第355話 魔軍交戦52 会敵

 マギサ・ストレガの魔法が、恐ろしい速さで魔王エイダン・ワイアットへ迫っていた。

 魔法で作り出した水龍。マギサは魔工水龍と呼称しているが、それらはエイダンへ近づくと、たちまち速度を失い無力化されていく。

 停止しているのだ。


 時間を止める魔法。


 それが魔王エイダンの奥の手。

 敵の動きを止めることができる攻撃的な魔法に見えるが、実は堅牢を誇る盾としての役割が大きい。時間が静止した物体に干渉することはできない。つまり、時間が止まった敵にとどめを刺すことは出来ないのだ。

 時間停止を鉄壁の盾に。他の多彩な魔法を鉾に。

 太古の勇者を除けば、誰も攻略できなかったエイダンの常套手段である。


 その無二の戦闘スタイルをマギサは攻略している。

 だが、自身の身体から離れた魔法はエイダンに届く前に時間を止められる。千日手だ。


「腹が立つねぇ。突破するには反応できない魔法を放つか、物量で押すかだね」

「老骨が。都市そのものを使った魔法陣で魔力を節約しているが、老いは隠せておらぬぞ」


 マギサは舌打ちする。

 エイダンの言うことはもっともである。老いた彼女は魔力の保有量は全盛期に遠く及ばない。つまり、エイダンより少ない。


「貴様が老いるまで、寝ていて正解だったな」

「————お前さん。魔王と名乗るには、ちと小物すぎやしないかい?」

「臆病な者こそ生き残るものだ。強さと弱さは表裏一体」

「立場が違えば、うちの馬鹿弟子と気が合いそうだね。お前さん」

「貴様の弟子か。早めに殺しておくべきだな」

「おっと」


 マギサが水龍を連投する。

 炎魔法を使って熱湯となった龍。雷魔法で感電した龍。氷魔法で凍結した龍。あらゆる魔法を投入してみたが、尽く時間停止魔法に阻まれる。


「ふん。魔素の質に左右されず、万物を止めることが出来るのかい。精霊か妖精にでも愛されているのかい?」

「当たらずとも遠からずだな」


『妖精つきの冒険者を探しているんです!』


 マギサの脳裏に、弟子のフィオの言葉が思い浮かぶ。マギサ以外で唯一、単独でのS級認定冒険者であるエイダン・ワイアットにまつわる、まことしやかな噂が本当であれば。彼の周りのどこかにフィオと同じく妖精がいるはずである。


「それっぽい気配は……感じなくはないね」


 エイダンの右肩の上。そこの空間の魔素の流れに、マギサは違和感を覚えた。

 いる。

 おそらく噂は本当だ。


「皮肉だね。馬鹿弟子の願いを叶える唯一のヒントを持つのが、よりによってこいつとは」

「何を独り言している。集中しなければ死ぬぞ」

「あんた、楽しんでないかい?」

「そんなわけあるまい」


 魔王が攻撃に転じ始めた。







「リミットだ。まずいね」


 トウツの足が止まった。

 因幡の人身御供が切れたのだ。彼女の奥の手が終わった。魔法の制約の代償が始まる。両腕の筋肉が悲鳴をあげ、繊維という繊維が千切れる感覚が襲ってくる。

 拷問訓練の経験があるにも関わらず、未知の激痛に思わず膝をつく。


「最悪だ」

「その台詞、僕のものじゃない?」


 ライコネンの呟きに、トウツがか細い返答をする。


「俺は手前の魔法を最後まで攻略できなかった。申し訳ねぇ。戦士失格だ」

「戦争は最後に立った人間の勝ちだよ。君は僕に勝ったのさ」

「慰めてくれるじゃねぇか。ベッドルームでもシテくれるか?」

「戦場慣れしている男特有のその、すぐ下ネタにもっていこうとするの、嫌いなんだよね」


 この場にフィオがいれば、「どの口が!?」と突っ込んでいるところだろう。


「いや、すまねぇ。俺にお前を抱く権利はないわな」

「嫌になるなぁ。君。今からすることさえ違えば、フィオの友達になりそうなのが、すごく嫌」


 トウツが渋面する。


「何言ってるかわかんねぇが、お前の首はもらうぞ。俺はお前と戦ったことを一生誇りに思うだろう。お前もあの世で誇れ」

「何その変な自己肯定。人殺しをそうやって正当化しないでほしいなぁ」

「間に合った!」


 細いシルエットの女性がその場へはせ参じた。


「あぁ?」

「間に合わなくていいんだけどなぁ」


 ライコネンが少し切れ気味に。トウツが呆れてその人物を見やった。


 クレアだ。

 既に矢の羽根に手をかけ、ライコネンを狙っている。


「その兎人の人を開放して!さもないと撃つわ!」

「ふざけんなよガキ。俺は今最高に楽しい戦いが終わった後なんだ。雑魚が出しゃばるんじゃねぇ」

「どかないわ。その人は私の兄の大切な人。生かして帰す」


 クレアが矢を放つが、ライコネンはよけなかった。

 矢が厚い胸板に刺さるが、へし折れて地面へ落ちる。クレアは敵とすら認知されていなかった。


「中々才能はある。十年後には戦ってみてぇが、つまらんな。何故今出てきた。お前のようなガキを殺したところで武勲にも——ん?」


 ライコネンの目が見開いた。


「お前!人相書きにあったエルフの巫女のガキじゃねぇか!ハハ!自分から出てくるのかよ!馬鹿じゃねぇのか!?」


 本当にそうだよ。

 トウツは内心で毒づいた。

 彼女にとってベストの未来は、フィオもクレアも死なないという未来だ。自分はクレアを生贄に捧げて、確実にフィオが生き残る未来を選んだ。マギサやエイブリー、パーティーメンバーと結託して。

 だが、それはクレアを守ることに最善を尽くさないことと同義ではない。

 託宣夢はあくまでも、未来予測だ。

 上手く動けば回避できる可能性はあるのだ。

 トウツは慎重にその糸を手繰り寄せていたが、クレアの早い登場によってそれが断ち切られた。


「クレアちゃんさぁ。死にたいのかな?」

「そのつもりです。貴女が言えた義理ですか?」


 クレアがトウツの隣に立つ。

 それを言われたら、トウツは何も言えない。彼女はクレアに堂々と「フィオのために死んでくれ」と頼んだ側の人間だからだ。


「もうちょっと長く生きようとか思わないのかなぁ?」

「私が長く生きれば生きるほど、兄さんが死ぬ確立が上がります」

「兄さんねぇ」


 それを生きてのびて何度も言ってあげたら、フィオは喜んだろうにね。トウツはそう言おうとしたが、口をつぐむ。

 ここまで来たら、彼女には死を覚悟してもらわなくてはならない。

 自分は失敗したのだ。

 最良の選択は奪われた。であれば、順当な選択をするしかない。クレアの死による、フィオの生存だ。


「クレアちゃん」

「何ですか?」

「死ぬ前にお義姉ちゃんって呼んでくれない?」

「何か貴女は嫌です」

「ちぇ~」

「十分待ってやったぞ!二人同時でいいからかかってこいや!」


 ライコネンの咆哮で、大気が震える。

 空気の振動により、トウツの両腕が鈍痛で悲鳴をあげる。クレアの足がすくむ。


 矢が放たれた。

 今度はライコネンが防御・・した。


「……誰だ、こいつは?」


 矢を弾いた二の腕から、血が滲む。

 トウツは驚く。この獅子族の王に、傷をつけられる人間がまだ、この戦場にいたのだ!


「娘が世話になったね」

「ここからは、私達がお相手するわ」


 建物の影から、二人の人影が現れた。

 肌は陶磁のように白く、顔の造形は普人族ではあり得ないほど整っている。墨のような髪の男。翡翠のような美しい瞳をもつ女性。

 カイムとレイアだ。


「お父さん!? お母さん!?」

「わお」


 クレアが声を荒げ、トウツは片眉を上げる。


「へぇ。エルフの狩人かい?」

「そうだ。この子は私達の娘でね。殺されるわけにはいかない」


 カイムの目は血走っていた。額には血管が浮き出ている。レイアは真顔だが、静かに怒っていた。

 目の前の男が、愛娘を長年苦しめていた夢の中の悪漢。

 二人の周囲には、魔力が迸り地面を揺らしていた。


「最高だな。この国は、獲物に事欠かないぜ」

「貴様はハンティングでもしている気分なのだろうな」

「森で狩りをするお前らと、どう違う?」

「何も変わらないさ。何も」


 カイムに否定されなかったことに、ライコネンが意外そうな顔をする。


「だが、貴様はハンティングの標的に私の娘を選んだ。それだけで殺すには十分だ」

「俺もそう思うぜ。戦場はシンプルでいい」


 ライコネンからの圧が強まった。

 そのプレッシャーの中、動いたのは意外にもクレアだった。


「父さん母さん何してるの!? どうしてこんな」

「クレア!」


 近づこうとするクレアを、カイムが一喝する。

 立ち止まったクレアは、ばつの悪そうな顔をする。


「私達に嘘をついたね?」

「でも、兄さんを助けないと!」

「そのために自分は死んでいいと?」

「お父さんも、お母さんも!私を愛してくれたじゃない!兄さんは愛されなかった!」


 彼女の言葉に、カイムもレイアも何も返せない。


「私は独り占めしたの!兄さんがもらえるはずだったものを!だから清算するの!」

「クレア」


 カイムがクレアの頭の上に手を置く。


「私とレイアはお前たち二人の親だ。相談してほしかった。二人を守るために戦いたかった」

「でも、だって!」


 クレアは二の句を繋げることができない。

 助けてと言えば、きっと両親は自分のために獅子族の王と戦うだろう。それはわかっていた。でも、それでは駄目なのだ。

 死ぬ人間が増えるだけ。

 今のこの状況は、クレアにとって最も回避すべき事態だ。


「安心しなさい、クレア」


 レイアがクレアを抱きすくめる。

 クレアが彼女の胸元で、嗚咽をもらす。


「貴女のパパとママは、とっても強いのよ。何よりも、私達を娘の為に戦えない親にしないでちょうだい。親に助けてと言えるのは、子どもの特権よ?」


 クレアは首を横に振る。彼女は「助けて」と言わなかった。


「強情だな。レイアに似たんじゃないか?」

「あら。貴方ではなくて?」

「どっちもよ!フィオ——兄さんもそう!」


 クレアが涙で顔をくしゃくしゃにしながら言う。


「あ~、つまりあれか? 四人いっぺんに戦うってことでいいのか?」


 ライコネンがつまらなそうに呟いた。

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