、この呪魔法具はトトにとって相性は最悪だった。ボルゾイ犬の犬人族の男にとっては行幸とも言えるだろう。


 装備者を痛めつけることが呪魔法具の常である。銀の腕輪はその逆。装備者を強化する。ひたすら強化する。その者が死ぬその時まで。

 奪うのではなく、与え続ける。


 傷つけられることを拒絶し続け、死者の王にまで昇華進化したトトでさえ未知の魔法具であった。


「アァ、萎む……萎む……。ワタシの命ガ」


 路上に伏すトトの思考が鈍っていく。

 走馬灯がよぎる。まだトトが貧弱な人間だった時。虫のような思考しか持たなかったスケルトンだった時。リッチーに進化して思考を再び手にしたときの喜び。

 もう手放したくない。

 生への渇望も。力も。思考も。


「ふざけるナ。こんなコトが、ワタシの終ワリ? そんなワケがない!そんなことがあってたまルカ!ワタシから奪うナ!ワタシのモノだ!全て、全て、全てェエエ!」


 トトは全ての欲望を捨てた。

 王になることも。死という恐怖から解脱することも。エイダン、ライコネン、ストレガ。全ての強者を覆す強さも。

 全てを捨てて、最期の悪あがきを決断した。


 目的は、奪取から嫌がらせにすり替わった。


「アーキアァ!全てを喰らい尽くセ!ワタシの命モ!この都モ!国モ!魔王さえモ!お前コソがワタシが生きた証!全てを平らげて君臨セヨ!お前こそがこの世界ノぜんとナルのだ!」


 針の城が爆発した。

 トトから溢れる魔力が、全て流れてそちらの方へ飛んでいく。

 巨大な肉の塊が行動を開始した。

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