第324話 魔軍交戦21 夜明けと崩壊2
「ちょっと!」
そんなわけがない。
嘘だ。絶対に嘘だ。嘘。嘘嘘嘘。
あいつがそんなことするわけがない。あいつは俺がこの世界に生れ落ちて出会った人の中でも、一番優しい人とも言える人だ。
あんなことするわけがない。
「ちょっと!速いってば!」
師匠が作った壁を壊すだなんて。
でも、あの魔力の流れのパターン。魔素の配列パターンへ精緻に自身の魔力を流し込む手腕。金色に輝く魔素を手繰り寄せる機械的な美しさ。何よりも、師匠が組んだ防壁の魔素配列をものの数分で解析しきった実力。
間違いない。
あいつではないが、あいつに近しい人間だ。それこそ、あいつに魔力を教えた師匠と言える人物かもしれない。そうだった。あいつは結局のところ、今日まで素性が正確には知れてなかったじゃないか!
失敗した。
他人の素性を探るな。
冒険者の不文律を守ったがゆえに、こんなことが起きるだなんて。
聞いておけばよかった。多少あいつに嫌われようとも、無理やり聞き出しておくべきだった!
「置いていくな!フィルの馬鹿!」
「いってぇ!」
イリスの氷魔法が、俺を現実に引き戻す。
こいつ、今、氷の金槌で殴打しなかったか!?
「何を焦っているのよ!王族の会議室とは別方向よ!あの防壁の崩壊、何かわかったんでしょう!? お姉さまに報告しないと!」
「そっちが先じゃない!先じゃあないんだ!イヴ姫よりも先に会わないといけない人がいる!」
「誰よそれ!」
思わず、無言でイリスを見つめる。
数秒、彼女と視線をかわす。
彼女の表情に一瞬怒りが現れ、諦めの表情になり、仄暗い悲しみが最後に残る。
「あぁ、そう。またあたしは蚊帳の外ってわけ?」
「違うんだ、イリス」
「そうなんでしょう!? 大事な情報だから、お子様のあたしには教えられないってことでしょう!?」
「そうじゃあないんだよ、イリス!俺だって半信半疑の情報なんだ!頼む、後で教えるから。だから頼む。お前は先に王族会議室へ行ってくれ」
「…………何度、そうやってあたしを遠ざければいいのよ」
「少なくとも、俺よりも強くなったら」
「最低ね」
「知ってる」
「……ごめん」
「謝るのは俺の方だよ」
イリスがため息をつく。
彼女の方が、俺に合わせてくれている。俺の方が17歳も年上のはずなのに。
「壁が破られた今、学園も安全な場所じゃないわ。時間がない。あたしが泣き言する暇なんて、ないわ。国の危機に比べたら、あたしの葛藤なんて何の意味もない。お姉さまには何て報告すればいいの? それだけ教えて」
「壁を壊した魔法使いは、うちのパーティーが対処できるとだけ」
「それ、本気で言ってるの? マギサお婆様の魔法を突破した人物よ?」
「俺はあの婆ぁの弟子だぜ?」
「……わかったわよ。言ったからには何とかしなさいよ?」
「任せろ」
イリスが廊下を走り出す。
周囲の騎士達が慌てて目の前を走る王族を護衛に回る。
「さて、と」
「探しているのは私かしら」
「……フェリ」
いつの間にか、背後には彼女がいた。
そうだ。
俺は、彼女のことを深く知らない。
どこで生まれて、何を見て育ったのか。何故、一人で旅をしていてエクセレイへ流れ着いたのか。どういった出自でダークエルフになったのか。
知っているのは、父親がエルフで母親が普人族だということだけ。
「座る?」
フェリはちょんちょんと、椅子を指で叩く。
「……紅茶、いるか?」
俺は水魔法と火魔法で空中に水球を作り、茶葉を煮出す。
「有難くもらうわ。アールグレイ?」
「鎮静効果があるからな」
「フィルは、いや」
フェリが周囲を見回す」
「フィオは、落ち着きたいの?」
「あぁ、落ち着きたいよ。でも、落ち着きたいのはお前も同じだろ?」
亜空間ローブから、ティーセットを取り出しテーブルに置く。白い陶器に、飴色の紅茶を注いでいく。
「でかい魔力が防壁へ向かっている。師匠が動いたんだな?」
「えぇ、そうね」
「あの人には、伝えたのか?」
「伝えたわ。防壁を破壊した人物は、少なくとも金魔法だけでいえばマギサお婆ちゃんよりも
「そんなバケモンがまだ世の中にいたなんてな。世界は広い」
震える手で、ティーカップを持つ。
この世界で生まれて育ち、13年が経った。
お茶をすする日本人としての癖は、とっくの昔に無くなったと思っていた。今はずるずると音を立てている。心に余裕がない。
「あの防壁を壊した魔法使いは、フェリ。お前の師匠か?」
「違うわ。父親よ」
「……そっちか」
俺はティーカップを置く。
「母さんが亡くなってから、あの男が狂っているのは知っていたわ。でも、あそこまで堕ちるとは思っていなかった。父親としては最低だったけど、魔法使いとしては誠実な人だったから」
「実の父親を、あの男なんて言うんだな」
「薄情だと思う?」
「いや、薄情なのは君の父親の方だよ。娘が一人で旅に出ることを決意するくらいには、父親が出来てなかったんだろう?」
「……母さんが生きていた頃は、最低限父親の顔も出来ていたのよ」
こんなにも複雑な表情をするフェリは初めてだ。
身内の話をしているからか、大人の女性としての雰囲気が消えている。まるで思春期の女の子と話しているかのような錯覚すら覚える。
彼女が三日月のイヤリングを指でいじる。
「フェリ。お前が父親を説得することは出来るか?」
「無理ね。あの男が私を娘として愛していたのは、母さんが生きていた間だけ」
「それでも、愛されていた。そうだろ?」
「フィオは人を信じ過ぎよ」
「甘ちゃんで、ごめんな。でも、これが俺なんだよ」
「わかってるわよ」
「じゃあ、説得出来ないと仮定して。どうする? どうすべきだ? 師匠を魔王にぶつけることがエクセレイの意向のはずだ。それがずれ始めている。フェリのお父さんってことは、相当な使い手なのがわかる。あの防壁の破壊魔法。フェリと同じ
「私と同じというよりは、私があいつの魔法を真似しているのよ。多少アレンジしてオリジナルと言っても差し支えないくらいには練度を上げているけども。魔法の骨子は全てあいつから教えられたものよ。いや、あいつは教えるのが下手だったから、見て盗んだという方が正しいかしら」
「……ということは、お前なら父親を止められるんだな」
「かもね。後、父親じゃないわ。今は魔王軍の四天王ね。おそらく、エルドランから報告が上がっていた魔王の側近、キリファが私の父親よ。本名に少し近いのが、癪に障るわね。でも、偽名を名乗るだけマシなのかしら」
「どうして、そう思うんだ?」
「母さんの名誉を傷つけないからよ。本名を名乗れば、その妻だった母さんの名誉にも関わる。腐っても母さんを愛することだけはブレない男だったから。そこだけは、魔王に与しても崩していないはず」
「それがどうして魔王軍なんかに下ったんだろうな」
「さぁ、知らないわよ。あいつは私に興味がなかったし、私もあいつに興味がなかったもの。でも、こうなると分かっていたら、少しは興味を持つべきだったかもしれないわね」
言葉を切り、フェリが紅茶を口に含む。
「マギサお婆ちゃんの負担軽減は、私がするわ。四天王キリファは私が殺す。お母さんの名誉の為にも。でも、それはまだ先よ。それよりもまず、王宮でするべきことがある」
「師匠の援護よりもか? 何だ?」
「秘密」
「何だよ、それ。俺にも教えてくれないのか?」
少しだけ、イリスの気持ちがわかる気がする。
戦いに参加権すら与えられないのは、もどかしさが凄まじい。
「エイブリー姫様のご一存でね。直前まで作戦は秘密なの」
「……師匠が接敵するまであと少しある。それまでに終わるのか?」
「多分ね」
「多分、か」
よくない状況だ。
戦局が師匠頼りに傾きすぎている。
何とか出来ないだろうか。
もう一度イヴ姫に直談判して、俺の出撃許可をもらうべきだろうか?
ファナもトウツも出張っている。瑠璃も、ワイバーンと戦っている。
では、アルやロス、学園の先生達は?
…………駄目だ。
あれだけ彼らを巻き込もうと考えていたのに、俺は今でもアル達を庇護する対象だと考えている。アルは強い。でも、子どもだ。子どもを戦場に引きずり込むなんて、非人道的すぎる。なんてことはない。出来ていたと思っていた覚悟は、不完全だったのだ。
俺が打てる手が、あまりにも少なすぎる。
「フェリはそれでいいのか? 父親だぞ?」
「あれの金魔法に対応できるのは私だけよ。私しかできないわ」
「違うだろ。そういうことを言っているんじゃない。実の父親だぞ!? 殺していいはずがない」
前世の父親と、カイムの表情が思い浮かぶ。
無理だ。
どちらも殺そうだなんて、想像すら出来ない。
違った形で俺の一部で、違った形で尊敬している存在。
「自分の父親、いや、父親達を想像しているの? 大丈夫よ。私はフィオの親達のような関係ではないわ。数百年単位で冷え切った関係なのよ? フィオを通じて出会った人たちの方が、むしろ近しい関係になった人の方が多いわ」
「それでも、血の繋がりは大きいよ。俺には無視できない」
「フィオにはね。私には出来る」
俺とフェリの視線が合わさる。
彼女は何でもないような表情をしている。ポーカーフェイスで、本当に落ち着いているように見える。
でも、この人は本当に優しい人だ。
初めて会った時に、ダークエルフだから同席での食事を拒否してくれた人。俺の我がままに付き合って、レッドキャップに殺されかけたときも最後まで一緒に戦ってくれた。
この世界に生まれ落ちて、いい人はたくさん見てきた。
それでも間違いなく言える。
一番の博愛主義と言える人は、目の前のダークエルフの女性だ。
その彼女が、実の父親を殺すと平然と言えるだろうか?
「……もし出来るなら、キリファだっけ? そいつは殺さずに無力化しよう。俺も協力する」
「ふふ」
「何がおかしいんだ?」
「絶対言うと思ったわ。それ」
フェリが持つティーカップの紅茶に波紋が浮かぶ。
「有難う。気持ちだけ頂戴するわ」
「気持ちだけと言わず、そういう時は頼りにしてるとでも言えばいいんだよ。俺、一応パーティーリーダーだぜ?」
「でも、私の奴隷でしょう?」
「あったな。そんな設定」
今の今まで忘れてたわ。
「貴方がそんなだから、私は安心して非情になれるのよ。それはトウツだって同じよ」
「勝手だな。お前らはいつも勝手に動く。俺にリーダーを押し付けた割には、本当に言うことを聞かない」
「あら。自主性が高い。もしくは自律した部下と表現してほしいわね」
よかった。
ほんの少し、フェリの表情が緩んだ。そんな気がした。
パリンと、ティーカップが落ちた。
「あら、どうしたの? 陶器が駄目になったのかしら?」
俺が落としたカップを見て、フェリが言う。
魔法で掃除する彼女を見ながら、俺は気が動転していた。
彼女を見ながら、カップを自分が落としたのだと気づく。
でも、そんなことはどうでもいい。どうでもいいのだ。
最低だ。最悪だ。もっと早く手を打つべきだったんだ。イヴ姫に直談判なんて算段立てずに、猪突猛進に戦場へ突っ込んでいれば良かったんだ。
その方が良かった。きっと良かった。確実にクレアを救いたいなら、早く戦場に出て一人でも多くの敵を殺して、一匹でも多くの魔物を殺せばよかったんだ。
それが一番シンプルで、頭の冴えたやり方だったんだ。
俺は馬鹿だ。
戦争を何だと思っていたんだ。
これが戦争じゃないか。
いくらでも見てきたじゃないか。
魔王がどれだけ非情なのか。
魔王がどれだけの人間を殺してきたのか。
「フィオ、どうしたの? 顔が青いわ。何か気づいたの?」
フェリが、俺が探知魔法を作動していることに気づく。
「ロットンさんと、ライオさんが死んだ」
俺の言葉が、フロアに虚しく響いた。
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