第357話 魔軍交戦54 上空の決着
マギサが魔工水龍をけしかけた。
魔王エイダンは事もなげにさばけているわけではなかった。
理由は単純。
両者の距離が近づいているからだ。
距離が近ければ、発現した魔法が届くのも早い。2人は肉体的な速度も、状況判断も極限まで絞りつくすことを強要されていた。
並みの
並みの思考能力では脳が焼き切れる。
両者共にこの状況をよしとしているのは、このリスクに踏み勝たなければ倒せる相手ではない。そう考えているからだ。
先に距離を詰めたのはマギサ。
魔力量の
このまま持久戦が続けば、先に倒れるのは彼女なのだ。
魔王とて余裕があるわけではなかった。
思考速度はマギサ・ストレガが優位である。その差を埋めることが出来ているのは、魔王の魔法が時間を操るという特別なものであること。普通の魔法よりも暗算が難しく、マギサに僅かな思考の遅延をもたらしているからだ。
それも長くは続かない。
魔法の時間停止魔法を妨害する動きがどんどん手慣れていく。この激しい戦闘の中でも、マギサは学習する機会を見逃さない。
マギサが刺すのが先か、魔力が尽きるのが先か。
「見えた」
マギサが呟いた。
魔工水龍の顎が食らいつこうとした瞬間、エイダンは自身のマントに時魔法をかけた。時間停止の魔法。この魔法がかかることによって、彼のマントは干渉不可能。つまり、決して破壊することができない
絶対防御。金城鉄壁。
太古の昔に、異世界より召喚された勇者すら退けた魔王のメイン盾である。
その魔法を、マギサは分解した。
エイダンが紡ぎかけていた魔素をたわませ、絆し、抜き取った。
「距離を詰められすぎたか」
「死にな」
魔工水龍が顎を閉じかけた瞬間、空中に大量の水が霧散した。
魔王の目の前で、水龍が自壊する。
「は?」
マギサ・ストレガは呆けた顔をした。
彼女は魔王の魔法を完全に攻略したはずだった。
空中にたゆたう、黒い魔素。魔王が時間停止魔法を完成させるための最後のピースを奪い取ったはずなのだ。
だが、解けた魔法は自身が都全体まで使って生み出した魔工水龍。
「老いたな。最上の魔女よ。老いすぎて、今進行している老いにすら気づかないか」
「貴様、何をした?———!」
空中でマギサが
視界にはらりと、白い影が界下へと落ちているのがわかる。それは髪の毛だった。
「私の——髪?」
変化はそれだけではない。老化によりぼやけていた視界が更に明度や彩度を落としていく。魔法で視力を強化しようとするが、魔力が思うように動かない。
「水龍を動かせなくなったのは、魔力切れ? 私が魔力の残量管理を怠るわけ——」
次に気づいたのは、自身の身体の変化だった。重い。節々が錆びたかの様に動かない。指先の感覚が鈍化していく。
マギサは自身の掌を顔の前に上げ、見つめる。
恐ろしい勢いで、皺や染みが増え、身体がしぼんでいくのがわかる。
そして気づく。
自分は確かに、時間停止魔法の構築は阻止した。
だが、そもそも構築していた魔法が全く別の何かであった場合は?
「老化の進行? ———お前さん、時間停止魔法だけじゃなかったのかい」
「その通りだ。
魔王エイダンが、水でずぶ濡れになったマントの水切りをする。
時間の加速。つまりは老化の加速。
既に高齢のマギサに、この魔法をかけられた。それを意味するのは。
「はん。もっと早く出しな。——そうしたらもっと、私は———」
魔の神髄に近づけた。
その言葉を紡ぐ前に、マギサは地上へと落ちた。
「あ、あ、あぁあぁあああああああああああ!」
俺は椅子に縛りつけられたまま慟哭した。
「ごめんなさい。ごめんなさい!」
目の前で、フェリが謝る声が聞こえる。
「謝って済む問題じゃあ、ない!済む問題じゃあ、ないんだよ!」
頭を垂れるフェリに、俺は大声で怒鳴りつける。
「殺した!俺達が殺した!お前らが俺を生かすなんて言うからこんなことになるんだ!師匠は死んでいい人間じゃぁなかった!何で俺のために死ぬんだよ!何で、どうして。俺にそんな価値なんてなかったのに!なんだよこれ、消えてしまいたい……」
椅子の上で、膝を抱きすくめる。
頬が赤い魔素で熱い。
ルビーがきっと、俺に寄り添ってくれているからだろう。
「でも、これを望んだのはマギサお婆ちゃんよ。本当なの」
「そこには俺の意思がない!」
自棄になり、フェリに怒鳴りつけてしまう。
何をしているんだか、自分でも分からない。彼女を罵倒して何かが進展するなんてこと、ないのに。師匠が生き返るわけなんて、ないのに。
「終わりだ。もう、お終いだ。師匠がいないんじゃあ、この国に魔王を倒す手段なんてない。だから言ったんだ。最初から俺を出してくれれば良かったんだ。保険なんてかけずに、全部賭ければよかったんだよ!」
「その物言いは、マギサお婆ちゃんへの侮辱よ」
硬質な物言いに、思わず顔を上げる。
フェリの威圧的な視線が、俺を釘づけにする。
あぁ、そうだ。そうだよな。
命をかけた師匠に「失敗だった」なんて、口が裂けても言うべきではなかった。
目元の涙を袖で拭う。次から次へと新しい涙が溢れてくるが、それを乱暴に拭って頬を擦り上げる。
「……済まない。言い過ぎた」
「いいのよ。でも、フィオ。これだけは覚えておいて欲しい。マギサお婆ちゃんは、貴方が生き残った方が、この戦いは勝算が高い。そう踏んだからこそ、貴方を生かすために奔走していたのよ」
「…………」
「それこそ、エイブリー・エクセレイが動くずっと前からね」
「俺に期待しすぎなんだよ、皆。俺にそんな力、ないんだ」
「いいえ、あるわ」
俺は驚く。
金魔法以外の話題で、フェリがこれだけ断定口調で言いきることは珍しいからだ。
「———なぁ、フェリ。俺はどうしたらいい? 何をすれば、師匠に報いることができるんだ?」
「分からない。でも、私はあの人の研究を引き継ぐわ。彼女の研究の全ては引き受けられないけど、金魔法だけならなんとか」
「ははっ。何百年かかるんだよ。あの人の蔵書読んだだろ? 俺にはちんぷんかんぷんだ」
「それは、私もそう。でも、
「この戦いに生き延びたらな」
「えぇ、そう。だから、勝たなければならない」
「勝たなければ。ここからどうやって?」
「さぁ」
「さぁって」
うちのパーティーの考える担当は、君じゃないか。
勘弁してくれよ。
「ファナと瑠璃がもうすぐ帰ってくるはず。そこで次の動きを練りましょう。私も動かなければならないわ」
「動くって?」
「北西に、私が清算しなければならないものがあるから」
彼女が清算しなければならないもの。
恐らく、父親のことだろう。敵の金魔法使い、キリファ。彼は確実にこちらへ近づいているが、その歩みは遅い。時速にして3キロメートルほどしかないだろう。本当に、戦場を散歩しているかのように、こちらへ接近している。
だが、その歩みは一定だ。
一度も止まらずこちらへ近づいている。真綿が首を絞めるように、着実に。
足止めしている戦力はあるはずなのに、等速直線運動でこちらへ歩み続けている。
「父親を殺すのか?」
「あの人は、とっくの昔に家族じゃないもの。お母さんが繋いでくれていた、ただの他人よ」
「……そうか」
フェリの表情を見る。
凪の様に落ち着いている。これから父親と殺し合うかもしれないというのに。
「フェリ。拘束を解いてくれれば、その役割は——」
「馬鹿言わないで頂戴」
「だよな」
彼女は少し、怒ったような顔をした。
俺は多分、物悲しい表情をしている。と、思う。
「!」
「!?」
フェリが勢いよく立ち上がった。
俺は椅子の上で跳ねて、思わず椅子ごと地面に転げ落ちる。
「し、師匠だ!師匠の魔力が見える!ははっ!流石だ師匠、死んでなかったんだ!」
「すごい。完全に魔力の反応が消えていたのに。でも、どうして?」
フェリがバルコニーから界下の都を見下ろす。
「分からない。わかんないけど、これだけはわかる。師匠はやっぱり世界最高の魔法使いだ」
椅子ごと地面に横たわって言う俺は、最高に恰好ついていないのだろう。
でも、それでいい。
師匠が世界で一番かっこいい。
今はそれで十分だ。そうだろう?
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