第321話 魔軍交戦18 夜戦8

 足元の肋骨からヘドロの棘が飛び出した。


「おっと」


 のけぞってトウツがかわす。


「やっぱりね。あんな阿呆なことをするわけないよねぇ」


 民家が黒い液体の刃で切り刻まれた。爆発し、中からヘドロがあふれ出る。そのヘドロの中に、豪奢な貴金属や宝石の輝きや真っ白な骨が見える。

 トトだ。

 民家に押しつぶされたときは力が抜けたが、あれはかわせなかったのではない。かわす必要がなかったのだ。

 埒外の不死性。それが屍の王たる所以ゆえん。数少ない、知性をもつ魔物の力。


「いやはや、元気な蜥蜴ちゃんですねェ」


 ずるりと、ヘドロがワイバーンの尻尾を捉えた。


「ガア!?」


 尻尾がじわじわとヘドロに侵食される。赤い鱗が黒紫に変色する。

 呪いだ。それも致死量。図体の大きいワイバーンでも、一溜りもないだろう。


「ガアァ!」


 ワイバーンが尻尾をすぐさま焼き切り、空へ逃れる。

 すかさず瑠璃がクラーケンの足で殴打する。

 二体は戦いつつも、こちらから距離を置いている。瑠璃もワイバーンも、トトを警戒しているのだ。

 体躯の大きい当たり判定の多い自分たちは、触れれば侵食する致死量の呪いと相性が悪い。そう判断したのだ。


「んン? 炎刃プロミネンスカッター? ワイバーンがそんな高等な魔法使うわけ………フフ、文字通り、蜥蜴の尻尾切りというワケですカ」


 にまぁ、と骸骨の空洞が笑みを作ったような感覚がした。

 この男は笑っている。嗜虐的に。玩具を見つけた童子のように。性癖が壊れた貴族が奴隷を買った時、こんな雰囲気を作っていたと、トウツは思い出す。


「いいデスね。この国は実にいいデス。次から次へと、いじりたい実験動物モルモットが出てくるじゃないですカ」

 トトが下顎をカタカタと鳴らして笑う。


「あの二体は確実に後で捕えるとして、まずは貴女デス、え?」


 そこにトウツは、既にいなかった。

 民家の屋根を走りながら逃げている。


「チョ、ちょっと待ってくだサイよ!普通そこで逃げますカ!? 液状化呪物!濁流!」


 ヘドロがトトを押し流すように運ぶ。周囲の建物を押しつぶし、腐食し、進む。道端の草木や家畜が触れては、その命を絶やしていく。


「ひい!敵だ!」

「でも襲ってきたワイバーンを攻撃して!?」


 水分が蒸発する音が聞こえた。トトに気づいた内務班の兵士が殺されたのだ。

 その姿を見て、他の人間がパニックに陥る。逃げようとするも、ヘドロの濁流に飲まれ死んでいく。


「んン~。人の断末魔は心地いいですねェ。現役の死人としては、こちら側の人間が増えるのは嬉しい事でス。しかし」


 ぐちゃりと、また人間をヘドロで飲み込む。濁流の中で人間が苦しみ、息絶える。死ぬ間際に見せる生への執着が、トトのないはずの口角を上げる。


「あっさりと他の人間を見捨てるのですネ。あの兎、どちらかというこちら側デハ?」


 屋根を飛び越える忍び装束の女を見ながら、トトが呟く。


「とか思ってるんだろうな~、あの骨」

 身体能力ストレングスで軽く速度を上げ、トウツが呟く。


「僕にとって、フィルとフィルにとって大切な人以外、どうでもいいんだよなぁ。でも、人が多く死んだらフィルが悲しむからなぁ。どうしようかな~。あのヘドロ、僕の魔法じゃどう考えても対処できないんだよねぇ」


 道の分岐が見える。

 人の気配を察知し、人数の少ない方に進む。今から通る道の人間は、間違いなくトトに殺されるだろう。彼女はトロッコ問題を問うたら、迷いなくレバーを引くタイプだ。

 何故か。5人よりも1人死んだ方が、フィルは悲しまないと思うからだ。

 彼女なりに配慮はしている。その証拠に、本気で走ればトトを置き去りにできる。それをしないのは、屍の王の関心を自分に引いておけば、瑠璃から離すこともできる上に大量虐殺が始まらない。自分に引きつけなければ、トトは都に呪いを振りまいて大虐殺スローターの開始だ。

 それだけは避けなければならない。

 フィルは今や、多くの人に愛されている。都にも、彼を愛する人間が多くいる。

 これから出る犠牲者の中に、フィルの知人がいるやもしれないのだ。


「ま、僕ではあいつを殺せないけど、それは向こうにとっても同じ。夜が明けるまでは時間稼ぎさせてもらうね」


 斬撃を飛ばす。

 後ろから「アァ!? また私の頭部ばかり狙って!絶対脳みそいじってやりますカラね!」と力の抜けた怒声が聞こえる。


「問題は、一晩中逃げたら犠牲がどのくらいになるか、だけども」


 既に都の一区画は、トトの呪いで汚染されている。

 戦いが終わった後も、しばらくこの辺りに人は住めないだろう。







「…………」

「行っちゃ駄目よ」

「まだ何も言ってないんだけど」

「言わなくてもわかるわよ」


 俺の隣で、イリスが小言を言う。

 また、死者の王ノーライフキングの濁流に兵士が飲み込まれる。

 見えてしまう。俺の魔眼には。あの濁流に飲みこまれた人がいかに苦しんで死んでいくのを。想像したくもない。俺でも気が狂うかのような精神的な責め苦を受けて死ぬのだ。溺死するまでの短い時間に、魂が廃人と化するのがわかる。

 苦しい。こんなの、見る拷問だ。目じりから涙があふれてくる。握った拳から、血が滲み出る。

 こんなにも、魔眼をもちたくなかったと思ったのは初めてだ。


「けど、俺の浄化魔法ならある程度の対策にはなる」

「あの呪いの塊みたいな泥、全部浄化できるの?」

「……動かないでいてくれたら、数時間かければあるいは」

「無理ね。浄化している間にフィルに攻撃が当たるのがオチよ。トウツさんだから、かわせているんでしょう?」

「そうだけども」

「あたしから見て、あれをまとめて祓う力があるのはシオン教皇か聖女ファナね。シオン教皇は既に西の防衛に参加してる。聖女が予想外に苦戦しているからよ」

「……吸血鬼の親玉とはいえ、相性がいいのに張り合っている」

「そうよ。本当は聖女が吸血鬼を圧倒する予定だった。四天王だったっけ? 向こうも片手で数えるしかいない人材を切っているのでしょうけど、こちらには一人しかいない聖女を釘付けにされている。おかげで他の吸血鬼が暴れ放題よ。退魔師も予想以上に死者が出ている。今夜は乗り切れるかもしれないけど、次の夜は間違いなく押し切られるわ。聖女があの吸血鬼を倒さない限り、夜は敗北が確定してるわ。引退しているはずのシオン教皇が出張るくらいには、こちらに人材の余裕はない」


 逆に言えば、シオン教皇が動いたから今晩だけは西は押し返すでしょうと、イリスが付け足す。


「俺が西側の防衛について、ファナかシオン教皇を南へ向かわせるのは?」

「それも駄目。ソム・フレッチャーとボウ・ボーゲンの攻撃圏内にあんたを置くわけないじゃない。それに四天王だっけ? 今、西に一人いる。魔王の親衛隊長とかいう死者の王ノーライフキングは南にいる。つまり、四天王クラスはまだ3人はいる。それの動向がわからない限りは、あんたは勝手に動いちゃ駄目」

「イリス、お前」

「……何よ?」

「エイブリー姫に似てきたな」


 イリスが物凄く複雑な顔をする。

 すげぇ。喜びと嫌悪って同時に表情に出せるんだ。

 彼女にとって、従姉妹との関係は思うところがあるのだろう。誰よりも尊敬してきた姉のような存在。それと同時に、汚い手も平然と出来る反面教師。


 ころころと表情がかわるイリスを見て、荒んだ気持ちが落ち着いていく。

 今はヘドロに飲み込まれる人々でなく、彼女の横顔に集中しておこう。そうでないと、気が狂いそうだ。


「でも、南で死人が出過ぎたら、防衛が崩壊するわ」

「何か打つ手はないのか?」

「大丈夫よ。姉様がそろそろ動くはず。ほら」

「なるほど」


 大きな魔力が動く気配がする。

 アルク・アルコだ。

 あの人大変だな。過労で倒れないといいけど。


「アルク様は浄化魔法にも精通しているわ。聖女や教皇様のように打倒は無理にしても、被害を抑えることは出来るはずよ。あぁ、退魔師も数名付いていってるわね。流石お姉さま。向こうに死者の王ノーライフキングがいるから温存していたのね」

「お前ほんとエイブリー姫好きだよな」

「う、うるさい!」


 バシバシとイリスが俺の背中を叩く。

 イリス背が高いので、手の位置が丁度肺の上を叩く形になり、せき込む。


「イリス。アルク・アルコさんに伝令は出来るか?」

「出来ると思うわ。姉さまはハポンの忍者を数名借りているらしいから」

「マジ? トウケン先輩太っ腹じゃん」


 持つべきものは友と同盟国だ。


「じゃあ、こう伝えてくれ。トト・ロア・ハーテンが身につけているものは全て呪魔法具カースドアイテムだ」

「は?」

 イリスの瞳孔が細くなる。


「え、あれ? あれ全部そうなの!?」


 水魔法でレンズを作り、イリスがトトを眺める。


「そうだ。指輪も、王冠も、マントも、身につけている装飾品全部だ」

「そんなことってあるの? 使っている本人が呪い殺、あ」

「そうだよ。あいつは既に死んでいる・・・・・

「……そんなの、ズルじゃない」

「俺もそう思う」


 2人で沈黙する。

 でも、何度魔力視の魔眼マギ・ヴァデーレで見ても、そうにしか見えないのだ。


「あいつは呪いが大好物だ。呪いというデメリットは、あいつにとってメリットになるんだろう。あのヘドロ。自分に向かっている呪いのベクトルを人に押し付けているんだ。意味がわからない戦い方だよ。この世界のバグとしか思えない」

「バ……何?」

「ごめんこっちの話」

「またそれ?」

 イリスが訝しむ。


 そうだった。コンピューターがないこの世界では「バグ」という言葉は認知されないのか。面倒だなぁ。


「出来るのならば、まともに戦わずに装飾品を取り上げるよう動いた方がいい。トウツにもそう伝達できればいいんだけど」

「わかったわ」


 イリスが手を上げると、すぐに騎士が寄ってきた。

 言伝を聞くと、すぐに王族会議室の方へ走っていく。


「お前はあっちの会議室にいなくていいのか?」

「向こうは正直、お父様と姉さまさえいれば事足りているわ。それよりもあんたのお守りの方が大事」

「そのお守りって表現、やめない?」

「嫌よ」

「えぇ……」


 この子、どんどん遠慮がなくなってない? 嫌だなぁ。マギサ師匠にこれ以上似るのはやめてほしいんだけど。


「それと、イリス」

「何よ?」

「あいつの体質、どこかで見たことないか?」

「体質? 呪魔法具カースドアイテムを身につけても平気で、それを武器にできる。あ」

「そう、そうだよ」


 呪いを集めて、濃縮した存在。

 俺だけじゃなく、イリスにとっても因縁が深い敵。

 死霊高位騎士リビングパラディン


「鎧野郎を作ったのは、恐らく死者の王あいつだ。あいつさえ攻略すれば、死霊高位騎士リビングパラディンも倒す算段が出来るはずだ。俺はしばらく南の戦いを見守るよ。イリス、ファナ達の方を見ていてくれないか? 頼む」

「わかったわ」


 イリスが神妙に頷く。


「それとあんた」

「何だ?」

「何でさっきから、あたしの顔ばかり見てるのよ」

「いや、落ち着くから」

「はぁ!?」

「目の保養だなって。ほんと美人に生まれてくれてありがとうな。イリス」

馬鹿ばっかじゃないの!?」

「痛い!痛い!身長差あるからローキックが足ではなく腰に!?」


 この子が隣にいてよかった。

 獅子族の男と戦う時まで、正気を保てそうだ。

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