第335話 魔軍交戦32 アルケリオ・クラージュは剣を握る
「アル君、今からシュレ学園長からのお願いを伝えるわ。断って」
「内容を話す前から断れって言うんですね」
アルケリオは苦笑した。青薄刀から目を離して、リラの方を見る。
教え子を直視することに罪悪感を抱いているのか、リラは少し目を伏せる。
「僕にできることがあるんですね? 話してください。先生」
青薄刀を音もなく納刀する。その円滑な動作に、リラは「ほう」とため息を漏らす。
男子三日会わざれば刮目して見よとは言うが、彼の場合は一日だって目を離せない。光が音を置き去りにするように、他者とは比べるべくもない速度で成長している。
アルケリオが上着をベンチの上に敷き、リラを誘導する。彼女は躊躇するが、教え子のもてなしを断るのは気が引ける。アルケリオの気遣いに甘えて座り、隣に座るよう促す。
アルケリオも楽し気に座る。
初等部1年生の時からずっと、彼にとってリラ教員の隣は特等席なのだ。
「そうね。学園長は、貴方の力を必要としているわ」
「北から来る、あの鎧ですよね」
膝に乗せた刀の柄を、彼は力強く握った。
「貴方は、会っているのよね」
「えぇ。強かったです。僕は無我夢中で一撃しか与えられなかった。生きているのはフィルのおかげですよ」
当時、
貴方は十分すぎるほどに強い。
リラは五年以上かけてそれを伝えてきたつもりだった。
それでも彼には上手く伝わっていなかったらしい。
それは彼の謙虚ゆえか。環境のレベルの高さゆえか。
その次に出会ったのが、ルーグ達との修行の時だ。
あの時は何故か、イリスを見て
あの時点で討伐ランクはA級だった。
そして今は。
「もっと、強くなっているんですよね。フィルが報告していました」
「にわかには信じがたいわね。
「フィルは嘘をつきませんよ」
「分かってるわ」
アルケリオは基本、機嫌を損ねることはない。自分がどれだけ侮辱されても、ふわふわと掴みどころのない雰囲気を崩さずに保っている。
大事な友達を悪く言われたことは別だ。
リラ教諭がフィル・ストレガのことを悪く言うわけがない。それはアルケリオもわかってはいるのだが、反射的に嫌悪を表に出してしまう。
あまり見ない、彼の年相応の姿にリラの表情が少しだけほころぶ。
「——シュレ学園長は結論付けたわ。他の大学部生や武官上がりの教員を連れて行っても、死人が増えるだけ。必要な戦力のみ連れて行くと」
「それが、僕ですか?」
「それと、ザナ寮長ね」
「えっ」
ザナ寮長。
ハンチング帽を頭にいつも乗っけている。朝はチーズと少量のワインを嗜みながら、新聞を読んでいる。仏頂面が基本の表情で、フィルがやらかす度に拳骨を振り下ろしていた。
あの人の拳骨おかしいよ!
フィルがそう言っていたことをアルケリオは思い出す。
「あれって比喩じゃなくて、本当にフィルの魔法が通じてなかったんだ……」
「ふふ。貴方達は多分、戦争が終われば黄金世代と呼ばれるかもね。でも、その前の黄金と呼ばれる世代はマギサ・ストレガが都に現れた時の世代よ。ザナ寮長。ヴェロス・サハム老師。シオン教皇。先代の王、マケイル・エクセレイ様。他にもたくさんいるわ」
リラが指折り数えて名前を諳んじていく。
アルケリオは久しぶりに彼女の授業を聞けたような気がして、表情がふにゃりと緩む。
「じゃあ、
「そう、なるわね」
リラが苦虫を噛み潰したような顔になる。
引きそうになった涙が目元に膨らむ。
それを見て、アルケリオも沈んだ表情になる。
「これは飽くまでも、シュレ学園長からのお願いよ。命令ではないわ。みんなと一緒に避難していいのよ。むしろ、私はそうしてほしい」
「どうしてですか?」
「私が貴方の担任だからよ。アル君」
もう僕は初等部じゃなくて、中等部の生徒ですよ。
そう口から出そうになったが、リラの真剣な表情にアルケリオは押された。
「シュレ先生も、いっそのこと命令してくれればいいのに」
「勘違いしないで、アル君。私達は、貴方の上司ではなく教師なのよ。ここが戦場でなくとも、私達は貴方達に何かを強要しないわ。そして本当は、貴方を守らなくてはいけない存在。こんなこと、頼みたくなんかないのよ」
「でも、僕じゃないと戦えない。そうでしょう?」
リラの瞳にたまった涙が、再び落ちそうになる。
「リラ先生。握手しましょう」
「え?」
「いいから」
戸惑う彼女の手を、アルケリオが握る。
「——温かい。大きい」
「そうでしょう? リラ先生、気づいてた? 僕、もう先生の身長、越しちゃったんだよ? 手も、これだけ大きくなった。子どもじゃないんだよ?」
リラが、自分の手を覆うアルケリオの手を見る。
豆だこが大量にできている。刀をどれだけ振ったのだろう。華奢に見えるその掌は、鍛えすぎて皮膚が鋼鉄のように固くなっていた。
「僕は、ずっと誰かに守られてきたんだ。クラージュ領地のみんなから。こっちに来てからは、まずリラ先生に守ってもらった。次はフィル。フィルのおかげで、魔力暴走も怖くなくなった。誰かに触れることが、怖くなくなったんだ。ロスやイリス、クレアは大事な友達。ロッソ先輩にノイタさん。仲良く一緒に修行してくれた。それにルーグ師匠。厳しいけど、生きるために必要なことを教えてくれた。ハイレン先生には光魔法を教わって、ロットンさんには剣の使い方を教えてもらった。僕はみんなに生かされている。ずっと生かされてきて、今日を待っていたんだ。僕の番だ。今度はリラ先生。僕が先生を守る番だよ」
リラがアルケリオを抱きしめる。
アルケリオは困ってしまう。この人の中で、自分は未だに初等部の可愛いアルケリオ君なのだ。でも、それが心地よく感じてしまうのは甘えなのだろうか。
「先生、僕は不安だったんだ。僕の周りの人たちは、あっという間に自分が戦う場所を見つけて、どこかに消えていきそうになるんだ。それが僕は、怖い」
アルケリオがリラを、優しく抱き返す。
「フィルはずっと何かと戦っているようだった。多分、初めて会った日には既に、何かと戦っていた。僕に少しでも教えてくれていいのにね。ロスは国を守るために。エクセレイに来た時には大人と変わらないくらい覚悟を決めていた。西で獅子族と戦うってロスが言った時、僕、驚かなかったんだ。だって、ロスはいつかそう言うって、何となくわかってたから。イリスはずっと社交界で戦ってた。王族として、ストレガとして。重圧と戦い続けていた。この戦争でも、自分が戦う場所を見つけたみたい。クレアは巫女だと民衆の前で宣言していた。国のために、自分の命を賭けたんだ。お父さんやお母さんの反対を振り切って」
ゆっくりと、リラを離してアルケリオは続ける。いつものゆるんだ目つきではない。力強い目つきで、恩師の瞳を見つめる。
「みんなには、帰る場所が必要なんだ。戦いに疲れて、休みたくなった時に、いつでも立ち寄れる、帰る場所。それが学園なんだ。僕たちの、大切な場所。守るんだ。みんなの居場所を。だから先生、僕に剣を握らせてほしい」
リラの目元から、涙が流れ落ちる。
「生きて帰ってきてね。約束よ。私、教え子の葬式になんか、出たくないわ。絶対よ?」
「任せてよ、リラ先生。僕って実は、強いんだよ?」
アルケリオは笑った。太陽の陽だまりのように。
リラもまた、不格好な笑顔を返した。
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アルケリオ・クラージュの名前の由来について、近況ノートで公開しております。興味のある方はぜひ。
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