第356話 魔軍交戦53 会敵2

 真っ先に動いたのは、トウツだった。


「瞬接・斬」

「おっと」


 彼女の攻撃を、ライコネンはいともたやすく避けた。


「お前、腕は使いもんにならないはず——?」


 ライコネンの疑問はすぐに氷解する。

 トウツは顎で短刀を咥えていた。両腕はだらりと下に降りている。魔力で強化できない腕よりも、強化できる顎。こちらの方が武器としてまともだと判断したのだ。


「お前、本当に俺を喜ばせる天才だな」

「僕が一番喜ばせたいのは、ベッドの上のフィルだね」

「俺が言うのもなんだが、お前の思い人は不憫だな——!」


 ライコネンが話し終わる前に、矢が3本飛んできた。

 彼は巨体に似合わないスムーズなフットワークでかわす。この戦争の前。否、つい先ほどまでは「かわす」などという選択を彼はとってこなかった。

 獅子族は敵を力でねじ伏せることを美徳として生きてきた。敵の全てを受けた上で、力で押しつぶす。絶対的な強者としての種族としての矜持が彼をそうさせていた。

 だが、トウツ・イナバの技術を美しいと思った。

 彼は思った。


 力ではなく、技術でこいつを屈服させたい。


「付き合ってやるぜ。エルフの狩人。そしてトウツ・イナバ。俺は全てにおいてお前らを上回って、殺す」

「遊びに付き合うつもりなど、ない」


 カイムが後衛から離れ、トウツと共にライコネンの懐に入った。

 腰元に突っ込む瞬間、カイムの首筋の横と脇下からレイアの矢が通過した。夫婦として過ごして百余年の二人にしか出来ない絶技。

 黄金の瞳が美しい連携に感嘆し、輝く。

 掌底を構え、二本の矢をいなし、続くのトウツの袈裟切りとカイムの刺突をバックステップでかわす。すぐさま横に踏み切り、二人の横へ移動する。正面に立てば、トウツとカイム二人の斬撃を捌かなくてはならない。彼は狙いを負傷者のトウツへ絞った。

 そこへもう一本の矢が飛んできた。


「ただのお飾り巫女じゃなかったが。ガキ」


 ライコネンとクレアの目線がぶつかる。クレアは怨敵を見る目付きで。ライコネンは育った孫を慈しむような目で。


「こっちを見ろ」


 鬼の形相でカイムがトウツの頭越しに曲刀を振るう。

 ライコネンは更にステップを刻んで離れる。トウツがダックインして距離を詰め、ライコネンが逃げる先にレイアは矢を置いていく・・・・・


「あのエルフの女。俺が逃げる方向を知っている? 巫女の母親だから未来が見えるってか? いや——」


 ライコネンはトウツの後ろに控えるカイムの膝の動きを注視する。横目でレイアが矢の羽根を掴む指の筋肉の動きを盗み見る。

 連動している。

 カイムの四肢の動きと、レイアの矢をつがえるタイミングは、僅かなタイムラグがあるが連動している。


「この男エルフに誘導されているのか。面白ぇ」


 獅子の王は舌なめずりをした。

 彼の此度の戦争での目標が更に追加された。

 トウツ・イナバの剣技を上回った上で殺す。

 そして、エルフのコンビネーションを完璧に攻略した上で、殺す。

 獣の足が更に加速をした。






「痛ってぇな」


 ルーグは頭の鈍痛に悩まされながら目を覚ました。


「やぁ。起きましたね」

「あ!やっと目が覚めたんですね!」

「生き汚いやつだとは思っていたが、しぶといな。流石だ」


 彼の目覚めを出迎えたのは、見覚えがある面子だった。一人はモノクルの眼鏡をかけたスーツが似合う華奢な男。自分に子守を押し付けた教師だ。確か、名前はフィンサー・ハノハノ。

 もう一人は、馬鹿弟子のノイタに殺されかけた時に通りがかり、命を救ってくれたシスター。

 最後に。子守の中でも最も面倒だった第三王女についてきた近衛騎士。メイラだ。

 よく見ると、後ろにはその第三王女もいるじゃないか。目を閉じて、静かに眠っている。その横にはもう一人、子どもが座っている。物腰が只者ではない。何者だろうか。


「目覚めて一番に見るには最悪の面子だな」

「言うじゃないの。もう一回眠る?」


 ルーグの小言に、メイラが恨み節で返す。


「戦況は?」

「無視するんじゃないわよ」


 ルーグがメイラから目を離してフィンサーに水を送る。この男はこの男で面倒だが、合理的ではある。


「最悪ですね。マギサ・ストレガが魔王と交戦していますが、戦況がいいとは言えません。というよりも、我々の技量ではどちらが押しているか理解すら出来ないというのが現状です」

「そうか。西の戦況はどうなってる?」

「貴方の頑張りで、多少はマシな状況です」

「マシってことは、依然として最悪ってことじゃねぇか」

「そうですね。魔物が大量に侵入しました」

「何だと!?」


 起き上がろうとするが、全身の痛みに耐えかねてベッドに身体を横たえる。


「無理しないでください、ルーグさん。貴方は運がよかった。戦況がまだ序盤の時に重体になりましたからね。優先順位トリアージが順当に機能していたんです」

「そうかよ」


 歓迎すべきことなのかは、分からない。

 フィンサーの言うことが正しいのであれば、確かに運がいいのだろう。優先順位トリアージ。怪我人や病人が教会に殺到した時、直ちに措置が必要な人間を優先するための順番付けのことだ。

 ルーグが運び込まれたときは、それが機能していた。つまりは、重傷者を治癒するだけの供給量キャパシティが教会側に足りていたのだ。

 では、今はどうか?

 優先順位トリアージは機能していない。

 次々と重傷者が運び込まれてくるため、教会は選別せざるをえない状況に追い込まれている。

 誰を生かして、誰を見殺しにするかだ。

 ルーグはB級冒険者だ。

 普通であれば、優先順位が高い。それだけ価値のある冒険者である。

 だが、この戦場は異常だ。B級が大量に戦場へ出て重症を引き摺って帰ってくる。その怪我人の中には、A級冒険者や階級の高い貴族の騎士も混ざっている。

 札付きで片腕のないルーグは、それらの人間に比べれば優先順位は低い。


 運がいい。

 フィンサーの言うことは、額面通りなのだ。


「悪運だけは、拾ってばかりの人生だな。糞が」

「拾った命なんだから、もう少し喜びなさいな」


 悪態をつくルーグを、メイラが諫める。


「そんなことはどうでもいい。魔物はどこまで侵攻している?」

「中央の、王宮に近づいているわ。今は姫様が何とかしている。でも、長くはもたないでしょうね」

「姫様ってぇと」


 この女が言う姫様というのは、第二王女のことだろう。

 あの王女に戦える力があるとは思えないが、メイラが強烈な忠誠を誓っているのは知っている。何かしらの戦う手段があるということなのだろう。


「長くはもたないってぇと、どういうことだ?」

「王宮内の騎士達の魔力が尽きたら、均衡が一気に崩れるじゃろうな」

「ガキが会話に混ざってくるんじゃねぇ」

「ガキじゃないわあほ!この中で一番偉いとやけんね!?」


 ルーグが「マジで言ってんのかこいつ?」というアイコンタクトをメイラに送る。メイラが「そうだ」と目配せを返す。


「あぁ!お主ら、何となくウチを馬鹿にしたろ!? 絶対にしたもんね!よくわかるぞ!よくそんなあしらい方するやつおるけん!」

「そう言えば、ルーグは私の家内に会うのは初めてですね」

「は? 家内? お前の家内ってぇと——」


 ルーグは合点のいった顔をする。


「お前が例の子ども学園長か」

「小人学園長じゃあほ!」


 ルーグのあんまりな物言いに、シュレ・ハノハノが全力で突っ込む。


「というかよ、魔物がそこまで来てるんだろ? お前らは戦わなくていいのかよ?」

「今は、魔力回復中だよ」


 フィンサーの目に、怜悧な闘気が宿っているのをルーグは見逃さなかった。

 周囲にいる冒険者達もそうだ。闘気には殺気や恨みが混ざっている者もいる。ここにいる負傷者達は、エイブリー・エクセレイが力尽きた時に戦いに出るつもりだ。

 ルーグは直観した。


「痛いのう。現役以来じゃわい。こんなに痛めたのは」


 ルーグの隣のベッドから、一人の老人が上体を起こした。


「おや、ご老体。命拾いしましたね」

「おぉ!生きとったかザナ寮長!いやぁ、命拾ったたいねぇ!」


 その老人、ザナは目をこすってフィンサーとシュレの顔を見回した。


「目覚めには悪い面子だな、糞が」

「そのやり取りはもうやったんですよ」


 ザナの悪態に、フィンサーが苦笑する。


「よし、と。言ってくるわい」

「ちょちょちょ!待つたいね!なんばしよっと!? 安静にせんね!」

「この病室に老人の居場所はねぇよ」

「少し休んでも、テラ神の罰は当たりませんよ。ご老体」


 ザナは2人を無視して、一人の少年が眠るベッドへ近づく。

 アルケリオ・クラージュだ。

 彼は規則正しい、小さな寝息を立てている。


「休息が必要なのは、こういう若いもんだろう。俺は老人だ。魔力の回復も遅い。必要な時に役立てる人間にベッドは空けるべきだ。そうだろう?」


 シュレとフィンサーは何も言い返せない。彼らが教育者だからだ。生徒のために自分の身を後に考える。冒険者の不文律とは少し違うが、教育者もまた、似たようなルールの中で動いているのだ。


「その身体で何をするつもりです?」

「もう一つ、行かなきゃならん戦場がある」

「その手で、ですか?」


 フィンサーがザナの切断された肘を見る。彼自身が斬り落とした腕だ。死霊高位騎士リビングパラディンの呪いが全身に行きわたる前に、やむを得ず切断した腕。


「リーチは短くなったが、指を閉じなくても殴れるようになったわい」


 そう言って、ザナは教会の扉を開く。

 数人のシスターが慌てて彼を留めようとするが、無視して出ていってしまった。


「年配の方の考えることはわかりませんね」

「いや、俺には何となくわかるな」


 フィンサーの呟きに、ルーグが返答する。


「ほう、どういうことです?」

「手前には教えねぇ」


 フィンサーの疑問に、ルーグは憮然と答えた。


「そうそう、ルーグさん」

「何だ?」


 正直、ルーグはこの男との会話を伸ばしたくなかった。この男は人間として洗練されすぎている。泥を啜って生きてきたルーグにとって、一緒にいるには居心地が悪すぎる。

 それは後ろで眠っている子どもたちや、横に座っている学園長とやらもそうである。あとついでに、いけ好かない女騎士も。


「貴方のお弟子さん、大活躍ですね」

「……どっちの話だ?」

「貴方の腹に穴を空けた方ですね」

「馬鹿の方か」


 メイラとフィンサーが、心中で「お前どっちの弟子も馬鹿呼ばわりしてなかったか?」と思うが、口には出さない。


「私のお気に入りの付与魔法エンチャント付きの短刀を、逃亡のはなむけにあげたんですよ」


 逃亡に餞という言葉が似つかわしくないと感じたのか、ルーグが渋い顔をする。


「その短刀が反応しました。敵の主戦力を撃破したみたいですね。やはり私の判断は間違っていなかった。あの子は味方にすると便利ですね」

「俺はお前が怖ぇよ」


 妖しく嗤うフィンサーに、ルーグが引いた。







「おのれ……オノれ……」


 それは都の路地裏を、身体を引きずりながら歩いていた。

 否、それは歩行にすらなっていなかった。蛇行する芋虫のような、不格好な移動をそれは続ける。


「許さんゾ、ワタシの実験動物モルモットの分際デ——ゴボ」


 芋虫のような物体は、口のような空洞からヘドロを吐き出す。


「まだダ——ワタシには、マダ切り札がある。アーキアを。アーキアを起動すれば、マダワタシがこの世の王に君臨する機会は、あル」


 洞の様な眼が、復讐に塗りつぶされていく。


「この都には、モウ要はナイ。魔王も、マギサ・ストレガも、全て全てアーキアに飲み込んでもらおう。全て更地にシテ、最後にワタシさえ立っていればソレで良イ」


 べしゃりと、頭部のようなものが路地裏の壁にぶつかる。

 ヘドロの瘴気が、壁を溶かしてシュウシュウと音を立てる。


「待ってイロ、魔王エイダン。そしてワタシの出来損ないの実験体モルモット、ノイタぁ!最後に立っているのは、このワタシですヨ!」


 男は叫び、再び蛇行して歩き続けた。

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