第353話 魔軍交戦50 地下戦線
「今だ!敵は怯んでいるぞ!一斉に攻撃せよ!」
ラクタリン枢機卿の号令にならい、退魔師達が一斉に浄化魔法を発現させる。隣では、冒険者や傭兵が隊列を組み、投石を試みる。フィオ・ストレガの
「ふン。猪口才デスね」
肉が蒸発する音が響いた。
石を回収しようとした冒険者をヘドロで飲み込み、身体を溶かしてしまったのだ。
「何だと!?」
ラクタリン枢機卿を始め、冒険者達がたじろぐ。
先ほどまでは、トトのヘドロはそれほど高速では動いていなかったのだ。彼は
だが今は違う。
「枢機卿!被害が看過できません!教会の
「怯むな!」
「!?」
ラクタリンの言葉に、その場の全員がぎょっとする。
「あの動きは、やつに余裕がないことの表れだ!ここで我々が根負けすれば、二度とやつを仕留める機会を失う!それは断じてならん!既に死んだ仲間に顔向けができない!」
歯を食いしばるラクタリンの表情に、周囲の人々が感化され始める。
もはや、ここで命を賭ける選択をとれない人間は戦場にいない。損得で動く傭兵や、覚悟が足りなかった冒険者達は既に東から逃げ出している。斥侯達が再び、ヘドロの
「無様ですネェ!石くれを拾ウために命を投げ捨てますカ!」
「既に亡者となった貴様にはわかるまいて!」
「オヤオヤ、逆ではあーりマセンか? 死んでいるからこそ、ワタシは知っているのデスよ? 命の価値ヲぉ!」
トトの周囲にあるヘドロが歪にその形を変え始める。もはや、鞭でも槍でもない。紐。もしくは触手か。おぞましく蠢く液体とも個体ともつかないどす黒い触手で、人間を捕まえては骨まで溶かしていく。
「退魔師は敵を直接狙うな!触手を狙え!石を拾う斥侯達を守ることに専念せよ!斥侯達は石を
ラクタリン枢機卿が叫びながら大量の魔力を練り上げる。
限界だ。
周囲の退魔師や神父たちは、ラクタリン枢機卿の残り体力を気遣う。彼は既に、夜通し吸血鬼と戦った後である。仮眠をとっているとはいえ、この連戦。それに、彼は軍属ではなくあくまでも神父である。持久戦に慣れているわけではない。
彼は精神力のみで戦っている。
ラクタリン枢機卿の浄化魔法がトトの胴体へさく裂する。トトの胴体が焼き切れるが、すぐにゼリー状のヘドロが体積を埋めて復活する。
「くだらない悪あがきデスね。意味がないというに——ム?」
上空から嫌な気配がした。
神聖な、神経をひりつかせる苛立たしい気配。
「ここにきて聖女や石ころ以外の、面倒ナ!」
トトが上空を見上げる。
そこには変わらない景色があった。
マギサ・ストレガが持ち上げた膨大な水と、それが変形した水龍。曇天。滑空する鉄竜やグリフォン。天馬。
そこに紅一点が一つ。
あのワイバーンである。
口を鰐のようにあんぐりと開けている。まるで自分の直径よりも巨大な卵を飲み込む蛇のようだ。顎が外れそうな勢いで開いている。白目をむいて、正気を失っているかのような危険な表情をしている。
「待て。ちょっと待テ」
ワイバーンの口元で、浄化魔法が収束していく。それは、純度の高い全く加工されていない魔力の塊。人間のように、魔素を演算し、加工し、魔法として打ち出すものではない。ただの力の塊を打ち出すという最もシンプルで原始的な攻撃方法。
「待て。貴様、亜竜の癖ニ。真龍じゃァないだロウ!?」
真っ白な
トトは踵を返して逃げの一手をとる。
戦略的撤退ではない。
彼は「これは食らってはまずいものだ」と判断したのだ。
マギサが水路から吸い上げた水。そこから発露した蒸気が一瞬で霧散する。円環状に波動が解き放たれ、その真下に位置していたトトの身体。つまりヘドロがまとめて浄化、蒸発して一気にその体積を減らす。
「己ァあァあ!? 蜥蜴の!畜生の分際でワタシの身体を無駄に費やしおって!死者の王たるワタシの!身体が!どれだけの価値があると思ってイルのデスか!? 貴様のような畜生にはわからないでしょうねェ!」
ヘドロがずるりと、用水路の中に入っていく。
地下用水路。それが彼の逃走経路だ。同時に、ヘドロの
ヘドロを操舵し、排水に混ざり進む。進む。水の推進を利用して南へ、南へ。
「予想外でしタ。ふ、フフ。あの森は蜥蜴を龍にまで昇華できる化け物製造機なのデスね。今度、実験体をサンプリングしなければ。ふ、フフフ。デスが、脳筋獅子と魔王が暴れている時点で、コノ国は終わりデスよ。ワタシの仕事は終わりましタ。後は、ストレガがいい感じに魔王を追い込んでくれるといいデスねェ。脳筋は何とかなりマス。あれはワタシの正体に絶対に気づかない。むしろ、気を付けるべきはキリファ君とレイミア嬢でショウか? 否、キリファ君は世界の覇権などに興味はないでしょうねェ。つまり、この戦に乗じて魔王とレイミア嬢を殺せバ、地上の覇権はワタシのモノ————」
「残念ですが、覇権とは、覇道とは、既にテラ神が歩いているものですわ。どこの宗教でも、教えにありませんこと? テラ教でない異教、邪教にすらありますことよ。真ん中は神様の道。人間風情は右脇左脇を歩け——と」
「……何故、お前がここにイルのデス?」
「愛ゆえに、ですわ」
「何故、そこで、愛なんデスかねェエエ!?」
ヘドロが一斉にファナ・ジレットを襲う。
ファナは尽くを十字架で打ち返し、銀の輪でトトの頭を吹き飛ばす。
「無駄デスねェ!全くの無駄ァ!ワタシの本体を倒せなければ、意味がないと何度言えバ————」
「では何故、地下へ逃げたんですの?」
「!?」
ファナの瞳が、嗜虐的に歪んだ。
「あるのですね? 本体が。その骨以外のどこかに。突き止めますわ。否、面倒ですわね。肉片残らず、全て浄化して、平らげて、蹂躙してみせますわ」
「ヒ、ひぃイ!」
トトは恐怖した。
体積はほとんど無くなりかけている。地上での飽和攻撃。ラクタリン枢機卿の決死の一撃。そしてワイバーンの
彼は撤退するタイミングを間違えたのだ。
もっと早く敵を過大評価していれば。
もっと早く退路を確保していれば。
この女は、この傀儡を壊したら本体を血眼になって探すだろう。そして、恐らく見つける。そう思わせる凄みと狂気が彼女にはあった。
後悔しても遅い。
トト・ロア・ハーテンには、ファナ・ジレットを退けるほか手立ては残されていないのだから。
「ふざけるなふざけるなふざけるな!このワタシが、死者の王たるこのワタシが!こんなところで、ドブネズミの住処で終わるなどあり得ない!」
「ご安心くださいまし。神は全ての命に平等ですわ。ドブネズミだろうが骨だろうがヘドロだろうが、平等に罰してくださいますわ」
「それが嫌いなんデスよねェ!神!? 何様ですか!? 勝手に上位存在に居座りやがって!その席を寄越せ!ワタシに寄越せ!貴様のようなゴミよりも上手に世界を作り替えてくれるわ!」
「あら、口調が崩れていますデスわよ?」
ぞりっと、肉がこそぎ落ちる音が地下に響く。ヘドロの体積が見る間に減っていき、トトの姿が人型になっていく。
「
トトが残りの呪いを絞り出して攻撃する。彼が常に余裕を見せていたのは、戦い方に魔力をほとんど必要としない。つまりは、消耗しない戦法をとっていたからだ。呪物と呪いを古今東西から集め、それをヘドロや触手として撃ち出す。呪いそのものが攻撃であるため、彼はほとんど魔力を消耗しないのだ。
死霊高位騎士も同じ発想から創り出した。
今は違う。
彼には呪物が足りていない。地上であらかた浄化されてしまったのだ。残り少ない呪いに、自身の魔力を乗せて強化、操舵している。
「
ファナが十字架で打ち返す。
「おヤ?」
トトが頭蓋を捻った。
何故、聖女は十字架で攻撃を撃ち返したのか。
わざわざ近接攻撃の十字架でヘドロと触手を浄化して潰したのだ。
ハイリスクである。
触れれば聖女でも無事では済まない呪いであるはず。
つまりは。
「な、る、ほ、ド。成る程成程。ソーデスカ。ワタシも限界が近イ。デスが、貴女はそれ以上に追い詰められているようデスねェ。聖女ジレット」
「貴方を屠るには十二分ですわ」
「戯れるなよ。小娘が」
「在るべき場所に還してさしあげますわ。死に損ないの凡骨」
ファナが敵の懐に飛び込んだ。
トトは下水をヘドロに変換しようとするが、水が足りない。マギサが下水の水まで根こそぎ吸い上げてしまっているからだ。
地下に生息するわずかなネズミを呪い殺し、自身の血肉として補強していく。
だが、足りない。
ファナの猛攻により、削られ、斬られ、弾ける体積に追いつかない。
「ヒ、ヒヒヒヒヒ!根競べデスねぇ!貴女とワタシの!デスが、貴女はワタシの本体がどこにあるのか分からない!聖女ヨ!詰みデス!詰んでマスよあな————ア?」
ガシャンと、トトの身体が弾けて地面に散らばった。
肋骨がバラバラに散乱し、頭蓋骨が硬質な地面の上で狂った駒のようにスピンする。身に着けていた指輪、王冠などの豪奢な呪物は、その力を鈍らせて動かなくなる。
「……どういうことですの?」
十字架で、念のため頭蓋骨を砕きながらファナが呟く。トトの亡骸から、不浄な気配は全くしなくなった。
「傀儡を操作できなくなった? 誰かが、トト・ロア・ハーテンの本体に接触できたということ? 誰ですの?」
ファナの呟きが、地下水道に木霊した。
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