第322話 魔軍交戦19 夜明け前

聖水砲撃ドムドーム!」


 アルク・アルコが放った魔法が、ヘドロに着弾した。

 チリチリとヘドロが焼けるが、質量が多すぎて削り切ることができない。


「あぁ!もう、イラつく!こっちの方が相性はいいはずなのに!」

「手伝い頼んだ覚えはないんだけどなぁ~」


 頭を抱えて浮遊魔法で飛ぶアルクの横を、トウツが並走する。


「あんたの戦い方は被害が多すぎるのよ!都を何だと思ってるの!?」

「これでも抑えてる方なんだけどなぁ」

「何言ってるのよ!南の主要街道が半壊してるじゃないの!戦争終わった後も人が住めないじゃない!」

「全壊を半壊に抑えたと、フィルなら褒めてくれると思うけどなぁ」

「あんた達のパーティー基準で考えないでよ!あんたら、クエスト受けるたびにいろんなもの壊し過ぎなのよ!もっとおしとやかに出来ないの!?」

「それは無理じゃない? ファナちゃんとフェリちゃんいるし」

「自分も勘定に入れんかい!」


 自分を棚に上げようとするトウツにアルクが突っ込む。


「そんなことより、あれ何とかしてよ。浄化魔法使えるんでしょ~?」

「私はあくまで水魔法がメインなの!光魔法はサブなの!」

「え、ほんと? フィルってやっぱりどの属性も高水準だったんだねぇ」

「誰があいつ以下ですって!?」

「そうは言ってないじゃん」

「ほぼ言ってるようなものよ!小人族ハーフリングナンバーワンは、この私!アルク・アルコよ!見てなさい!聖水砲撃ドムドーム!」


 短い音を立ててヘドロが蒸発する。一瞬そこに、地面が見えるが、すぐにヘドロに飲み込まれる。


「全然駄目じゃん」

「あ、あれはあの骨が異常なのよ!何なのよあれ!力押しもいいところよ!ちゃんと魔法で触れたところは浄化出来てるのよ!?」

「川の水を柄杓で掬うみたいな作業だねぇ。気が遠くなる。実際、夜が明けそうだし」

「うあぁー!私、朝からずっと戦ってるのに!」

「フィルが言ってた。それ、ブラック企業戦士って言うんだって」

「何その言葉!最高に不吉な響きね!」

「綺麗どころ二人で会話してるトコロ悪いのですガ!骨も混ぜてくれませんかネ!」


 ヘドロが針のような柱を形成し、屋根の上を走る二人を襲う。


「きゃあぁ!ばっちい!こっち来ないでよ!不潔!」

「フィルが言ってた。百合に挟まる男は死ね」

「おやおヤ。それは失礼」

「ねぇ、百合って何!?」

「そもそも百合以前に僕、君のことあんまり好きじゃないや」

「何で私振られたの!?」


 トウツとアルクが別方向に逃げる。

 逃げる方向を分けるのは、冒険者としてセオリー通りだ。敵の注意を分散する。片方を追撃する場合は、もう片方が戻ってきて後ろから攻撃できる。

 ただし、今回の場合は大きな効果を生まない。

 トトが全方位をヘドロでカバーしているからだ。

 彼自身も呪いの塊のようなもの。

 浄化魔法が出来るアルクがいるというのに、相性差を覆す力をトトは持っている。


 2人がさっきまで上にいた家屋が、ヘドロで切り刻まれ腐食していく。

 それを見てアルクがぞっとする。精鋭のみを連れてきた。もし数だけ集めて戦っていたら、いたずらに死人を増やすだけだっただろう。

 ちらりと後ろを見る。

 連れてきた部下は、トトが通った道を必死に浄化している。

 あの男が通った後の道は、それだけで人を殺す。地面を、水を、空気すら呪いで汚染する。流れる厄災。自立して走る疾病。即座に死をもたらす伝染病。

 戦いが終わっても、教会の人間達は浄化活動に駆り出されることになりそうだ。

 頭の中に、ちらりと小人族の少年が思い浮かぶ。


「あいつがいれば、もう少しマシになるのに!私の名声を奪っておいて、肝心な時にいないじゃない!」


 アルクは怒りをヘドロにぶつける。

 ヘドロはそれに対して、鈍い音しか返さなかった。






「そろそろ観念したらどうですの?」

「それは貴女じゃないかしら。魔力も心許ないんじゃないかしら?」

「あら。それを言うなら、貴女こそ呪魔法具カースドアイテムで削りすぎた寿命を気にするべきではなくて?」


 ファナとレイミアはトラッシュトークを繰り返していた。

 戦いは千日手に入りつつあった。

 呪魔法具で消耗しているはずのレイミアが疲れる様子が見えない。現存する吸血鬼の中で、オリジナルと呼ばれる始祖に最も近い存在と言われる彼女だ。ストックとしての寿命は潤沢にあった。

 対するファナも、内包する魔力量が尋常ではない。

 吸血鬼有利のフィールドである夜が終わりつつある。

 そうなれば、この戦いはファナに有利になる。

 だが、夜までにファナの魔力を削り切れる算段がレイミアにはなかった。

 その結果としての膠着状態。


 痛み分けではない。

 オラシュタット側からすれば、ファナが多くの夜の眷属を葬る予定だった。それをたった一人の吸血鬼に阻まれた。

 屈辱に、ファナが奥歯を軋ませる。


「日の出までに、貴女の寿命を少しでも削らせてもらいますわ。そうですわね。二百年くらい、いっておきます?」

「調子に乗りすぎよ、小娘。血を全て吸い出して、干物にして殺してあげる」


 レイミアは一点だけ勝機を見出していた。

 ファナ・ジレットは頑強だ。心も、魔力も、肉体も。全てが完全に揃っている。性格が破綻してはいるが、それを帳消しにするほどのポテンシャルがある。だからこそ、テラ教の神とやらも、彼女を選んだのだろう。あの神が選んだ人間が、吸血鬼にとって良き友だったことなんて、少なくともここ千年はない。

 だが、足はどうか。

 彼女のハードな戦いに付き合わされている天馬ペガサス

 あれはもう限界に近い。息が上がっている。筋肉の筋と血管が浮き出て見え、疲労が直接視認できる。


 あの馬を潰す。

 そうすれば、聖女は空を飛べない。


「来なさい。日の出ぎりぎりまで相手してあげるわ」

「言われなくとも!」


 ファナが銀の輪と十字架を再度、振り上げた。






「わからないわ」

「何がだい? エイブリー」


 エイブリーの呟きに、メレフレクス王が応じた。


「……王よ。進言してもよろしいでしょうか?」

「この会議室には、ほとんど王族しかおらぬ。堅苦しい前置きはせず、すぐに話しなさい」

「わかりました。魔王が、こんなにあっさりと引き下がるでしょうか?」

「どうしてそう思うのだね?」

「多種族からなる虫人族の国、コーマイ。そこでは、王族が雀蜂族に入れ替わるタイミングで政治中枢に入り込み、内側から食い潰していました。更に、魔物による虫害に見せかけた攻撃。それにより、秘密裏に魔女の帽子ウィッチハットも増殖させた。レギアもそうです。かつて、魔物の大氾濫スタンピードという災害に隠れて、大量のレギア国民を虐殺。死体を魔女の帽子ウィッチハットにして二万以上の軍勢を手に入れた。我が国エクセレイも、都から遠い地方の汚職貴族を取り込み、拠点を増やしていた」


 魔法英雄師団ファクティムファルセ、マギサお婆様、無彩色に来る紅モノクロームアポイントレッドの働きで、それらの拠点は潰せましたが、とエイブリーは続ける。


「戦力の基盤を整えてからの、巨人の国エルドラン強襲。南の小国も5つ壊滅しました。そしていよいよ私たちの国へ来た。慎重です。魔王は、恐ろしく慎重な人間。少なくとも、吸血鬼の頭目と死者の王ノーライフキングが黙って命令に従うくらいには、強力な魔法使いのはず。それでも石橋を叩いてこの国へ宣戦布告してきた。聖女ファナへの対策を万全にしてきました。でも、それだけなのでしょうか? これだけ慎重な人間が、吸血鬼や死霊レイス、ゾンビと夜の戦いに有利な駒をこれだけ揃えておいて、痛み分け。それだけで終わりと言えるのでしょうか?」

「だが、被害は甚大だ」


 第二王子が口を挟む。


「エイブリーは痛み分けという生やさしい表現をしたが、そんなものじゃない。教会の人間は、戦闘員が3割死亡。後方支援の人員ですら1割亡くなっている。昼から戦闘している騎士や冒険者、傭兵の死者は既に1万人を超えている。普通の戦争であれば、全滅判定。白旗をあげているころだ。相手が白旗を飲まないと分かっているから痛み分けとなっているだけで、我が国は戦う力はあまり残っていない。主力の魔法使いがまだ健在というところが救いだが、おそらく、知名度の高いアイコンと呼ばれる魔法使いが1人でも死ねば、おそらくもう終わりだ。士気が続かないだろう。辛うじて戦場にい続けている傭兵も、この国を見捨てるはず」

「大丈夫ですわ」

「何故だ?」

「この国には、マギサお婆様がいます」

「確かにあの人は別格だ!それは僕だって分かっているとも!だが、あの人はとっくの昔に全盛期を過ぎている!その証拠に10年近く隠居してたじゃないか!それが本当に魔王とやらに匹敵するのか!?」

「します」


 桜色の瞳が、第二王子を射抜く。

 第二王子が、少したじろぐ。


「マギサお婆様は絶対です。あの人に敵う魔法使いはいません。仮にそれが、伝説の魔王だろうが、です」

「何故、そう言い切れるんだ?」

「貴方は信じられないのですか?」

「信じたいに決まっているだろう!」


 第二王子が円卓を叩く。

 腕が震えている。

 エイブリーは、彼が手汗を必死に隠していることに気づいた。彼は恐れている。そして、自分が安心したいがために、周囲の士気が下がるような言動をしてしまった。エイブリーはそれを軽蔑しない。彼は国のためを思って、現実的な分析を口にしただけだ。胆力が足りなかっただけで、決して悪くはない。


「私は信じます」

「何故、そうまで信頼できる?」

「私は凡才です」


 彼女の言葉に、第二王子は「そんな馬鹿な」と考える。エイブリーは二属性の魔法を一級以上に使うことができる。間違いなく天才と呼ばれる域にいる。

 彼女の周囲の人間が異常なだけなのだ。

 だが、彼女はそれを認めない。

 何故ならば、彼女の「才能がある」という基準は途方もなく高いからだ。だからこそ、王族きっての人材発掘屋もやっている。


「ですが、誰よりも広く深く、魔法を学んできたという自負があります。私が第二王女のお気に入りプリンセスファボリなんてものを作ったのも、才能ある魔法使いたちの学びを私のものにするためです」


 彼女の発言に、その場の王族たちが「やっぱりお前国費を私欲に使ってたんじゃねーか!」とツッコミを入れる。


「知識は、自分を大きく見せるためのものではありません。自身の小ささを自覚するためのものです。そして、私は好物の知識を食べて、食べて、食べ続けて気づきました。お婆様の強大さに。私が学んでいるはるかその先に、マギサお婆様はいます。おそらく、それは他の魔法使いにとっても同じです。こちらが切る最強のカードはマギサ・ストレガです」


 論理は滅茶苦茶だ。破綻している。

 私がそう思うんだから、お前もそう思え。そういう暴論を彼女は述べている。

 それでも、説得力があった。彼女の意思の強い桜色の瞳には、有無を言わさない凄みがあった。王族としての人を引き付けるカリスマ。ついていきたいと思わせる求心力。

 第二王子は、自分に遺伝しなかった、その桜色の髪と瞳を羨んだ。

 しかし彼にも王族としての矜持がある。


「それで、魔王はまだ何か手があるんだろう? 何があるんだ?」

「危険ですが、日が上がる前に斥候スカウトの部隊を再度全員出します」

「馬鹿な!危険だ!防壁周りには、まだ吸血鬼も鉄竜も魔物もたくさんいるんだぞ!?」

「念のためです」

「斥候は退魔師や前衛のように強い者は少ないんだぞ!? 念のために、万が一のためにお前は博打を打つというのか!」

「この戦争は参加した時点で博打です。軽々しく命をかけるくらいでなければ、勝てるはずもありません」

「命を張るのはお前じゃなく現場の人間だ!」

「責任は私が取ります!」

「どうやってするつもりだ!死んだ人間は返ってこないんだぞ!?」

「もし読みが外れて、この戦争が終わった後に私がまだ生きていれば。首を吊りましょう」


 絶句する。

 その場にいるメレフレクス王以外の人間が、表情から驚愕を貼り付けて剥がせない。


「待ちな」


 その会話を遮る人物がいた。

 ただ、1人だけ。

 その人物は、扉の前にいた。

 見張り役の騎士が慌てふためいている。彼らは気づかなかった。警護しているのに。王族の護衛という大役を任され、緊張して事に当たっていたというのに気づけなかった。

 唯一気づいていたイアンがため息をつく。


「お婆様!?」


 エイブリーの声に、他の王族も慌てふためく。


「小娘!お前の読みは当たりだよ!何者かがあたしの防壁をいじっている!すぐにやめさせな!まずいよ!あと少しで崩壊する!」

「ッ!連絡班!」


 エイブリーの声に、騎士が弾かれるように飛び出し、窓の外へ信号魔法を飛ばす。


「お婆様が作った防壁でしょう!? お婆様の作品を魔法で壊せる人間なんて!」

「完全に予想外だよ!あたしゃ、針の城を見ていた!じっと見ていた!魔王があそこから動かないようにずっとね!だがあいつは動かなかった!いるんだよ、向こうには!魔王以外にあたしの建造物を破壊できる魔法使いがね!」


 轟音が響いた。

 遅れて、衝撃波が王宮まで届く。

 都全体が震撼師、地震のように縦に横に揺れ動く。王宮の、魔法でコーティングされているはずの柱が軋み、揺れ動く。


「な、何だと!?」


 王族たちが慌ててバルコニーへでる。

 警備役の騎士たちが慌てて王族たちに「外に顔を出しては危険です!」と叫ぶが、お構いなしに見る。


 彼らの目に飛び込んできた光景は、崩壊した北東部の防壁だった。

 ぽっかりと、そこに空間が広がっている。

 だが、その空間がすぐに埋め尽くされる。

 大量の魔物たちに。壁をタイラントアントが這い回り、侵入してくる。地上をバトルウルフやワーウルフ、ゴブリン、コボルト、オーガ、オーク、そして魔女の帽子ウィッチハットたちが覆い尽くしていく。


「終わった」


 誰かが呟く。


「そんな……」

 エイブリーが口元を押さえる。


「ちっ。突破されたかい。腹が立つ男だね。あんな魔法使える人間、どこから連れてきたんだか」

「お、お婆様。どこへ行くんです?」

「動くよ。魔王を相手にするために温存しようかと思ったが、あれを見たからにはしょうがないね。出し惜しみしている場合じゃない」


 エイブリーは、絶望を心の中から追い出し思考した。

 今、マギサ・ストレガというジョーカーを切るべきか否か。この戦いを勝利に導く必要条件。それは、万全の状態のマギサ・ストレガを魔王に当てること。

 この戦争で確実に勝つためには、防壁を壊した人物をマギサ以外の人間で対処すること。西と南で暴れている吸血鬼と死者の王ノーライフキングを今いる手駒で倒すこと。その上、針の城の手前にはベヒーモスもうつむく者カトブレパスもいる。


 思い、浮かばない。


 この最悪な局面を打破する方法を、マギサ・ストレガに頼る以外に思い浮かばない。


「お、お婆様」

「見てな、小娘」


 扉の向こうで、マギサが皺をくしゃりとさせる。


「お前に心配されるなんて、あたしも老いたね。しっかり見ておくんだよ、尻の青いガキ共。隠居婆の戦い方を」


 扉が閉まる。

 エイブリーは思考を止めない。

 マギサ・ストレガを出陣させてしまった。こちらはジョーカーを切ってしまった。それは仕様がない。回避不可能だった。それ以外の選択肢が思いつかなかった。

 過ぎたことは反省しても、後悔してはならない。

 ならばどうする。

 マギサ・ストレガが最高の仕事をできるための土壌を、こちらは準備する。それが最善の手である。


「ルーク・ルークソーンとキサラ・ヒタールに伝達。マギサ・ストレガの周囲を旋回しつつ、近づく敵を遊撃。マギサ・ストレガの負担になりそうな敵は優先して引き受けるように伝えて。壁を破壊した人間とお婆様の戦いを邪魔させないで。それと、イアン」

「私は、貴女の騎士です」

「構いません。行きなさい」

「はっ」


 近衛隊長のイアン・ゴライアが、すぐに退室する。

 まるで彼女がそう命じると、分かっていたかのようだ。


「私が動かせるのはここまで。そっちはどう動くの? 魔王」


 エイブリーがこめかみをなぞり、呟いた。

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