第344話 魔軍交戦41 椅子に縛りつけられた道化
「フェリ。支度をしてくれ」
「何故?」
「俺も出る。西の戦いを援護しに行く」
「フィルの立場は「わかっている」」
言葉を被せる。
フェリが訝しげな表情をするが、構わずに続ける。
「巫女だから自分の命を優先しろってんだろ? 意味がないよ。まるで意味がない。ここが落ちれば、巫女1人が生き残ったところで焼け石に水だ。俺は戦える。もちろん、魔王やライコネンとまともに戦えるとは思っていない。時間稼ぎをするんだ。手伝ってくれるか?」
「断るわ」
「は?」
予想外の返答に、声が上ずる。
「フェリ、何言ってんだよ? 状況を見ろよ。師匠のところへ魔王が向かっているんだよ。俺にはわかる。師匠とライコネンの力量はほぼ互角だ。ライコネンと魔王を合流させたらいけない。この国の負けだ。お前は俺より頭がいい。正しい判断ができるはずだ。なぁ、わかるだろ?」
言葉が乱暴になる。自身の焦りを自覚しているが、予断を許さない状況だ。構っていられない。
————まて。
どういうことだ?
この接近している魔力。
どうして彼女がこっちへ来る?
「丁度いいわ。フィルを説得するのに、適役な人材がきたわね」
俺は慌ててイリスの方を見る。
彼女は瞳に罪悪感を湛えて、顔を伏せる。
「イリス、知っていたのか?」
「…………」
「どういうことだ? 何か知っているのか?」
イリスは問いに応えない。
無言を貫き通し、小さな拳を固く握っている。
「久しぶりね。兄さん」
部屋へ入ってきたのは、クレアだった。
顔の筋肉が異常に引きつるのがわかる。
イリスは今にも崩れそうな表情で彼女を見ている。
「待て。理解が追いつかない。クレア、お前。俺のこと、何て言った?」
「兄さんと、言ったわ」
俺の対面に、クレアは椅子を置く。
そこに座り、正面からじっと俺を見る。
「そ、そうか。知っていたんだな。俺たちの関係」
「えぇ」
「レイア……お母さんから聞いたのか?」
「違うわ」
クレアがフェリの方をじっと見る。
「フェリ、お前!」
「ごめんなさい!」
フェリは瞳に涙を蓄えている。唇を引き結び、下を向いている。まるで、これから母親に怒られる女児のようだ。
「フェリファンさんは悪くないわ。これを望んだのは私。ねぇ、兄さん。こっちを見て」
恐る恐る、クレアの表情を見る。
何かを決意した表情をしている。
まずい。
これは何か良くないことが起こる。
クレアが決断している何かは、きっと、俺にとって不都合なことだ。
「私が赤子の時のこと、父さんから聞いた」
クレアはぽつぽつと語りだす。
「父さんに突然、当時赤子だったはずの兄さんが
「ちょっと待て。なんで、そこでトウツの名前が出てくるんだよ」
「その時だけじゃない」
クレアは俺の言葉を無視して話を続ける。
「兄さんは、いつも私を守るために動いていたんだね。学園で一番になるくらい魔法を極めていたのも。ストレガに弟子入りしていたのも。
喜ぶべきだ。
自分がこれまでしてきたことを、感謝されている。気づいてくれた。兵十に撃たれた小狐の気分だ。
だが、クレアの感謝の言葉が、真綿で首を絞めるように俺を息苦しくさせていく。
「ねぇ、兄さん。何で私を守ろうなんて思ったの? 兄さんにとっての本当の家族は、元いた世界にいるんでしょう?」
「クレアも血が通った、家族だからだ」
「それだけ? 赤子の兄さんを捨てた種族よ? 私と兄さんが一緒にいたのは、生まれてすぐの2週間だけ。そんな短い時間に、愛着って湧くものなの?」
「……指を、握ってきたんだよ」
「?」
クレアは怪訝な顔をする。
「指を握ってきたんだ。赤ん坊の時のお前が。無邪気に、何の警戒もなく。生まれてすぐは大変だったよ。俺だって新生児でうまく体が動かせないのに、お前は我がままで、夜泣きばかりで、手を握らないと泣き叫ぶし、本当散々だった」
彼女は無言だ。俺の言葉を一言一句聞き逃さないように、耳を傾けている。
「でも、可愛かった。世界中の誰よりも愛おしく思えた。理屈じゃないんだ。俺は君を守るためにこの世界に生まれたんだって、そう思えたんだ。だってそうだろ? 何のために俺は元いた世界で死んだのか、意味がわからない。理由が欲しかったんだ。自分が死んだ理由が」
「勝手に理由にされるなんて、迷惑よ」
「そうだよな」
俺は悲痛に笑う。
クレアは柔らかく微笑む。
「君は双子じゃなく、1人で生まれるはずだったんだ。忌子と疑われることなく、何不自由なく生まれるはずだったんだ。俺という異物さえ現れなければ、カイムとレイアと一緒に、普通の幸せを享受できた。だから俺が君を守るのは、必然だ。義務でもある。そうだろ?」
「そうかも、しれないわね」
クレアが俺から目線を外し、イリスの方を見る。
イリスが泣きながら頷く。
「私の兄さんが、貴方でよかった。
一体、何を言っているんだろう。
まるで、今生の別れみたいなセリフじゃないか。
「兄さんの義務というのには、反論があるわ。この世界に兄さんを連れてきたのは、こっちの世界の勝手よ。だから、義務を果たすのはこっちの世界の住人である、私の方。だって、兄さんは魂を拉致されたようなものだもの」
おい、待て。
そこから先は言わないでくれ。
「だから、ライコネンの前に出るのは私。それでこの物語はお終い。それでいいでしょう?」
「言い訳ないだろ!?」
「フィオ。座って」
椅子へ縫い付けられるように、強制的に座らせられた。
太ももが煮えたぎるくらい、熱い。
奴隷紋か!
「フェリ!?」
「ごめんなさい」
フェリは俺に、目を合わせない。
「マギサ様と、エイブリー様と検証を重ねたわ」
クレアが続ける。
俺は服従魔法を解除しようと、ひたすら魔素の解析をする。
あぁ、くそ!わからない!わからない!わからない!
何でなんだよ畜生!なんで俺はこんな中途半端な魔法使いなんだ!転生したんなら、服従魔法を突破するチートくらいくれたっていいだろ!何してんだよ神様!
「結論は出たわ。何百、何千と私は行動パターンを変えてみた。託宣夢の内容が変わるように。でも、託宣夢はいつでも二択のみを迫ってきた。私が死ぬか、兄さんが死ぬか」
「託宣夢の内容が変わったのは、師匠とイヴ姫のせいだったのか!」
フェリとイリスの方を見るが、どちらも目を合わせてくれない。
おかしいと思っていた。2年前、俺が死ぬはずだった託宣夢がクレアに切り替わった。俺の行動は変わっていなかったはずだ。いつか獅子族の男と接敵するとき、自分が表に立つ。それだけを考えて生きてきたはずだ。
俺が行動を変えなかったということは、別の誰かが未来の観測事項に干渉していたのだ。
俺は馬鹿だ。
普通に考えればわかることじゃないか。
同じ巫女である、クレアが干渉していたんだ。未来予測に。
「待ってくれ。どういうことだ? 師匠とイヴ姫は、クレアじゃなくて俺を選んだってのか?」
「当たり前よ。私はただの、少し将来有望な狩人。兄さんは転生者で、ストレガの弟子。魔眼もある。魔王がいる今、優先して残すべきは兄さんに決まっている」
「ふざけんな!何考えてるんだよ師匠の馬鹿野郎!俺がなんのために、こんな!魔法の訓練だって、この日のために!俺が師匠を支持したのはこのためなのに!イヴ姫も、どうして、フェリィ!」
俺の叫び声に、フェリが肩を震わせる。
「早く命令を解いてくれ!俺を自由にしてくれ!早く!」
「それは、できない!」
フェリが頭を押さえる。耳から月のイヤリングが溢れる。
「私はフィオに死んでほしくない!」
「ふざけるな!俺はそんなこと望んでない!イリス!いいのかよ!親友が死のうとしてるんだぞ!? 止めろよ!なんで止めないんだよ!」
「何度も止めたわよ!」
俺よりも大きい声で、イリスが叫び返す。
「止めたわよ!何度だって!クレアに何度泣きながら抱きついたか!あんたは気楽でいいわよね!妹を守って心置きなく死ねると思ってたんでしょう!? ふざけてるのは
イリスの剣幕に、何も言えなくなる。
「2年前、託宣夢の内容を覆すことに成功したクレアは、泣いて喜んでいたわ。泣いていたのよ!自分が死ぬ夢を見て!私、言えなかった。あんなに喜んでいるクレアを見て、死なないでなんて言えなかったのよ!」
息を荒くしたイリスが黙り込む。
「……保険よ、あたしたちは」
「何だって?」
「この国が負けた時の、保険。あんたは巫女として。あたしは王族の血筋として。東には既に船が準備してある。もしイヴ姉様の
「そんなこと……聞いてないぞ」
「言ったらあんたは、絶対に拒否するでしょう?」
最悪だ。
首が重い。
俺はクレアの方を向く。
死刑宣告を受ける犯罪者のように。
「フィオ。私が守る人が、貴方でよかった。フィオならきっと、この国を導いてくれるから。左様なら、兄さん」
クレアが席を立つ。
おい。
待ってくれ。
行かないでくれ。
「頼む!クレア!行くな、行かないでくれ!俺を置いてけぼりにしないでくれ!何でお前がそんな、その役割は俺のはずなんだ!お前がする必要ないんだよ!フェリ、解いてくれ!頼む!命令を解いてくれ!」
クレアの背中が遠ざかる。
「カイムとレイアはどうなんだ!? このことを知っているのか!? 教えていないだろう!? 知っていたら止めるはずだ!こっちを見ろ、クレア!こっちを見ろぉ!」
扉を閉め、姿が見えなくなる。
「あ、あ、あぁああぁああ!」
力任せに地面を踏み抜く。
王宮の床だからなんだ。知ったことか。
この悲しみに比べれば、どんな不敬も意味がない。
部屋には俺と、イリスと、うわ言のように謝り続けるフェリだけが残った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます