第366話 魔軍交戦63 決着、奮起

 マギサ・ストレガは、頬に冷たく硬い感触を感じていた。

 すぐに、自身が地面に伏しているにだと気づく。

 精魂搾り尽くし、回らなくなりつつある頭で「自分は負けたのだ」と気づく。


「みっともないねぇ。私の最期がこれかい」


 視界の端で、水々しい自分の手が枯枝のように細く節くれだっていくのがわかる。若返り魔法が解けているのだ。頬に感じる大理石の冷たさが、じわじわと鈍化していく。彼女自身の体温が低くなっているのだ。

 それでも。

 手先だけが妙に温かい。

 人の体は生命維持の為に、末端よりも胴体の体温を優先して保護するように設計されている。胴よりも手先の方が温かい違和感に、マギサが目を向ける。

 彼女の手を掴んでいる人物がいた。

 マケイル・エクセレイ前国王である。

 彼もまた、瀕死だ。死にかけなのに、灯火ほどにしかない魔力をマギサに送り続けている。その魔力は肘にすら届かず、彼女の胴を温めない。手先しか癒せない徒労のような魔法。

 マギサは朧げに、この面倒な王族と婚約した経緯を思い出した。


「相変わらず、無駄を積み上げるのが好きだねぇ」

「ふふふ。積み上がっているさ。おかげで君の死に目に立ち会えることが出来た」

 か細い声でマケイルがつぶやきを返す。


「一緒に死んでたら、わけないさ」


 脱力する。

 周りには、ヴェロスとザナ、イアンの骸が転がっている。


「参ったな。彼らの忠義に、我々が返せるものがもうない」


 そう呟くマケイルの目元は、焦点が合っていない。限界が近いのだろう。


「マギサちゃん。魔法の真髄に、達することは出来たかい?」

「出来るわけがないだろうお前。私が達することが出来るほど簡単なものなら、追いかける価値もないね」


 マケイルが目を丸くする。

 それをマギサが意外そうに眺める。


「驚いた。てっきり森に籠ったのも、そのためだと思っていたのに」


 それに君は、子どもの時から魔法を極めると豪語していたじゃないか。とマケイルが続ける。


「もちろん、極めるつもりでいたさね。ただ、そうさね」


 眠気が襲ってきた。

 今、意識を手放せば二度と目覚めることは、ない。


「私はね。魔の真髄を追いかける、私自身が好きだったのさ」


 返事がない。

 マケイルは先に意識を手放したようだった。

 ただ、その死相はあまりにも穏やかだった。死ぬ間際まで、死を恐れていないかのようだった。


「聞くだけ聞いて、先に逝くのかい」


 マギサはほくそ笑む。


「種は蒔いたからね。咲くかどうかは、お前次第だよ。馬鹿弟子」


 マケイルの手指を握りしめ、彼女もまた意識を手放した。





「魔力の反応が消えた!?」


 いち早く気づいたのは、王宮内部から都全体を俯瞰していたエイブリーだった。

 マギサと魔王が撃ちあっていた波動が消えたのだ。


 決着がついた。


 王宮の周囲で戦っていた騎士や冒険者たちも、一瞬動きを止める。

 視界を覆い尽くすほどの巨大なエネルギー波の塊が突然消えたのだ。目の前の魔物から目を離すのも無理はない。


 上空から撃ち下ろしていた魔王。下から撃ちあげていたマギサと先代王達。


 上空には、魔王が依然として浮遊していた。


「そんな……」


 エイブリーの桜色の瞳がわなわなと瞬く。

 慌ててゴーレムの視界を用いて状況を確認する。地面に伏せるマギサ、マケイル先代国王、シオン教皇、近衛騎士隊長イアン・ゴライア、ヴェロス・サハム老師。そして学園の寮長、ザナがいた。マギサの姿は、節くれだった老婆に戻っていた。


「魔法の反動がきている。ということは」


 マギサは既に死んでいる。

 両者の実力は互角だった。勝負の決着をつけたのは、純粋な魔力の残存量だったのだ。

 魔王の作戦勝ちだ。マギサ・ストレガという不世出の魔法使いに気づいた時点で、潜伏を選んだことが功を奏したのだ。結果として、マギサは「若返り」という魔力効率の悪い博打を打たざるを得なくなった。


「我の勝ちだ!」


 掠れた声で、魔王が叫んだ。


「エクセレイの民よ、聞け!貴様らの英雄は既に、この世におらぬ!我の覇道を止めるものはもういない!軍門に降れ!こうべを垂れよ!全てを我に差し出せ!」


 拡声魔法によって、都にエイダン・ワイアットの声が響く。

 彼は既に、フードで表情を隠していない。

 脅かす存在がもう既にいないからだ。


「嘘だろう?」

「そんな、ストレガ様が?」

「あ、あ、あぁああ!」


 唖然とした表情で、上空を見上げていた冒険者が突然叫び出す。


「ワイアットだ!あの男、S級冒険者のワイアット!知ってるぞ!以前、魔物の大氾濫スタンピードで見た!」

「ストレガ様以外で、唯一単独でS級になった男!」

「そんな。人類側じゃなかったのかよ!」


 冒険者達が次々と武装を取り落としていく。騎士達が慌てて発破をかけるが、冒険者は呆然として目の前の魔物と戦わない。そうこうしている間にも、魔物に頭を叩き潰された冒険者が絶命する。

 S級認定を受けるということが、どれだけ規格外なのか。その理解の深さは、騎士達よりも冒険者の方が強い。ゆえに、容易に絶望してしまう。


 戦況が変わった。

 それを確信し、エイダン・ワイアットがほくそ笑んだ。


 初めて。

 この戦場に来て初めて、彼は油断した。


「英雄は一人じゃないよ」


 一気に上昇し、魔王に斬りかかった人物が一人だけいた。

 ルーク・ルークソーンだ。


 その彼の姿が一瞬、コマ送りのカメラのように空中で静止する。時間停止魔法。自身の体捌きでは間に合わないと判断した魔王が行使したのだ。いや、使わされたという方が正しい。彼には、もう魔力の余裕がない。


「貴様程度が英雄だと? 力量不足も甚だしい」

「知ってるさ、そんなこと。でも役割というのはね、誰かが演じなければいけないのさ。いつだって僕のパーティーはそうしてきた。僕は……道化でいい」


 ルークが剣を力強く握る。

 エイダンは目端で眼下にいる人物を確認する。キサラ・ヒタールと、アルク・アルコだ。確か、エクセレイが神輿に担ぎ上げた偽勇者パーティーの後衛である。彼女達二人の補助魔法でルークは今、空中にいる。剣での戦いのみに集中するためである。

 地上に降りれば、彼女達が補助に徹する必要がなくなり、攻撃に加担してくるだろう。


 ルークもまた、下を見る。

 そこには、最年長としてパーティーを牽引してくれていたヴェロス・サハムの姿。

 静かに目を閉じ、脱力し、魔力の流れのみに集中していく。ルークは剣が自身の体を一体となっていく感覚を掴んでいた。

 剣聖。

 ここにきて、彼は偽物から本物へ限りなく近づいていた。


「ヴェロス老師。冒険者の不文律通り、未来に託したのですね。でも生憎、僕はであって、未来ではないんですよ」


 脳裏に浮かぶのは、純朴で静謐な雰囲気を纏った少年。アルケリオだ。


「安心してください、老師。未来の英雄はもう既に、生まれている。貴方のバトン、僕が繋いでみせますよ」

「ふん。貴様のよう小物、相手するわけがなかろう」

「戦う余裕がない、の間違いでしょう? エクセレイの民達よ!」


 ルークが拡声魔法で叫んだ。


「貴様らはマギサ・ストレガがいなくては何も出来ない民なのか!?」


 地上にいる、数名の冒険者が反応する。


「違うだろう!僕らはもっと傲慢で、貪欲で、雄々しい民のはずだ!」


 ルークが斬撃を飛ばし、王宮へ近づくオークを両断する。


「手始めに僕が魔王を倒す!過去の英雄がいなくとも、今の英雄がいる!僕がいる!今を作るのは君たちだ!そうだろう!?」

「その通りですわ!」


 彼に真っ先に呼応したのは、エイブリーだった。

 壁画の自立人形ヴァントクアドラゴーレム達が一斉に動き、魔物を弾き飛ばす。


「好機です!伝説の英雄、マギサ・ストレガは魔王を瀕死まで追い詰めました・・・・・・・!後はとどめだけです!この戦争を終わらせる、一番の山場です!騎士達よ!」


 足が竦んでいた騎士たちが、慌てて踵をそろえる。


「存分に腕を振るいなさい」


 弾かれるように、騎士や冒険者達が動き出した。

 先ほどの動揺が嘘かのように、雄々しく魔物へと襲い掛かっていく。


「ぬう」


 魔王エイダン・ワイアットは踵を返し、西部へと逃走を開始する。西部にはまだ、獅子族や吸血鬼族が大量にいる。トト・ロア・ハーテンが生み出した魔女の帽子ウィッチハットも幾らか残っている。

 そこに合流し、回復の時間を稼げれば勝ちだ。


 やはり第二王女を優先して殺すべきだったと悔やむ。彼女は短い演説で戦いの結果の意味を挿げ替えたのだ。マギサ・ストレガは「負けた」のではなく「魔王を追い詰めた」のだと。


 逃げつつ、王宮にいるであろうエイブリーを睨む。


 エイブリーもまた、魔王を睨んでいた。

 尊敬する大叔母を殺した大罪人を、すぐにでも斬首したい処刑人のように。

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