第348話 魔軍交戦45 西部戦線

「何なのよ、これは」


 レイミア・ヴィリコラカスは当惑していた。

 誇り高き同胞達が、ただの石ころに撃墜されているのだ。

 聖水。塩。薔薇。蹄鉄。サークルアンドクロス。銀。蠟燭。日光。白木の杭。

 それらに打倒されることは、まだわかる。

 だが、よりにもよって石ころ。高貴な存在である吸血鬼達が、ただの路傍の石に絶命している。彼女のプライドが、この現状を受け付けたくないと呪い叫ぶ。

 一体全体、どんな気狂いだ。吸血鬼を打倒しうるほどの浄化魔法を石ころに付与する変態なんて、見たことも聞いたこともない。


「ふざけるな。私達をこけにしているの?」


 歯噛みし、唇から血をもらす。

 黒傘鷺ネーロイービス・コダが足かせとなっている。吸血鬼を運搬するための日傘が、退路を断っている。巨大鷺の下でしか動けない吸血鬼達は、投石のいい的である。


「市街地へ散開!建物の影を使ってゲリラ戦に持ち込むわ!」

「なりませぬ!」

「我々の誇りが許しません!」


 周囲の吸血鬼達が、口々に異論を唱える。強者ゆえに、正面から戦うことを旨とせよ。吸血鬼達の流儀である。


「種を絶やしてはならぬ!行け!」


 レイミアの号令に、吸血鬼達が歯噛みしつつ地上へ降りていく。

 彼女は真祖の血が濃い。ゆえに、ある程度日光を克服してはいる。が、他の眷属達はその限りではない。


『弱体化していくだけの種族に、未来などありませんわ』


 つい前の晩に戦った、聖女の言葉が呪いの様にのしかかる。

 レイミアとて分かっている。吸血鬼は、仲間をつくるたびに血が薄くなる。真祖の血が。その真祖はここ数百年、姿すら現さない。

 だからこそ、自身がそれにとって代わろうとした。

 藁にも縋る思いで手を伸ばした先に、あの男がいた。

 魔王、エイダン・ワイアット。


 この男は真祖すら凌ぐ存在かもしれない。彼女は迷いなくその手をとった。どうせ今まで手を差し伸べてくれた者などいなかったのだ。ここは騙されたつもりで手を握ろう。

 その結果がこの様である。

 あの男を支持したのは、正解だったのか。現に今、数少ない同胞が減っている。だが、進まなければならない。真祖がいない今、頭目は自分なのだ。


「人間風情が、許さないわ。家畜の分際で」


 悪寒が走った。

 レイミアは勘に任せて身をひるがえす。

 斬撃が脇の下をかすめた。


「惜しい。他に注意が向いた瞬間に飛ばしたはずなんだけどなぁ」

「焦らないで、ルーク。あいつの周りに眷属はいないわ。ほぼ丸腰よ」

「分かってるよ、キサラ。仕損じないさ。ここで勝てば、少しは勇者らしいかな?」

「勇者、ルーク・ルークソーン!」


 レイミアが歯軋りを立てて大鎌デスサイズを顕現する。


「キサラ、バックアップを。出来ればマギサ・ストレガの援助に向かいたい」

「出来るかしら。あれを倒すのは骨が折れると思うわ」

「やってこそ、勇者だろう?」

「勇者業も、これで終わりにしてくれるならいいのだけれど」

「この戦いが終わったら、王に打診してみようか」

「いいわね、それ」

「私を舐めないで頂戴、人間。殺してやるわ」

「はは、お手柔らかに」


 ルーク・ルークソーンが、苦笑した。







「ふざけんな!逃げるんじゃねぇ!この糞兎がぁー!」

「逃げるなと言われて、はいそうですと止まる人は見たことないねぇ」


 トウツ・イナバは市街地を縫うように逃走していた。

 それをライコネンは一直線に追う。文字通り、真っすぐ疾走していた。家、人、魔物。それらを全てなぎ倒しながらトウツを常に直線に追う。何かにぶつかっても速度が落ちる気配がない。ライコネンの周囲だけは、垂直抗力という概念がないかのようだ。


「うわ、怖い。僕の糞親父でもその走り方はしないなぁ」

「俺と勝負しろ!逃げんじゃねぇ!」

「何言ってんのおっさん。脱兎のごとくと言うでしょ~?」

「はぁ!? 何言ってんだ!ハポン語で喋るんじゃねぇ!」


 トウツが屋根の上に飛び乗る。ライコネンがラリアットで家屋を粉砕する。


「僕は負けないとは言ったよ? でもお前を倒すとは言ってないなぁ。フィルが言ってた。そういう台詞は死亡フラグだからやめとけって。ところでフラグって何? 意味わかる?」

「くだらないこと言ってねぇで勝負しやがれ!」

「もっと会話のレパートリー増やそうよ。脳筋はハポンの御庭番と冒険者で間に合ってる」


 ぴくりと、トウツの耳が動く。

 見知った気配が近づいてくるのがわかる。

 クレアがこちらへ向かっているのだ。


「予定通り、と言えば予定通りかぁ」


 トウツの足が止まる。ライコネンに正対し、刀を構える。


「へぇ」


 ライコネンは笑った。

 先ほどまで、自分のことを歯牙にもかけなかった兎人族が、初めて戦う気を見せたのだ。トウツの殺気がライコネンの表皮をひりつかせる。彼ほどの戦歴のある人間でも、滅多に感じない鋭い殺気。


「どういう風の吹き回しだ? やっと戦う気になったのか?」

「いやぁ~、出来ればおっさんみたいな暑苦しいのとは戦いたくないんだけどねぇ。やむにやまれぬ事情があるからねぇ」

「そいつぁいいぜ。責任感があるやつってのは好きだぜ。戦場から逃げないからな」

責任それとは無縁の人生のはずだったんだけどねぇ。人を好きになるべきじゃあないねぇ」

 トウツがため息をつく。


「正直、妹ちゃんを守る義理なんてないんだよねぇ。僕はフィルさえ生きてれば、後はど~でもいいから。でもね、妹ちゃんを守ろうとしない人間を、フィルは愛してくれないだろうねぇ。人付き合いの悪い、僕でもわかることさ」

「何言ってるのかわかんねぇが、俺に都合のいいこったな。ありがてぇぜ。さ、やろう」

「聞き分けが良すぎて嫌になるねぇ」


 トウツが腕をだらりと下げて脱力する。

 初めて見る構えに、ライコネンの眉間がぴくりと動いた。


「僕の父親はごみというのは明らかなんだけどねぇ、こないだ帰郷したら驚くべきことに、親父は僕をそれなりに愛していたみたいだよ」

「へぇ、そうかよ」


 相槌をうちながら、ライコネンが構える。トウツから溢れる強者の臭いが強まったのだ。探査能力に長けていないが、彼はそういう臭いには敏感であった。


「僕がハポンを亡命しても、次代の御庭番頭目の席を空けていたそうだよ。死んでも座りたくないけどねぇ」

「安心しろ。お前を殺して、父親も同じところに送ってやる」

「送るのは糞親父だけで結構」

 トウツが鯉口に指をかける。


「あの男はね、僕がハポンに帰らないことをわかるや否や、唯一の教え残しを伝授してくれたよ」

「へぇ。そいつは楽しみだ。ゴウゾウ・イナバのとっておきか。腕が鳴るねぇ」

 ライコネンが指を鳴らす。


「使ったら最期、御庭番として機能しなくなるからねぇ。自分の後を継がないとわかると直ぐに教えてくれたよ。現金だねぇ。腹が立つけど、僕の自己中なところはあれに似たんだろうねぇ」


 トウツの姿が消えた。


「あ?」


 ライコネンは無意識に身体強化ストレングスで身体をコーティングした。後先考えずに、ありったけの魔力をつぎ込んだ。

 そうでなければ斬られる。

 彼の勘がそう告げたからだ。


 腕から血が噴き出た。

 斬られたのだ。

 二の腕がぱっくりと割れて、饒舌に血を噴き上げている。


「お?」

「遅いよ」


 膝をついた。

 遅れて、足の腱を斬られたと気づく。


「おっさんの戦闘センス、ほんと意味わかんないねぇ。首と心臓を身体強化で確実に守ってる。でも良かった。意識しているところ以外は、刻めるね」

「手前、何しやがった?」


 後ろに彼女がいると、遅れて気づく。

 魔王以外で初めてだ。敵に後ろをとられるのは。


「因幡の人身御供、という魔法さ。あっちの国では呪術とも言うし、陰陽術とも言うね。御庭番が、確実に君主を守るために使う最終手段さ」

「……何のリスクもなしに、そんなこと出来るわけがねぇ」

「そうだねぇ」


 トウツ・イナバは、この戦いが終わったら戦士として終わる。

 彼女が用いた魔法は、いわゆる魔力の前借だ。今後一生、彼女の両手に魔力が宿ることはない。まともに刀を振るうことは出来ない。

 戦士であることを捨て、フィオ・ストレガと共にある。

 それが自己中心的な人間である彼女が、人生で初めて決断した献身である。


「お前、最高の女だな」

「よく言われる」

「嘘つけ」


 両者の姿が掻き消えた。

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