第351話 魔軍交戦48 水騒動
「聖水を作るぞ! 神父とシスターは浄化魔法を!」
「怪我人の治療にも清潔な水を回してくれよ!」
「吸血鬼倒さないと、その怪我人が増えるんだろうが!」
「じゃあ目の前の怪我人を俺たちに無視しろって言うのかあんたは!」
教会周辺は怒号の嵐になっていた。
人も足りなければ物資の供給もギリギリである。
目の下に隈を作り呪詛を呟きながら魔法をかける様は、聖者というよりも呪殺者である。中には怪我人の方が治療者の心配をする問答すら見られた。
冒険者達は、普段は教会の人間を既得権益だなんだと文句を言っていた。この戦いが終われば、数年は誰も文句を言えなくなるだろう。それほどに教会の役割というのは大きかった。特に南と西の戦いにおいては。
「あの」
「「何だぁ!?」」
「ひぃ!?」
教会入り口から声をかけた若いシスターに、その場の全員がいきりたって怒鳴り返した。くだらない要件であればシスターを切り刻みそうな勢いである。
「あの、水がありません」
「はぁ!?」
「何言ってんだ!?」
「そんなわけねぇだろ!? 早くディザ川から持ってこい!」
「ひぃ!?」
若いシスターが泣きそうになる。
が、歯を食いしばってもう一度声を張る。
「あ、あの!本当にないんです!川の水が、全部!」
「そんなわけねぇだろ!?」
教会にいた人間が慌てて外へ出る。
石畳の道を横切り、教会のそばの川を覗き込む。
そこには川の底が映し出されていた。数十センチの高さのみ水が残されており、水中生物が水草に埋もれて身を捩っている。
「マジでねぇ」
「どこに行ったんだ?」
「あ、あの。上です」
「あぁ!?」
「はい、あの。お空に、飛んじゃいました」
「はぁ!?」
全員が空を見上げると、膨大な水が都の上空を円環状に浮いていた。
「どういうこった」
「ありえねぇ」
「夢でも見てんのか?」
教会にいた聖職者や怪我人たちが、口々につぶやく。
見ると、水の円環の中心にいる人物は、長く都に住んでいた人間ならば、誰もが知る老婆だった。
「何だ、ストレガか」
「じゃあ、仕様がねぇな」
「え!? 切り替え早すぎません!?」
「そっか、嬢ちゃんはストレガが隠居してから物心ついた世代だよなぁ」
「おい、川じゃなくて井戸から水を持ってこい」
「閑古鳥泣いてる水屋には朗報だな。大量発注してやれ」
「え!? 都に水屋ってあるんですか!? ストレガ様が水路整備されたのに!?」
「それが何故かあるんだよ……」
「よしきた!」
怪我人の冒険者や騎士達が水の買い出しに走り出した。
「あぁ! まだ治療が終わってないのに!?」
「このくらい軽傷だぜお嬢さん!」
「医療従事者はいつも安静にしろ安静にしろ五月蝿いねん!」
「走るくらいはできらぁ!」
「ありがとうな!シスターの嬢ちゃん!」
「結婚してくれ!」
「どさくさに紛れて何言ってるんですか!?」
男衆が好き勝手言う様に、若いシスターが覇気のない怒気を見せた。
「私の戦いって、何だったのよ」
アルク・アルコはため息をついた。
水路を用いた敵の侵入を食い止める。それが勇者パーティーに所属する彼女に言い渡されたミッションである。確実に任務は遂行していた。怪我人の処置や聖水を作るために、教会は水路周りに配置されていることが多い。それらの施設は、戦時に救助センターとしての役割を担う。水生の魔物の攻撃を許せば、そこが潰されてしまうのだ。
その脅威を尽く退けてみせた。
彼女の働きにより、南の防衛はトト・ロア・ハーテンの強襲を除けば完璧に近いものとなっていた。
ところがストレガは強引な方法で水生の魔物を全滅させてみせた。
全ての水路から水を根こそぎ持っていくという方法である。
両生類の魔物は陸上に乗り出して冒険者や騎士と戦っているが、陸上専門の魔物と違って動きは鈍い。両生類の魔物が恐ろしいところは、陸に短い時間上がって、獲物を水中に引き摺り込めることにある。それが封殺されているのだ。あっという間に討伐されている。
最も度し難いのが、この結果はあくまでも副次的なものであるということだ。彼女は目の前の敵を倒すために水を持ち上げただけ。目の前の魔物達が討伐されているのは、あくまでも「ついで」なのだ。
アルクは空を見上げる。
そこには、見たこともない速度で魔法の応酬をする魔王とマギサ・ストレガがいた。マギサにおいては、都中の水を浮遊させつつ片手間で魔法を行使している。
「誰も宮廷魔道士になりたがらないわけだわ」
あれの後任だなんて、何かの罰ゲームである。
現状、役職にこそ就いていないものの、シャティ・オスカが実質そのポストに収まっている。国からオファーはされたはずだが、彼女は拒否している。短い期間だが、マギサ・ストレガにも師事している過去がある。マギサが特定の誰かを教えるというのは、非常に稀である。探求者で合って、教育者ではないと本人が自認しているからに他ならない。そのマギサがシャティにものを教えたとなれば、マギサもまたシャティから学べるものがあったということである。
「
アルクは同じ種族の少年を思い浮かべる。
あれはおそらく、自分の師匠と同じく高い志を持っているのだろう。いや、深いと言うべきか。
「いいじゃないの。小人族なんて範疇に収まらないわ、私は。シャティ・オスカも、フィル・ストレガも、マギサ・ストレガだって超えてみせるわ」
彼女は西を見やる。
「南は浄化魔法が使えないと戦いに参加できない。西にはルーク達が戻っているはず」
ルークとキサラは魔王城という本丸に切り込んでいる。だが、生き残って帰ってくるはずだ。仮初かもしれないが、彼は勇者なのだ。プロパガンダかもしれないが、国が「今一番強い男」と選ぶくらいには、ルークは強い。
アルクは彼が帰ってくることを、一点の曇りもなく信じている。
「私の次の戦場は西ね」
中央では、見慣れないゴーレムが魔物達と戦っている。あれはおそらく王宮の切り札だろう。となれば、王宮の最高戦力は全て出払っているはずだ。座して待っていても、指示は来ないだろう。ここから先は、駒が自身で判断する状況に移行しているはずだ。
「最悪、獅子族や吸血鬼に囲まれるかもね。上等」
アルク・アルコが、再び動き出した。
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