第358話 魔軍交戦55 説得

「頼む。お願いだ。何でもするから。今後一生、俺はお前の奴隷でいいから。拘束を解いてくれ」

「それは出来ない」


 俺の再三にわたる提案をフェリは一蹴した。目元には涙の跡があるが、既に気丈に振る舞っている。状況は良くない。彼女は覚悟を決めている。何でもするとは言ったが、この後俺が死ねばそれは叶わない。何のメリットもない提案。

 最初に情に訴えて動かせなかった時点で詰んでいるのだ。


「フィオは」

「何だ?」

「死にたいの?」

「…………」


 難しい質問だ。

 当然、死にたいわけではない。驚くべきことに、俺はこの異世界をずっと楽しんでいた。両親も、姉も、一番大切な人も。みんな向こうに置いてきた。元の世界へ帰る方法を模索しても良かったはずなのに、ここで生きることを当たり前に受け入れていた。それは元いた世界で死んだことがわかっているからかもしれない。分からない。あっちの世界と、ここ。どちらが俺にとって大切で、どちらを尊重すればいいのだろう。茜に「こないだはいきなり目の前で車に轢かれて死んでごめん」と言うのが一番大事なのか。クレアを守り切って一緒にエルフとして過ごすことが大切なのか。はたまた、イリスの気持ちに正面から向き合うべきなのか。


 取り敢えずは、一つ分かることがある。

 目の前で自責の念に押しつぶされそうな金魔法使いの心のケアをすること。

 彼女は、というよりも彼女達は俺を裏切った。それも盛大に。けれど、この結果はフェリや師匠達が狡猾だったからではない。俺が間抜けだった。それに尽きるのだろう。

 いつだってそうだった。この世界にいる人たちは自分の欲に正直で、元いた世界の人たちよりも、少しばかり手段を選ばないのだ。特にトウツとファナ。


「フェリ」

「話は聞かないわ」

「勘弁してくれ。俺はクレアを失いそうなんだぞ。その上お前たちとの縁まで切れそうだなんて、耐えられない」

「……私たちを許してくれるの?」

「許すわけないだろ。それとこれとは話が別だ」


 フェリの顔が凍りついて、またじわりと目尻に涙が滲む。

 やめてくれよ。泣かせたいわけじゃないんだけどなぁ。


「仮にこの後、俺たちのパーティーが生き残ったとして。全て元通りとはいかないよ。そうだろ? フェリ達は俺を大切にしてくれた。でも、俺が一番大切にしていたものを蔑ろにしたんだ」

「違う。クレアの気持ちを尊重した」

「そしてあわよくば、自分達の要求も叶えようと?」

「その言い方は、狡い」

「そうだよ。俺は狡いんだ。お前らが躍起になって救おうとする必要なんて、ない」

「…………」

「俺はさ」


 フェリは目を合わせない。俯いて床ばかり眺めている。


「お前と、一緒に魔法具を作れていればそれで良かったんだよな」

「…………」

「シュミットさんに助言をもらって。必要な素材を取るためにパーティーでクエストに行って。時々、トウツと武術の訓練をするんだよ。ファナの教会の退魔ボランティアに付き合ってやったっていい。瑠璃の毛繕いをしながら、ルビーと一緒にお喋りして夜更かしするんだ」

「…………」

「時々学園のみんなに顔を見せて、近況報告するんだ。ギルドのみんなとクエスト競争をしてもいい」

「…………」

「歳をとったら師匠と一緒に森へ引きこもって隠居するのもいい。あの婆さん、雰囲気的にあと50年は生きてそうだろ」

「そうね」


 そこは相槌をうつのかよ。


「そこに、クレアも絶対に必要なんだ。まだ間に合う」

「トウツが何とかするわ」

「俺とお前が行けば、もっと何とかなる」

「無理ね。私は託宣夢を信じるわ。でも、本当に信じたいのはフィオの夢ではなくてフィオ自身。これは本当よ」

「……本当だけで全部決められるなら、どんなに楽なんだろうなぁ」

「本当にね」

「世の中、儘ならない」

「世の中は、ほとんどそうよ」

「年長者が言うと、説得力があるね」


 虚しいほどに、説得力がある。俺たちのパーティーで、一番儘ならない人生を送ってきたのは、他ならない彼女だからだ。その人生のほとんどを、孤独で過ごした。良心を抱えたまま、独りで生きてきた。いっそ悪人にでもなれば気楽になれただろうに、彼女は綺麗な人間のまま俺の目の前に現れてくれた。


「俺を奴隷にしたのがお前で良かったよ」

「私もそう思うわ。マギサお婆様は何を考えていたのかしら。トウツにフィオの首輪を持たせようとしていたなんて」

「もしそうなっていたら、今頃俺はお前とお揃いだったかもしれないな」

「笑えない冗談はやめて」

「でもほら、丁度よくないか? ダークエルフが1人だから目立つんだよ。2人いれば、他の冒険者も『そっか』としか思わないかもしれない」

「そうなるにしても、選ぶ女は考えて。トウツを選ぶのは女の趣味が悪すぎるわ」

「それもそうだ」

「自暴自棄になったのかしら。エルフの村に戻りたいんじゃなかったの?」

「俺が戻りたかったのは、クレアとレイアとカイムがいる所だよ」

「そう」


 カイムやレイアの人となりは、もう知っている。禁忌の肌色をしていようが、あの人達は俺を受け入れるだろう。それに、フェリの肌の色は呪いではない。契約魔法だ。太古のエルフ達が望んでそうなった。

 であれば、もう一度エルフの総意を募って再契約すればいい。

 まぁ、それをさせない為にエルフ達は世界中の森に少人数の村を作り、散らばっているのだろうけども。


「ルアーク長老がさ」

「?」


 フェリの顔に疑問符が浮かぶ。

 何故そこでエルフの長老が出てくるのかと思ったのだろう。


「世界樹へ行った時に、さりげなく俺に長老を押し付けようとしたんだよね」

「そんな簡単に押しつけられる役職じゃないはず」

「だよな? そうだよな?」


 あの人、知的で厳かな雰囲気纏ってるけど、案外やんちゃじゃないんだろうか。立場上そうできないだけで。


「よくよく考えると、まとめて欲しかったのかもしれないな」

「何を?」

「エルフの総意」

「!」


 フェリがそこでピンときたのだろう。ほんの少し目が丸くなる。


「今回の魔王の軍勢に、深層の森出身の魔物も混ざってる。ほんの少しだけどな。冒険者の多くが死んだのはそれが原因だろう。深層の森の奥には世界樹がある。エルフが本当に守らなければいけないのは、それだったはずだ。巫女の託宣夢を起こさせないことも大事だとは思うけど、世界樹さえあればこの世界はどれだけ壊れても再機能するはずなんだ。そうだろう?」

「……エルフの多くの村が魔王のゾンビに成り果てたのも、エルフ達を少数単位に区切って世界中に点在させたから」

「そうだ」


 エルフという引きこもりで、プライドが高く、純血主義な種族が世界中に散らばる必要なんて、本来はないはずなんだ。でも、それが起きている。巫女の託宣夢である、俺の世界から輸入された兵器による世界の混乱、もしくは崩壊。それを防ぐために、世界中へ監視の目を置く必要があったからだ。

 それにより、種族としての戦力を分散せざるを得なくなった。結果として、魔王に狙い撃ちされることとなった。


「フェリ。この戦いが終わったら、俺はその提案を引き受けようかと思う」

「!」

「エルフを束ねて、ダークエルフの契約魔法を解約する」

「そんなことしたら、巫女の情報がどこから漏れるか分からないわ」

「もう俺に漏れている」

「…………」

「情報は、そこにある時点で漏れるんだよ。少なくとも、俺がいた世界ではそうだった」

「人の口に戸は立てられない」

「そうだ」


 俺が教えた、俺の世界の諺。フェリがそれを呟く。


「秘密は臓物の染みになって、剥がれることはない」

「そうね」


 俺の返しの言葉にフェリが小さく笑う。

 これはフェリが教えてくれた、こちらの世界の諺。墓に持ち込もうと腹の底に秘密を抱えていても、この世界には自白魔法だってある。いつかはバレる。その普遍的な考えは、俺がいた世界でもこっちでも、同じらしい。

 良かった。フェリが笑った。それでいい。十分だ。


「その為には、クレアが必要だ」

「……エルフの総意を得る為に、巫女の後ろ盾が必要なのね」


 流石だ。頭の回転が早い。


「あぁ、その通りだ」

「ハイリスクよ。良くない情報を抱える人間が増えるわ」

「そこだよ」


 フェリが気難しく眉をひそめる。


「何で、今までそのリスクをエルフだけが背負ってたんだ? 世界の重要事項なら、全ての種族に責任を負わせるべきだ。フェアじゃない」

「……それは。……外から来た貴方にしか出来ない発想かもしれないわね」

「そうか?」


 誰でも思いつけるはずだ。やろうとしなかっただけで。


「でも」


 フェリが再び口を開く。


「クレアである必要性はないわ」

「それはないな。巫女の存在は秘匿される。クレアみたいに周知されることの方が稀だ。というか、今後一生ないと言っていい。エルフも例外ではない」

「フィオは長老になることに同意したわ。巫女の情報はある程度共有されるはず」

「今はな。エルフの社会は魔王に甚大な被害を受けた。種族の特性上、彼らは更に排他的に動くだろう。俺のような、森の外にいた時間が長いやつなんざ、内側じゃなくて外側だろう。大体、フェリは忘れているよ。俺は一度忌子扱いされたんだぜ?」

「……フィオが転生者だと暴露すればいい。クレアみたいに。そうすれば、ルアーク長老みたいに忌子ではないと信じるエルフも増える」

「残念だったな。ただでさえ排他的なエルフが、異世界なんていう外も外から来たやつを身内になんか受け入れるか?」

「……ルアーク長老や他の協力者のエルフを募れば、そこそこの一派にはなるはず。何だったら、ルアーク長老には職務を続行してもらい、次代の巫女が決まって情報をもらい、そこから代替わりすれば良い」

「次代の巫女がクレアみたいに協力してくれる可能性は?」

「…………」

「大体、そこそこの一派って何だ? 協力してくれるのなんて、カイムやレイアを除けばほとんどいない。いいか、フェリ。俺が今持っている力のほとんどはお前らだ。数少ないA級冒険者パーティーであるという武力だよ。そして、ファナの後ろ側にいる教会だ。これはエルフ達でも無視できない。ダークエルフを監視する為に協力協定を結んでいる機関だからな。エルフが唯一対等な関係を結んでいる組織だと思っていい。それと、エイブリー第二王女の後ろ盾だ。多様性を容認するエクセレイのおかげで得したエルフは多い。これが俺の持つ力だ。情けないとか言うなよ? コネも実力のうちだ」

「フィオは単体でも十分強いわ」

「単体ではな。でも、結局は数と肩書きなんだよ。個人では、それに敵わない」


 例外があるとすれば、今外で戦っている師匠や魔王くらいだろう。


「で、フェリはどんなプランを考えているんだ? クレアが死んだとして、新しい巫女が生まれるとしよう。まともに政治交渉できる年齢を10歳以上として、これから10年待たないといけない。もしこの戦争に負ければ、魔王から逃げつつ待つんだぞ。不可能だ。クレアの次の代の巫女に拒否されたら、それこそ詰みだ。言っただろ。俺のもつ力はお前たちなんだよ。トウツが寿命でいなくなれば、うちの前衛のエースはいなくなる。ハポンとの繋がりも消える。ファナが亡くなれば教会の後ろ盾も消える。イヴ姫が亡くなればエクセレイの後ろ盾も亡くなる。その後は? どうすればいい? 俺と、お前と、瑠璃と、相手には見えないルビーの4人でエルフ相手に交渉を続けるのか? 何百年かかるか分からないだろ。その前に魔王の手先に潰されるのがオチだ」


 それよりも先に、魔王にエルフという種族が潰される可能性だってある。


「…………」

「クレアを助けよう、フェリ。俺たちにはクレアが必要だ。助けることができれば、お前の肌を元に戻すこともできる。エルフ達の未来をより良いものに出来る。頼む。拘束を解いてくれ」


 無い知恵を絞り出して説得した。

 これ以上、俺に紡ぐ言葉はもう、ない。


「……フィオ。貴方は、私の肌色を戻すと言った」

「あぁ」

「残念ね。戻すも何も、私は生まれた時からこの色よ」

「…………」

「それと」


 フェリが前屈みに、俺へ顔を近づける。


「私は貴方と一緒に居られればそれでいい。肌の色なんて、貴方さえ認めてくれれば十分よ」


 彼女が俺の額に唇を落とす。

 視界の隅に、三日月のイヤリングが光る。


「最悪な告白だな」

「えぇ、そう。私はいつも間が悪いの。でもこれでいいわ。私らしくって」

「そうか」


 椅子の上で脱力する。


 2度目の説得は失敗した。


「あら、偉くってよ。ちゃんと監視役、続けているじゃないの。情に流されるかと思っていましたわ」

『我が友、元気にしとるか?』


 ファナと瑠璃が、バルコニー前へ現れる。

 やはり、ファナもグルだった。トウツ、フェリ、ファナ。全員に欺かれていたのだ。


「元気に見えるか? 最悪な気分だよ」

「フィオ。それは結構残酷な物言いですことよ。フェリの気持ちも考えなさいな」

「う、すまん」

「いいのよ」

「って、何で俺が謝るんだよ!」


 俺は大声を出す。


「謝るのはお前らの方だろうが!フェリもファナも、トウツも!師匠だって、イヴ姫だって、誰も俺の味方してくれないんだ!ふざけんなばーかばーか!」

「フィオ。実年齢の割にみっともなくってよ」

「お前に言われたくねーよ!?」


 ファナに全力で叫び返す。


『我が友』

「何だよ!お前だってグルなんだろ瑠璃!もういいもんね!向こう一年毛繕いしてやらないもんね!」

『一年で許してくれるのじゃな……』


 あれ。何か瑠璃に呆れられたような気がするぞ。


『我が友。お前の味方は、1人だけじゃが、いるぞ』

「本当か!?」

『あぁ、本当じゃ。本当は言いたくないんじゃがの」


 瑠璃が犬の表情筋を、人間のように器用に動かして渋面を作った。

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