第337話 魔軍交戦34 それぞれの決断

「オスカ様。雷撃隊、準備が整いました」

「そう」


 部下の報告に、シャティは沈んだ声で応対した。

 部下たちは、彼女へかける言葉が見つからない。彼女は長年連れ立った冒険者仲間を失ったばかりなのだ。どんな言葉をかけても、慰めにもならないだろう。


「ふふ、いい部下達をもったわね。心配しないで。大丈夫よ。任務には支障ないわ」

「ですが、ご自愛ください」

「もちろんするわ。戦いが終わった後にね」


 眉間に指をなぞらせる。

 軽く深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。友人の死。それはこれまでだって、経験してきたはずだ。冒険者仲間を失ったのだって、これが初めてではない。大丈夫だ。自分は大丈夫。

 シャティ・オスカは自分に暗示をかける。

 ここにオスカ伯爵がいなくてよかった。彼は優しすぎるから、安心して泣き叫んでしまう。でも、戦場においてそれは心の緩みだ。テンションを張らなければならない。心の琴線を、強く太く張るのだ。


「王族からは、どこに落とせ・・・と指令が出ているの?」

「それが、まだ決定はなされていません」

「そう、でしょうね」


 第一候補は西にいる獅子族の王だ。こちらの切り札であるマギサ・ストレガを封じられている。これはよくない展開だ。夜は聖女ファナ・ジレットを封じられたがゆえに、被害が甚大になった。昼もそうなりかねない。


 次点で北西の金魔法使い。次々と都の建造物をサイコロへ変形させている。接敵した兵士達は全て死んでいるらしい。救いがあるとすれば、侵攻が遅いこと。歩きながら悠々と王宮へ近づいてきているのだ。本来は後衛専門なのだろう。


 相性がいいとは言えないが、南の死者の王も。浄化魔法ではないが、雷でヘドロを蒸発させるだけでも被害をある程度抑えることができる。


 そして未知数の、北に現れた死霊高位騎士リビングパラディン。出会った者は皆口をそろえて言う。あれは最優先に討伐すべきだと。


 直近で多くの人間の命を救うならば、地獄の行進ヘルアントミルを破壊するのも手である。救われた兵士が各地に散らばり、魔物の被害を抑えることができるだろう。


「択が多すぎるわ。本当、最悪ね」


 責任。

 冒険者をしていた時には背中になかったそれが、重々しく彼女にのしかかる。

 ロットンにライオ。旧友たちの死に悲しむ暇すらくれないのだ。この戦いは。


「シャティ、迷っているの? じゃあ、私が一択にしてあげる」

「ミロワ!?」


 ポーカーフェイスを崩さないシャティが、動揺する。

 もう一人の生き残り。ロットンと共に導き手の小屋ヴァイゼンハッセを創立した初期メンバーであり、彼の婚約者。

 普段は慈悲深い困り顔を浮かべている彼女が、今は怒りに表情を塗りつぶしている。


「シャティ。獅子族の王を殺して」

「どういう……」

「報告を聞いたわ。ロットンを殺したのは、あいつよ」

「ッ!」


 シャティは歯嚙みする。

 一体、誰が彼女に報告したのだ。私怨に取りつかれるのは、戦場において致命的な判断ミスを誘発することになる。この情報は、伏せておくべきだったのだ。特にロットンへ依存ともいえる愛を注いでいた彼女には。


「敵の中で一番強いのは、あいつでしょう? 殺すべきよ。そうしましょう」

「待って、ミロワ。あれは強すぎる。雷撃隊の攻撃を食らっても、大きなダメージを与えられないかもしれない。マギサ・ストレガに一任した方がいい、かもしれない。だからこそ、王族たちも迷っている」

「いいから殺してよ!」


 ミロワがシャティの胸倉を掴む。


「ロットンを殺したあいつを殺してよ!殺してよ!ねぇ!私の大事な人を奪ったあいつを殺してよ!地獄に送ってやる!地獄に送ってやる!絶対に!うぅううう!」


 ミロワが頭を搔きむしる。頭皮から滲む血が痛々しい。


「それは、無理。一人でも多くの人が生き残る選択をする。ロットンも、ライオもそれを望んでいる」

「……そう」


 幽鬼のように、ミロワがシャティから離れる。

 嫌な予感がする。

 ミロワの目は痙攣し、焦点が定まっていない。心がここにあるかも分からない。シャティが冒険者時代に、時々見たことがある表情だ。自棄になり、人生を投げだす人間のみが見せる表情。それを、旧友の女性が見せている。


「ミロワ。何を考えているかわからない。でも、やめて。多分、それはよくないこと」

「ねぇ」


 急に顔を上げたミロワに、シャティが怯える。


「一人でも多く生き残ればいいのよね? そうすれば、ロットンも喜ぶのよね?」


 彼女の気迫に押され、シャティは頷くことしかできない。


「だったら、やっぱり一択ね。一択なのよ。これが一番、冴えたやり方なのよ。獅子族の王は強すぎる。雷撃隊の一撃では、追い込めないかもしれない。じゃあ、魔力をもっとつぎ込めばいいのね?」

「ミロワ、まさか!やめて!」


 ミロワがシャティに抱き着く。

 恐ろしい勢いで彼女に魔力が流れ込んでいく。力が溢れてくる。その事実に、シャティは絶望する。

 魔力譲渡。

 光魔法を得意とする人間ができる魔法だ。


 ミロワは、自身の命ごと絞りつくしてシャティへ魔力を注ぎ込んでいる。


「やめて!私はそんなことされても嬉しくない!」

「魔力が必要なんでしょう!? あいつを殺す魔力が!私がいくらでもつぎ込むわ!」

「やめて、やめて!お願いだから、やめて!どうするの!? ロットンとの子どもは、どうするのよ!?」

「あ、そうだ」


 わずかな魔力を残して、ミロワが静止する。

 シャティが安堵する。


「あの子達には、貴女から伝えてほしいの。愛してるって」

「ミロワ!」


 最後の魔力を絞り出し、ミロワが事切れる。


「あ、あ、あぁああぁああ!」


 独りになってしまった。

 導き手の小屋ヴァイゼンハッセのメンバーは、もういない。シャティのみになってしまった。彼女は、ミロワの亡骸を抱きしめながら慟哭する。

 彼女の部下たちが、拳をきつく握りしめながらその光景を眺める。


「どうして、どうして? 私を独りにしないで。お願いよ。お願いよ、ねぇ。目を覚まして、ミロワ」


 ミロワの首元に頭を押し付けながら、シャティは泣きじゃくる。周りを気にも留めずに、女児のように泣き叫ぶ。


 泣き続ける彼女へ近づいた人物は、一人のみだった。

 小さな人影が、涙の向こうに見える。

 シャティは顔を上げる。


「……フィル」

「すいません。あと少し早ければ、止められたのに」


 彼は息が上がっていた。

 魔力視の魔眼マギ・ヴァデーレをもつ彼は、ミロワが何をしているのかいち早く気付いたのだろう。王宮から全速力でこちらへ走ってきたのだ。

 鼻が真っ赤で、汗と涙でぐちゃぐちゃな顔をしている。

 きっと、自分も似たような顔をしているのだろう。


 フィルがミロワの亡骸を優しく抱きかかえ、床に横たえる。腕を胸の前に組ませて、見開いた目を閉じさせる。


「この人には、怒りの表情は似合わない」

「……私もそう思うわ」


 ミロワの死に顔は酷い有様だった。獅子族の王への憎しみにとらわれた、鬼のような形相。今は穏やかな表情をしている。それは死ぬ瞬間、自身の子ども達のことを考えたからか。それとも、フィルが目元を閉じさせたからか。


「シャティさん。お願いです。戦ってください。酷な事を言うけど、貴女は戦わないといけない。一人でも多く救うために」

「……当たり前」


 シャティは立ち上がる。

 表情をいつものポーカーフェイスへと切り替える。

 憎しみにとらわれたら駄目だ。それに流されたら、勝機を逃してしまう。そうなった冒険者を、彼女は多く見てきた。


「フィル。助言がほしい。私は何を狙うべき? 誰に雷を落とすべき?」


 シャティの問いに、フィルは指差して答える。


「あれです」


 シャティと雷撃隊の面々が、指の示す先を見る。


 そこには城があった。針のような、巨大な城。都の防壁よりもはるかに高いところから見下ろす建造物。その圧倒的なスケールは、魔王の力を誇示しているようであった。


「あれを? 何故」

「魔物達の動きが変わりました。魔王はもう、都の中へ侵攻しています」

「なっ!?」


 周囲の兵士達が慌てる。


「魔物への命令をおそらく、自動から手動へ切り替えています。俺にはわかる。でも、これはチャンスです。今までは、雷撃隊の攻撃対象にあれは入っていませんでした。理由は簡単です。魔王に止められるかもしれないから」

「今は城主がいない。確かに、現実的な案。でも、西の獅子族の王や南の死者の王よりも優先するのは、何故?」

「あれが魔物の工場だからです」

「……どういうこと?」

「あの建造物そのものが、魔物を召喚する魔法具です。あれがある限り、魔物が再現なく投入され続けます。おかしいと思いませんか? 数十年前の魔物の大氾濫スタンピード。今回の魔王軍の魔物達。一体、どこから来たんです?」

「……巨大魔法陣を使った、一斉召喚」

「そういうことです」


 フィルの説明に、シャティは唾を飲む。


「あの城の中には、ソム・フレッチャーやボウ・ボーゲンがいる。吸血鬼達もいる。まとめて葬りましょう。そして、強力な魔力を検知しました。俺の眼には見えます。あの城内には、既にやばい魔物やつが召喚されています」

「……分かった。あの城を攻撃する」

「王族の許可は?」

「フィルの提言を聞けば、彼らもそう判断する」


 シャティはロッドを持って立ち上がる。

 ミロワの亡骸を一瞥して、悲し気に目を逸らす。命がけで魔力を譲渡されたというのに、シャティはそれを獅子族の王へ向けることはない。これは旧友への裏切りだ。

 だが、彼女には巨大な力があって、それを正しく振るわなくてはならない。


「任せて、フィル。私は自分の仕事を完遂する」

「お願いします」

「フィルは、どうするの?」

「俺も、出ます」


 シャティの目が見開いた。


「フィルのパーティーは、許さないと思う」

「何とか説き伏せますよ」

「そう。頑張って」

「シャティさんも、無理しないで」


 シャティは颯爽と、雷撃隊を率いて行動を開始した。







 俺は、ミロワさんの亡骸と共に部屋へ残される。


「ミロワさん。どうしてシャティさんを残して死んじゃうのさ」


 俺は、ぽつりとつぶやく。

 部屋に空しく自分の声だけが響く。


「でも、俺も貴女のことを悪くは言えないですね。だって多分、俺もそっちに行きますから。すぐに」


 拳を握る。


 動くとしたら、今だ。

 師匠が獅子族の王と戦っている。魔王はそこへ向かっているはずだ。マギサ・ストレガという最大の障害を取り除くために。

 北にはまた、死霊高位騎士リビングパラディンが現れた。魔力の動きを見ると、おそらく対応するのはシュレ学園長とアルだ。

 学園長のことだ。戦況が悪くなれば、すぐにアルを逃がすだろう。それでも安心できない。誰かが北へ増援に行くべきだ。そのためにはどうすべきか?


 師匠には魔王か獅子族の王、どちらかの戦いに集中してもらう。そして勝利してもらう。それが最低条件。出来るだけ多くの人間が生き延びる、必要条件。


 そしてクレアを守るためにも。


「師匠を魔王に当てる。そのために、誰かが獅子族の王を引き付けないといけない。俺だ。俺がそれを、担う」


 託宣夢の光景がフラッシュバックする。

 獅子族の王に、腹部を貫かれる夢。


 クレアではない。俺がそうなる。それでいい。それで時間を稼ぐことができて、師匠が魔王を倒すことができれば勝ちだ。巫女も一人生き残る。みんな助かる。師匠も、パーティーメンバーも、学園のみんなも、都の冒険者たちも。


「ライコネン・アンプルール」


 報告では、敵はそう名乗っていたと聞いた。


「待っていろ。お前を止めるのは、俺だ」


 俺は王宮へ走り出す。

 あいつのところへたどり着くには、護衛が必要だ。


 フェリファン。

 彼女には申し訳ないけど、俺を死地へ連れて行ってもらう。

 きっと優しい彼女は、一生後悔することになるだろう。


 でも、仕様がないだろう?


 最愛の妹を救うためなんだから。

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