第345話 魔軍交戦42 獅子博兎

「私も行くわ」


 すっくと、イリスが立ち上がった。


「行くって、どこへ?」


 大理石の床を虚ろに眺めながら、俺は尋ねる。


「私も、私の戦いをするの」

「お前も保険・・じゃないのかよ!?」


 思わず、声を荒げた。

 クレアだけでなく、イリスまで死地へ赴こうとしている。胸が締め付けられそうで苦しい。俺は今、情けない顔をしているのだろう。それとは対照的に、イリスの表情は凪のように落ち着いている。


「ずっと、あんたもクレアも私のことを蚊帳の外に追いやっていたわよね。お互い様よ。安心して。むやみに死ぬようなことはしないわ」

「エイブリー姫はこのことは知っているのか!?」

「知らないに決まっているじゃないの。お姉さまがゴーレムを動かすのに必死な今だからこそ、動くのよ。私、あの人のこと尊敬してる。でも、過保護なところだけは嫌いなの」


 嫌い。

 会ったばかりのイリスは、決してエイブリー姫に言わなかった言葉だ。彼女なりに、従姉妹との関係に決着をつけているのだろう。

 羨ましい。

 俺の今世は、何も決着がついていない。前世だって、そうだ。


「イリス、本当だな? 危ないことはしないよな? 安全なところで戦うんだぞ? 自分より強い相手に挑むなよ!」

「あんたも過保護よね。私、あんたのこと好きだけど、そういうところは嫌いよ」


 妙にすっきりとした口調で言い渡される。

 あまりにも子気味のいい台詞なので、今こんな状況でなければ笑っていたかもしれない。


「私、クレアのことを諦めていないわ」

「…………」


 桜色の視線が、俺を釘づける。


「戦況を変えるほどの力が私にあるとは思わない。でも、運命は糸のようなものよ。どんなに強く結ばれていても、どこかが綻べばほどけるはず。それに、黙って誰かの後ろで見ているようなのはもう、嫌なの。一生、嫌」


 イリスが歩みを進める。


「私、あんたに振られて少しほっとしたのよ。クレアに強く推されたから、告白したのよ。この戦いが始まったら、私達の3人の誰かはいなくなるから。思い残しのないようにって。でも、クレアがいないところで自分だけ幸せになることも、怖かった。だから、あんたに振られてよかったのかもしれないわね」

「……イリス」

「何よ?」

「俺もすぐに行く。戦場そっちへ。だから、待っていてくれ。一緒にクレアを助けよう」

「あんたの出番はないわ。黙ってそこに座っていなさい」


 イリスが舌を出す。

 俺は苦笑して彼女を見送る。


「さて」


 俺は、彼女に向き合う。

 フェリの肩がぴくりと跳ねあがる。

 戦場へ参加するには、もう打てる手が一つしかない。

 情けないが、俺には手札がこれしかない。


 フェリを説得する。


 相手が彼女でよかった。

 フェリは、無彩色に来たる紅モノクロームアポイントレッドで最も優しい心根をもつ女性だ。情に訴えることができる。

 そうとも。

 よくよく考えれば、俺に奴隷紋が刻まれたのは彼女と初めて出会った時のことだ。

 つまりは、マギサ師匠はあの時にはすでに俺を椅子に縛りつける算段をとっていたのだ。師匠の目論見では、トウツが今のフェリの役割だったはずだ。あの日、ギルドでトウツが提案していた。年齢制限に引っ掛かり、冒険者登録できなかった俺を、「奴隷に堕とせばクエストに連れていける」と提案したのは、外ならないトウツなのだ。あれは彼女の提案じゃなかった。師匠の提案だったのだ。いつかこうなる時のために、俺にくさびを打つための。

 トウツはお庭番だ。忍びだ。暗殺者でもある。

 彼女は非情な判断をとることができる。いともたやすく。当たり前の様に。愛する人間が相手でも。

 俺に憎まれようが、平然と俺を裏切るだろう。

 何故ならば、彼女は自身の欲望に恐ろしく素直だからだ。その欲望の前には、俺の意向など意味がない。それが彼女の欲であり、愛情だ。十年一緒にいて、それを痛いほど知っている。


「フェリ、話をしよう」

「話すことは、ないわ」


 意を決したように、フェリが口を開く。

 彼女もまた、俺を助けるために俺を裏切っている。意思が固いようだ。

 突き崩す。何としてでも。







「嘘をつくって、案外すんなりできるものね」


 王宮を後にしたイリスは、ぼそりと呟いた。

 騎士たちは右へ左へと走り回っている。エイブリー姫が次々に騎士の魔力を枯渇させているのだ。壁画の自立人形ヴァントクアドラゴーレムは破竹の勢いで戦果をあげている。その代償に、味方の疲弊も加速させている。こうならないためにエルドランへと彼女自ら交渉へ赴いたのだが、魔王に先手をとられ、エルドランを潰されてしまった。


 王宮内に、イリスへ注意を払える人間は全て出払ってしまっていた。

 一人を除いては。


「イリス様」

「メイラね」


 近衛から、イリスの護衛に異動となったメイラだ。

 ルーグと共に、イリス達を2年かけて鍛え上げた立役者である。


「どこへ行かれるのです?」

「…………」

死霊高位騎士リビングパラディンのところですね」


 イリスの眉がわずかに動く。


「——イリス様であれば、そう動くと思っておりました。聡明で、勇敢なお方。ご自身をこの戦場で最も活用できる選択。あれを止めるおつもりですね?」

「私を止めるの?」

「……いえ、私を連れて行って下されば、是非もありません」

「いいの?」

「私は騎士です。主の意向には逆らいません」

「お姉さまの命令ね」


 今度はメイラの表情が強張った。


「お姉さまのことよ。どうせ、私に首輪をかけるのは無理なんだから、いくらか我がままを聞いてあげなさいとでも命令されたんでしょう?」

「少し、違います」

「……何?」

「イリス様ならば、出来ると。もう守ってあげるようなやわな子ではないと、申しておりました」

「そう。——そう」


 イリスの目に、強い意志が宿る。


「アル達が戦っているはずよ。道中の魔物から私を守ってくれるかしら? 私の騎士」

「ご随意に」


 2つの人影が、とてつもない速度で王宮を飛び出した。







「フェリちゃんには嫌な役割をお願いしちゃったなぁ~」


 戦場に降り立ったトウツが、緊張感のない緩い表情で呟いた。


「僕がやる予定だったんだけどねぇ。嫌だろうなぁ。苦しいだろうなぁ~。フェリちゃんは優しいからなぁ。でも、仕様がないからねぇ。僕らのパーティーメンバー全員の願いは、フィオが生存すること。他はどうでもいいからねぇ。ファナちゃんは少し違うかもだけど」

「あんた、ふっざけんじゃないわよ!」


 横に着地したアズミがトウツにローキックを放つ。

 何でもないかのように、トウツがさらっとかわす。

 その余裕綽々な様子が更にアズミを苛立たせる。


「魔物の包囲網に同僚を置き去りにするやつがいる!? 何あれ!? 普通に雑兵の中にA級に片足突っ込んでる魔物がいたんだけど!? ハポンにもあんな百鬼夜行ないわよ!」

「どうどうどう。アズミちゃんは元気がいいなぁ」

「おかげ様でね!」


 アズミがトウツに罵倒を浴びせ続ける。トウツはそれを意にも介さない。目線はずっと同じ方向を見ている。

 悪口に熱中していたアズミも、彼女がハポンで一度も見せたことがないような表情に驚き、口を紡ぐ。

 そして、目線の先を追う。


 そこには、彫像のように固まった獅子がいた。

 周囲は衝撃波でも起きたのだろうか。更地になっている。


「……誰よ、そこに固まっているマッチョなおっさんは」

「獅子族の王様らしいよ?」

「……あんた正気?」

「正気も正気」


 アズミの問いに、トウツがへらへら笑いながら答える。


「何言ってんのよ。あれ、何故か動きが止まってるけど、動き出したら私達確実に粉みじんにされて殺されるわよ?」

「それはやってみないと分からないねぇ」

「頭でも打ったの? あんた、そんな熱血キャラじゃなかったでしょう? ここにきてゴウゾウ様の血が騒いだの?」

「あれは父親じゃない」


 珍しく語気を荒げるトウツに、アズミがおののく。


「しかし、マギサお婆ちゃんの言う通りだったねぇ。これが魔王の魔法かぁ。そりゃ~、史実で誰も勝てなかったわけだねぇ。伝承の勇者は、封印に成功したんじゃない。負けを確信した魔王が自らの時間を止めていたのかぁ」

「あんた、何を言ってんの?」

「いや、こっちの話」


 トウツの適当な返事にアズミはむっとする。

 が、すぐさま臨戦態勢をとった。

 理由は単純明快。

 獅子の王から、強大な魔力の反応が噴き出したからだ。


 衝撃音。

 途中で止まっていた更地が、一瞬にして侵攻した。

 トウツとアズミの目の前で、町が丸ごと削れていった。轟音が鳴り響き、衝撃波で空気が押し出され、空を舞う鳥人族スカイピープルや鉄竜、グリフォン達が一瞬バランスを失う。


「冗談じゃないわ。私はここへキャリアを積みあげにきたのよ。死ににきたんじゃない」

「そうだねぇ」

「私は降りるわ。あんた、死ぬなら勝手に一人で死になさい」

「アズミちゃん」

「何よ!」


 既に、逃げの体勢に入って家屋の上へ飛び乗ったアズミを、トウツが呼び止める。


「ありがとうねぇ」

「……!あんたに感謝されるなんて、気色が悪いわ!」


 アズミが王宮へ走り出す。

 その背中が見えなくなると同時に、粉塵から獅子族の王が現れた。


「あぁ!? どうなってんだ!糞、またじゃねぇか!あの野郎、俺とまともに戦ってくれねぇ!ふざけんな!」

「荒れてるねぇ」

「あぁ!?」


 ライコネン・アンプルールのたてがみが、ばさりと揺れ動く。

 いなくなった魔王や老婆の代わりに、何故かいる兎人。そちらの方へ荒々しく振り向く。


「残念だけど、君がメインディッシュと考えてるお二人は、お空で好き勝手にやってるようだねぇ」

「あぁ!? 糞が!」


 ライコネンが見る先では、魔王とマギサ・ストレガが魔法の打ち合いを始めるところだった。


「いいじゃない。好きにさせれば。勝って生き残った方と戦えば?」

「俺はどっちも自分で殺したいんだ!」

「男の子って生き物は、ワガママだねぇ~」

「そういうお前は、誰なんだよ」


 虫の居所が悪い獅子が、兎を睨みつける。


「元御庭番が頭目の娘、トウツ・イナバ」

「は~ん。イナバ? お前、イナバと言ったか? ハポンのゴウゾウの娘か!」

「その糞は僕の父親だねぇ」

「いいね!最高だ!丁度いい!お前の父親も殺したかったんだよ!戦いたい!死会いたい!」

「どうぞどうぞ。是非殺してほしいねぇ」

「……お前、本当に娘か?」

「家庭の事情ってやつさ」


 肩をすくめるトウツに、ライコネンは妙な同情を覚える。

 この戦場へ連れてきた多くの戦士が自分の息子。だが、彼は父親として自分がまともでないことも自任している。思う所はあるのだろう。


「丁度いいや。魔王とばばぁの肩慣らしに、お前で我慢してやるよ」

「いやいや、それは参っちゃうねぇ。こっちとしては、僕が勝つことが一番シンプルで、楽なプランなのさ」

「楽?」

「だってそうだろう? 君はどうも、僕の大事な人を殺すかもしれないらしい。じゃ~さぁ~。君が死ねば全部解決」


 トウツの赤目が幽鬼のように光る。

 そこに籠る殺気。憎悪に、ライコネンが思わず身構えた。

 身構えるために筋肉が緊張した瞬間、剣先が頬の目の前まで来ていた。


「っうお!?」


 ギリギリでかわしたライコネンのたてがみが、切れて数本宙を舞った。


「今ので首を落とすつもりだったんだけどなぁ。やっぱり上手くいかないなぁ」


 脱力し、刀と腕をだらりと降ろしたトウツが呟く。


「おい、お前。いつ抜いた? いや、何だよお前。最高だな!強いじゃないか!前菜扱いして済まねぇな!速さだけなら、俺と同じレベルじゃねぇか!」


 ライコネンが色めき立つ。


「やっぱこの国へ来てよかった!ここの後のハポンも楽しめそうだな!」

「あのさぁ」

「?」


 低い姿勢から、トウツが見上げる。

 仁王立ちするライコネンが見下ろす。


「当り前に勝つつもりでいないでほしいんだけど。速さだけなら同じ? 違うね。僕は、速さだけは誰にも負けたことがないよ。糞親父にもね」


 赤目に宿る狂気が、ライコネンを武者震いさせる。


「最高だぜ。お前」


 獅子の王が、兎を全力で狩る体勢に入った。

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