第359話 魔軍交戦56 説得2

 瑠璃の大型犬のような上半身が、乾いた破擦音と肉が千切れる鈍くみずみずしい音を立てながら変質していく。艶のある針金のような太い毛が抜け落ち、床に着いては消失していく。代わりに表出してきたのは、白磁のようなつるつるとした人間の肌。整ったアジアンテイストな顔。というか、元の世界に残してきた茜の顔である。


「瑠璃。その顔はやめてくれ」

「高い精度で再現できるのが、この顔だけじゃからのう」

「え!?」

「あら」

「……やっぱり出来たのね」


 俺とファナとフェリが三者三様に驚く。

 瑠璃が喋った。喋ったのだ!

 精霊としての言語ではなく、肉声にて会話をしたのだ。


「お、おま、お前さぁ!それできるんなら何で今までしなかったんだよ!いつもお前の通訳してた俺って何だったんだよ!」

「この人間の娘の姿身を使わないでくれと申したのは我が友だろうに」

「そうだけどさ!そうだけどね!? ごめんなさい!?」


 テンションに引っ張られて口からまろび出る語彙がおかしい。


「瑠璃。それはいつから出来たの?」

「わたくしも興味ありますわね」

「いつからも何も、2年以上前から出来たのう」

「えぇ」


 意味不明すぎる。

 瑠璃が少し咳き込む。人間の声帯に慣れていないのだろう。


「儂は、我が友とルビーと会話できればそれで十分だったからのう」

「瑠璃、お前……」


 どんだけ内向的なんだよ。

 俺のパーティーはいろんな意味でコミュニケーションをとれない人間ばっかりだ。ディスコミュニケーションが乗算されて、結果的にプラスになっているんだろうけども。パーティー以外の人間がいると、分かりやすく寡黙だったのはフェリだ。

 瑠璃は会話を拒否するために、言語すら投げ捨てていたのだ。

 え、もしかして私のパーティー。協調性低過ぎ?


「長年同じパーティーだったのに、秘匿されていたのは納得はいきませんわね。理解は致しますが」

「私はわかるわ」

「え」

「えっ」


 苦言を呈すファナとは逆に、フェリが瑠璃を全肯定する。

 もっと皆コミュニケーションとろうよ……。


「時間がないのぅ」


 瑠璃がちらりと外を見る。

 俺たちも瑠璃の視線の先を目で追いかける。

 王宮の真下。つまりはマギサ師匠が落ちた所だ。そこから魔力が溢れ出してくる。異常だ。俺が最後に師匠と手合わせした時の十数倍はある。どこにそんな魔力を隠していたのか。いくら師匠でも、俺の眼からこの量の魔力を秘匿するのは無理がある。


「師匠。次で決めるつもりだな」

「加勢するなら、今ね。まぁでも」

「残念ながら、それはさせてあげられませんわ。今フィオが行っても、足手まといですわ」

「…………」


 2人が言うことは間違っていない。

 今の俺が行ったところで、師匠の攻撃に援護すら出来ないだろう。むしろ、戦闘速度に追いつけない俺を、魔王が盾に使ってくることすらあり得る。

 俺は、無力だ。


「フィオがこの戦闘に役立つ可能性があるなら、わたくしは賭けてもよろしくてよ? ここでわたくしの愛する人がこと切れようとも、それは神がお与えになった試練なのでしょう」

「ファナ?」


 フェリがファナの言葉に眉を顰める。


「でも、犬死にであれば話は別。わたくしは自分の宝物をむざむざ火山の火口に投げ捨てるようなことはいたしませんわ」


 続くファナの言葉に、フェリが下がる。


「儂が今から言うのはそこよ」

 瑠璃が前に出た。


「瑠璃」

「なんじゃ」


 俺は黙って亜空間ローブの中から、換えのローブを取り出して瑠璃の肩にかける。

 お前なんで全裸なんだよ。ここにいない茜に謎の罪悪感が募る。


「我が友は紳士じゃの」

「お前が粗野に過ぎるんだよ」

 胸元から目を逸らしつつ言う。


「フェリファン。今から言うことをよく考慮して判断せい。ルビーからの伝言じゃ。『フィオを解放しても死ぬことはない。妖精の僕が保証する』」

「!?」

「なんですって!?」


 俺は驚きで二の句が繋げない。隣で分かりやすくファナが驚く。

 だが、この場で一番狼狽しているのはフェリだ。取り残された迷い子のように表情を曇らせている。

 今だ。どういう理屈でルビーが俺の命の保証をしているのかはわからない。

 だが、フェリの判断能力がここにきて鈍っている。叩くなら、今しかない。


「そういうわけだ、フェリ。俺への命令を解いてくれ。妖精の言うことだ。間違いないだろう?」

「ルビーが嘘をつく可能性は?」

「ない。妖精がどういった種族かはフェリも知っているはずだ」

「気まぐれで、思いつきで人間を攫う種族よ」

「そうだが、ルビーは違う」

「根拠は? ルビーとまともに会話できていたのは、フィオと瑠璃と、マギサおばあちゃんが少し疎通できたくらいでしょう?」

「そうだが、ルビーは他の妖精とは違うんだよ、フェリ」

「じゃあ、瑠璃が嘘をついた可能性は?」


 俺は思わず、隣にいる瑠璃へ視線を送る。

 瑠璃は真顔で見返すのみだ。何を考えているかわからない。いつも通り、飄々としている。


「儂は少なくとも、お主らと同じ考えじゃ。我が友に死んでほしくはないのう」

「じゃあ、瑠璃が嘘をついていないとして。フィオ。貴方が瑠璃に頼み込んで嘘をつかせた可能性は?」

「ない。今のルビーの話は、俺も初耳だ」

「…………」


 フェリが考え込む。

 外の師匠から発せられる魔力が更に上昇していく。


「妖精は死生観が私たちとは違うわ。私たちにとってフィオが死ぬことは別れだけど、ルビーはそう感じていないとも考えれるわ」


 訝しむように、フェリが瑠璃の方を見る。


『僕たちは元々一つで、死ぬというのは自然に還るだけだよ。だから悲しむということはないなぁ』


 かつてのルビーの言葉が頭にリフレインする。ルビーが俺の死をそう捉えているとしたら?

 なるほどフェリやファナ、瑠璃、トウツにとって俺は死んだことになる。が、ルビーにとってそうではない。俺の体はそこにないけど、ルビーにとって俺は今後もそこに居るのだ。


「人間の尺度で言う、死なないとルビーは言うておる」


 瑠璃が言葉を重ねた。

 フェリが目を少し見開く。

 目線を落とす。フードを目深に被り、この場の全ての人物から視線を遮る。彼女は両手でフードの端を、力強く握る。


「やめてよ。やっとフィオを守るために、考えることを辞めることが出来たのに。選択肢を加えないでよ。私を、迷わせないでよ」


 フードの向こうに、引き結んだフェリの口元が見える。


「フェリ。お願いだ。頼む」


 俺は今一度、彼女に懇願した。

 彼女は耳を塞いだ。

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