第351話 魔軍交戦48 水騒動

「聖水を作るぞ! 神父とシスターは浄化魔法を!」

「怪我人の治療にも清潔な水を回してくれよ!」

「吸血鬼倒さないと、その怪我人が増えるんだろうが!」

「じゃあ目の前の怪我人を俺たちに無視しろって言うのかあんたは!」


 教会周辺は怒号の嵐になっていた。

 人も足りなければ物資の供給もギリギリである。鳥人族スカイピープル天馬ペガサス部隊が踏ん張ってはいるが、依然として制空権は敵側にある。鉄竜の物量があまりにも大きすぎるのだ。ゆえに最も利便性の高い空輸が困難である。ヘンドリック商会が物資輸送のための陸路を特急で整理したため、何とか追い付いてはいる。だが、教会の倉庫にある作り置きの聖水はもはや尽きていた。ここから先は製造からの現場直送である。昨晩の吸血鬼との戦いで消耗した教会関係者達は、仮眠をしては浄化魔法や治癒魔法を駆使し、また死んだように眠るデスマーチとなっている。


 目の下に隈を作り呪詛を呟きながら魔法をかける様は、聖者というよりも呪殺者である。中には怪我人の方が治療者の心配をする問答すら見られた。


 冒険者達は、普段は教会の人間を既得権益だなんだと文句を言っていた。この戦いが終われば、数年は誰も文句を言えなくなるだろう。それほどに教会の役割というのは大きかった。特に南と西の戦いにおいては。


「あの」

「「何だぁ!?」」

「ひぃ!?」


 教会入り口から声をかけた若いシスターに、その場の全員がいきりたって怒鳴り返した。くだらない要件であればシスターを切り刻みそうな勢いである。


「あの、水がありません」

「はぁ!?」

「何言ってんだ!?」

「そんなわけねぇだろ!? 早くディザ川から持ってこい!」

「ひぃ!?」


 若いシスターが泣きそうになる。

 が、歯を食いしばってもう一度声を張る。


「あ、あの!本当にないんです!川の水が、全部!」

「そんなわけねぇだろ!?」


 教会にいた人間が慌てて外へ出る。

 石畳の道を横切り、教会のそばの川を覗き込む。

 そこには川の底が映し出されていた。数十センチの高さのみ水が残されており、水中生物が水草に埋もれて身を捩っている。


「マジでねぇ」

「どこに行ったんだ?」

「あ、あの。上です」

「あぁ!?」

「はい、あの。お空に、飛んじゃいました」

「はぁ!?」


 全員が空を見上げると、膨大な水が都の上空を円環状に浮いていた。


「どういうこった」

「ありえねぇ」

「夢でも見てんのか?」


 教会にいた聖職者や怪我人たちが、口々につぶやく。

 見ると、水の円環の中心にいる人物は、長く都に住んでいた人間ならば、誰もが知る老婆だった。


「何だ、ストレガか」

「じゃあ、仕様がねぇな」

「え!? 切り替え早すぎません!?」

「そっか、嬢ちゃんはストレガが隠居してから物心ついた世代だよなぁ」

「おい、川じゃなくて井戸から水を持ってこい」

「閑古鳥泣いてる水屋には朗報だな。大量発注してやれ」

「え!? 都に水屋ってあるんですか!? ストレガ様が水路整備されたのに!?」

「それが何故かあるんだよ……」

「よしきた!」


 怪我人の冒険者や騎士達が水の買い出しに走り出した。


「あぁ! まだ治療が終わってないのに!?」

「このくらい軽傷だぜお嬢さん!」

「医療従事者はいつも安静にしろ安静にしろ五月蝿いねん!」

「走るくらいはできらぁ!」

「ありがとうな!シスターの嬢ちゃん!」

「結婚してくれ!」

「どさくさに紛れて何言ってるんですか!?」


 男衆が好き勝手言う様に、若いシスターが覇気のない怒気を見せた。







「私の戦いって、何だったのよ」


 アルク・アルコはため息をついた。


 水路を用いた敵の侵入を食い止める。それが勇者パーティーに所属する彼女に言い渡されたミッションである。確実に任務は遂行していた。怪我人の処置や聖水を作るために、教会は水路周りに配置されていることが多い。それらの施設は、戦時に救助センターとしての役割を担う。水生の魔物の攻撃を許せば、そこが潰されてしまうのだ。

 その脅威を尽く退けてみせた。

 彼女の働きにより、南の防衛はトト・ロア・ハーテンの強襲を除けば完璧に近いものとなっていた。


 ところがストレガは強引な方法で水生の魔物を全滅させてみせた。

 全ての水路から水を根こそぎ持っていくという方法である。

 両生類の魔物は陸上に乗り出して冒険者や騎士と戦っているが、陸上専門の魔物と違って動きは鈍い。両生類の魔物が恐ろしいところは、陸に短い時間上がって、獲物を水中に引き摺り込めることにある。それが封殺されているのだ。あっという間に討伐されている。

 最も度し難いのが、この結果はあくまでも副次的なものであるということだ。彼女は目の前の敵を倒すために水を持ち上げただけ。目の前の魔物達が討伐されているのは、あくまでも「ついで」なのだ。

 アルクは空を見上げる。

 そこには、見たこともない速度で魔法の応酬をする魔王とマギサ・ストレガがいた。マギサにおいては、都中の水を浮遊させつつ片手間で魔法を行使している。


「誰も宮廷魔道士になりたがらないわけだわ」


 あれの後任だなんて、何かの罰ゲームである。

 現状、役職にこそ就いていないものの、シャティ・オスカが実質そのポストに収まっている。国からオファーはされたはずだが、彼女は拒否している。短い期間だが、マギサ・ストレガにも師事している過去がある。マギサが特定の誰かを教えるというのは、非常に稀である。探求者で合って、教育者ではないと本人が自認しているからに他ならない。そのマギサがシャティにものを教えたとなれば、マギサもまたシャティから学べるものがあったということである。


小人族ハーフリング一番の魔法使い、か。いつの間にか、狭い目標を立ててたのね、私」


 アルクは同じ種族の少年を思い浮かべる。

 あれはおそらく、自分の師匠と同じく高い志を持っているのだろう。いや、深いと言うべきか。


「いいじゃないの。小人族なんて範疇に収まらないわ、私は。シャティ・オスカも、フィル・ストレガも、マギサ・ストレガだって超えてみせるわ」


 彼女は西を見やる。


「南は浄化魔法が使えないと戦いに参加できない。西にはルーク達が戻っているはず」


 ルークとキサラは魔王城という本丸に切り込んでいる。だが、生き残って帰ってくるはずだ。仮初かもしれないが、彼は勇者なのだ。プロパガンダかもしれないが、国が「今一番強い男」と選ぶくらいには、ルークは強い。

 アルクは彼が帰ってくることを、一点の曇りもなく信じている。


「私の次の戦場は西ね」


 中央では、見慣れないゴーレムが魔物達と戦っている。あれはおそらく王宮の切り札だろう。となれば、王宮の最高戦力は全て出払っているはずだ。座して待っていても、指示は来ないだろう。ここから先は、駒が自身で判断する状況に移行しているはずだ。


「最悪、獅子族や吸血鬼に囲まれるかもね。上等」


 アルク・アルコが、再び動き出した。

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