第338話 魔軍交戦35 動く兎人と鳥人

「で、どういう風の吹き回し?」


 トウツを見下ろし、冷酷な表情で呟くのはアズミ・イガである。

 兎人の女が自分に平伏している。ハポンでは、金貸しの家の前でよく見る光景である。

 土下座だ。

 ハポンの伝家の宝刀である。

 良心のある人間にはよく効く。

 ただし、アズミはこの兎人に対して良心を一片たりとも持ち合わせていなかった。


 彼女はトウツをいつかこうしたいとは思っていた。

 だが、こういう形は望んでいない。

 自身の能力で完膚なきまでに彼女を伸し、心理的優位の元で土下座させたかった。こんな安い土下座、されない方がマシである。


「だから、言ってるじゃん。護衛依頼をお願いしようかと」


 物理的には低いのに、謎に上から目線でトウツは続ける。


「他にアテはなかったの?」

「いやぁ。僕の速さに合わせることができて、かつ護衛依頼をこなせる人材は大体出払ってるからねぇ」


 あっけらかんと述べるトウツに、アズミはため息をつく。

 こいつのこういうところが嫌いなのである。御庭番が積み上げてきた誇りを馬鹿にするかのように、あっさりと崩す行動と言動。積み上がった積み木を崩したがる稚児ちごのようだ。


「冗談じゃないわ。私はハポンの御庭番よ。ここにいるのは若の護衛のため。あんたのわがままに付き合うためじゃない」

「そこをさぁ~。何とかしてくれよぉ~う!」

「しつこい!足に縋るな!けり殺すわよ!」

いぞ」

「お?」

「へ?」


 2人の寸劇を見ていたトウケン・ヤマトが口を挟む。


「何を言っているのですか、若!御身が危険です!再考を!」

「危険も何も、おそらく逃げきれぬじゃろう。ここは。都の西部は既に火の海じゃ。魔物も次々に中央部近くへと侵攻しておる。撤退しようにも、東の港で船を準備している間に魔王軍に皆殺しされるのが落ちじゃろうな。そうなるくらいならば、こちらの戦力を貸し出して勝率を少しでも上げたほうが良い」

「若の安全を犠牲にしても、ですか?」

「ハンゾーがおる。安心せい」

「それは!」


 私が必要ないのですか。

 言葉が喉から出掛かる。

 だが、アズミは自制する。御庭番は、あくまでも影。将軍家の意に背くことは決してしてはならない。これ以上トウケンの意見に口を挟むのは、主君を信頼していないと言っているようなものである。


「アズミ。余がお主をトウツにつけるのはな。今余が持っている駒で、最も鉾としての役割を担えると思っておるからじゃ。トウツにつき、一体でも多くの魔物を屠れ。余の安全を守り、安心させておくれ。出来るな?」

「……御意」


 アズミは地に拳をつけ、頭を下げる。

 言いくるめられた。そう思うが、主君の賛辞に心が浮き足立つ。単純な自分の性格に呆れつつも、アズミはどうにか気を起こす。


「若様。感謝を」


 アズミの隣で、トウツが頭を下げる。

 周囲の御庭番の老兵たちがどよめく。そのくらい、この女が礼儀を見せることは珍しいのだ。


「ははっ、トウツよ。帰郷して、父親から遅れたマナー教育でも施されたかの?」

「とんでもございません。糞は何年ぶりに会おうとも糞のままでございました」


 慇懃無礼なトウツの言葉に、周囲の人間がいくらか怒りの感情を表出させる。

 だが、ゴウゾウ・イナバという人物が仕事以外は人間性劣悪であるというのは事実である。彼女を怒ろうにも怒れない妙な雰囲気が流れる。トウツは御庭番切っての問題児ではあったが、同時にアレの娘であるという一点で、同情を集めてもいたのだ。


「若様には、恩がございます。礼儀を示すのは当然。ご心配なさらず。アズミは生きて返します」

「ふぅむ?」


 生きて返す。

 その言葉の真意をトウケンは察するが、何も言わない。


「トウツよ。この戦は、お主が望むものかの?」

「はっ」

「それはよかった。真に仕えたい人間ができたのだな。ハポンにおったお主は、窮屈そうだったからのう」

「……僕が初めて仕える主が貴方でよかった。あの日手籠にできなかったのが悔やまれます」


 周囲の御庭番が一斉に抜刀する。

 ハンゾーもやれやれとばかりに小刀を握る。


「そうわけで、若様!また今度!」

「あんた!この!腕引っ張んな!」


 逃げるようにアズミを引きずり、トウツが退散する。

 御庭番たちは罵声を浴びせ、トウケンは大笑いしながら見送った。


 行き先は西。

 獅子族のかしらの元へ。







「地上から指示している場合ではないな」


 オラシュタットのギルドマスター、ラクス・ラオインが伸びをする。


「ギルマス。出るんですか?」


 鳥人族スカイピープルの冒険者たちが、驚き顔で尋ねる。


「猫の手も借りたい状況だろうからの。老骨の手だって借りたいだろうよ」

「いえ、そうではなく」

「?」

「ラオイン老師、まだ飛べたんですね……」

「お前ら普通に失礼だぞ」


 そうは言いつつも、自分が飛ぶ姿を人に見せるのは何年振りだったかと振り返る。そういえば、ギルマスとして事務仕事ばかりしていたから、久しく人前で飛んでいない。疑われても仕様がないだろう。

 ラクスは机に突っ伏す冒険者たちの頭を、翼ではたく。


「ほれ、はよう立てい。出陣するぞ」

「ふざけんな!」

「怪我人がまだ快調してないんだぞ!」

「俺、2時間しか寝てないんですけど!?」

「俺なんか30分だね!」

「ポーションの融通をしろ!」

「……クエストの報酬を一人頭二十万ギルト引き上げよう」

「さっすが老師!」

「俺たちのギルマス!」

「話がわかるぜ!」

「死ぬまでここで冒険者するぜ!」


 余りにも現金な冒険者たちに、ラクスはため息をつく。


「ギルマス」


 ギルドの隅の席で、静かに食事していた連中が集まる。

 表情が殺気立っている。

 魔王軍にパーティーメンバーを殺された連中である。ついこないだ冒険者登録をした羊重歩兵団ムートンホプロンの少女。狩猟せし雌犬カッチャカーニャの面子もいる。


「あんたが出るなら、俺たちもいく」

「空から指揮してくれ」

「……過労で倒れるなよ。都のギルドは、この戦いで大赤字だ。お前らにはこの後も馬車馬のように働いてもらうぞ。うちの利益のために」

「おうよ」

「任せてください!」


 ラクスの後ろから、冒険者たちが連れ立って外へ出て行く。


「まずは、あの鉄竜を何とかしないとな」


 ラクスは恨めしそうに、編隊を組む鉄竜を眺める。

 夜が始まれば、また吸血鬼が来る。

 そうなれば、制空権は今度こそ向こうに完全に掌握される。その前に、鉄竜だけでも排除しなければならない。グリフォンもそうだ。

 聖女は死者の王ノーライフキングへの対応に必須だ。西から来る吸血鬼達を他の戦力で留めなければならない。


「この齢で戦地に出るとは思わなかった。長生きするものではないな」


 ラクスは嘴から息を漏らした。

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