第368話 魔軍交戦65 獅子奮迅3

 ライコネンは喜びに震え上がっていた。


 かつて、肉弾戦を正面から受けてくれる人物がいただろうか。否、いない。

 自分の拳を正面から受け止めてくれる人物がいただろうか。否、いない。


 戦ってきた人物は皆、挑戦者だった。低きから自らを見上げ、挑んでくる。魔法に頼り、技に頼り、武器に頼り、防具に頼る。そして、彼らが自分と戦う時に「倒す」という思考はいつも見当たらなかった。誰もが生き延びるために挑んできた。誰もが時間稼ぎのために挑んできた。拳を思い切り叩き込める好敵手はいた。だが、それはいなされ、かわされ、手元に実感が返ってくることはなかった。


 それがどうだ。


 目の前のエルフらしき少年、フィオ・ストレガは。全て正面から受け止め、全力の殴打を返してくる。理解しているのだ。どういう原理かは分からないが、今の彼の魔力量は、およそ人類種が出せる許容量を限界突破している。だが、トウツ・イナバほどの技はない。今の時間制限魔法を使っている間は、中途半端な技量よりも力押しが最も効率が良いと踏んでいるのだ。

 それがライコネンにはどうしようもなく心地よかった。


「お前、俺と同じくらい強いな!否……俺より強いな」

「あぁ!? 何言ってんのか聞こえねぇよ!」


 それもそうだ。

 お互いの殴打の音で大気が震えている。骨が軋んで音を奏でる。筋肉がひずんで三半規管をぐるぐる回してくる。打撃で自分の体が凹むのを見るのは何十年ぶりだろう。

 挑戦者チャレンジャーとして戦えるのは何十年ぶりだろう。

 幸せを噛み締めている。

 30秒が無限にも感じられるほど、戦いの密度が美しく凝縮されている。

 この戦場で戦う相手がこの少年で良かった。

 おそらく、この少年の師匠であるマギサ・ストレガでも。この殴り合いに応じてはくれなかっただろう。彼女であれば、搦手からめてで自分を打倒しようとしただろう。かつての魔王のように。


「楽しいなぁ!楽しいなぁ、フィオ・ストレガァ!」

「何言ってんだよ!楽しいわけないだろバーカ!死ぬぅ!マジで気ぃ抜いたら死ぬぅ!」


 身長の低いフィオのストレートがボディにめり込む。

 ライコネンが拳を振り落とし、フィオの足元が陥没する。

 返すアッパーでライコネンの足が浮く。

 ソバットでフィオの顔面が横にブレる。

 体を捻ってのハイキック。ライコネンは左肘を畳んでガードするが、上腕と二の腕の筋肉がブチブチと千切れる音を肩と首を伝って感じる。

 空いた腕でのラリアット。フィオが地面に叩きつけられ、更にクレーターを地面に作る。

 すぐさま立ち上がり、胴に頭突きを叩き込む。腹の中で臓器がシェイクされる。

 返す手で、痛んだはずの左腕のストレート。フィオの体がくの字に曲がる。指取り。ライコネンの巨大な拳を殴られながら掴み、フィオは親指と小指を捩じ切って、折り、千切る。獅子の王は、左手は手土産とばかりに無視して右のストレート。フィオは空中で体を捻ってソバットで迎撃する。足首が使い物にならなくなった致命的な音が、フィオの耳小骨に響く。

 また地面にクレーターが出来上がる。


 殴打。殴打殴打殴打殴打殴打。

 二人はいつの間にか基礎的な武術すら用いなくなった。ひたすらお互いの顔面とボディへ向けての殴り合い。骨が破裂する音がする。筋肉が捩じ切れる音がする。フィオは時間制限でダメージに気を配る余裕がない。ライコネンはこの甘美な時間を惜しんで全霊をもって打ち返す。


 30秒。

 時間切れがきた。

 それを感じたフィオは、残りの魔力を全て右腕につぎ込む。

 察したライコネンも、全ての魔力をもって右腕に圧縮する。


 大気が波動で震えた。

 周囲の家屋が吹っ飛び、更地になる。


 両者、魔力を失い地面に片膝をつく。


「はぁ、はぁ、はぁ。なぁ、楽しかったよなぁ? 楽しかったろう?」

 掠れた目を擦り、ライコネンが言う。


「うるせぇよ。何であんた倒れないんだよ。普通そこは俺が勝ところだろうが」


 空気読めよ、空気を。

 薄れそうな意識を必死に繋ぎ止めながら、俺は言う。

 何なんだよこの化け物。勘弁してくれ。異世界転生ボーナスって何? 美味しいのそれ。現地民にチートが多すぎて勝てない件について。マジで肝心な時に勝てないのな。俺って。


「おい、お前。やっぱ魔王軍に入らねぇか? そんでもって、時々俺と死合おうや」

「それって何ていうジャンルの地獄?」


 冗談じゃない。何が悲しくて猛獣のご機嫌とりのために生きないといけないのか。トウツやファナのセクハラ地獄の方が万倍マシである。


「応じるわけないだろうが。あんたを倒せば、この戦争は半分勝ったも同然だ。俺はあんたを倒すぞ。いや、殺す。殺さないと、クレアに平穏は訪れない。悪いな。俺はどうしようもないシスコンなんだ」

 ファイティングポーズを取り直して、言う。


「そうかよ。残念だ」

 心底残念そうに、ライコネンもまた両腕を広げて待ち構える。


 おかしいな。左腕を完璧に破壊したはずなんだけど。当たり前のように左腕も構えをとっている。戦闘民族が過ぎる。


「魔力一切抜きでの肉弾戦か。原始的だが、自力が問われる戦いだな。何だお前、天才じゃねぇか。この戦い方で良かったんだよ。俺は多分、生まれた時からこういう戦い方をしたかったんだろうなぁ」

「そうかよ」


 頭の中でシミュレーションする。体躯も身体能力も相手が上だ。しかもトウツの体捌きも学習ラーニングしている。だが、今しかこいつを倒せる好機はない。この男の無尽蔵の魔力が底をついたのは、おそらく人生で初めてだろう。ここを逃せば、二度と倒す機会を失ってしまう。


「いざ」

「尋常に」

「「勝負!」」


 片足にスプリントをかけて一気に下へ潜り込む。

 一閃。

 ワイバーンの亜空間マントから紅斬円を取り出しての居合い。魔力を用いない舜接斬。

 スウェー。

 3メートル以上ある巨躯とは思えない速度でライコネンが反応し、上体をそらしてかわす。

 一瞬、黄金のネコ科の目と自分の目が合う。目が語ってくる。「お前、それはないだろうよ」と。気持ちはわかるが勘弁してくれ。肉弾戦で勝てるわけないだろうに。刃物えものは使わせてもらう。武器これも含めて、俺の実力だ。

 返す巨大な爪。一本一本が研ぎ澄まされた包丁のような爪が顔を横薙ぎに襲う。ダッキングしてかわす。

 体を回転し、捻り横一閃。手元に重い感覚が返ってくる。

 何と、刀の柄を足の裏で押さえつけてきたのだ!

 でかいのに器用すぎんだろうが!


った」


 足の裏で器用に刀を押し退け、返す爪が襲ってくる。

 やつと目が合う。

 寂しそうな目をしている。

 やっと見つけた、まともに戦える敵を殺さなければならない悲嘆か。それとも、最期の最期に刀へ頼った俺への侮蔑か。


 もういい。

 もう十分だろう。

 ここまでこいつを追い詰めたんだ。

 魔力なしのこいつなら、他の誰かが何とかしてくれるはずだ。

 俺は、役目を果たしたんだ。




 そう思い、穏やかに目を瞑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る