第318話 魔軍交戦15 夜戦5

 南部防壁は、敵味方関係なく呆然としていた。


 地鳴りがする。

 否、これは足音である。


 それは巨大な亀だった。竜とも言える。クラーケンと言えばそうかもしれない。

 あまりにも多くの魔物の特徴を持つそれを、周囲の人間達は形容する言葉が見つからなかった。


「おいおい、何だありゃあ」

「攻撃するなよ。上層部からのお達しだ。ありゃあ無彩色に来たる紅モノクロームアポイントレッドの使い魔だ」

「攻撃するわけねぇだろ。仮にあれが敵でも攻撃しないね。返り討ちにあって死ぬわ」

「というかあいつらの使い魔、可愛いワンちゃんじゃねぇのかよ?」

「俺が見たときは羽が生えてたな」

「私が見たときは角が二本あったわね」

「俺が見たときなんて、アーマーベアだったぜ?」

「キメラって話だったか。いや、あれは本当にキメラなのか?」


 一人の冒険者の男の呟き、周囲の誰も答えることができない。

 本来のキメラが抱えられる質量を完全に超えている。

 それほど、瑠璃の異形としての姿は極まっていた。


 瑠璃が歩くたびに民家が押しつぶされる。

 ちなみに、この被害をノータイムで「よし」と許可したのは、エイブリー・エクセレイである。王家会議室の全員がドン引きした案件である。流石のメレフレクス王も、その判断に頷くには時間を要した。

 ワイバーンには瑠璃に気づいてもらわなければならない。

 そうでなければ、一直線にフィルの元へ向かうだろう。


「味方でよかった」


 騎士の独り言に、周囲が頷く。


「敵も化け物だが、味方もだな」

「化け物には化け物をぶつけろってか?」

「おい。それをフィル・ストレガに言うんじゃねぇぞ。あのパーティーはリーダーが一番大人しいが、数少ない怒らせる原因は大体それだ」

「使い魔でもか?」

「使い魔、でもだ」

「友達、だとよ」

「友達? あれが?」


 若い冒険者が、口をあんぐりとさせて瑠璃を見上げる。


「お前。あれ、友達って言える?」

「無理だね。対面したら命乞いするわ」

「どうでもいいけどよ。あれが出張った理由は何だ?」

「南に亜竜が出たらしい。ワイバーンだ」

「ワイバーン!? 群れか!?」

「いや、一体だけだ」

「単体!? ワイバーンがか!? 意味わかんねぇだろ!」


 その冒険者には、理解の範疇の外であることが起きていた。

 一つは群れで行動するはずのワイバーンが単独で強襲してきたこと。もう一つは、そのたった一体のワイバーンのために、あんな化け物が出張っていることである。


「あんなの、B級で袋叩きすりゃあいいじゃねぇか」

「そのB級の多くは、西の防衛にほとんど出張ってるけどな。A級も、王宮警護以外は出張ってるよ」

「C級ばかりのここは手薄だから、あれを派遣してくれたってことか。ありがてぇこって」

「おい」

「何だ?」

「あれ、でかくねぇか?」

「使い魔の亀の化け物がか? でけぇよな。レイド攻略でもお目にかかれねぇ」

「いや、そっちじゃねぇ」

「あ? どっちだ?」

「あっちだよ」


 男が指さす方向を、全員が見る。

 そこには飛翔するワイバーン。

 みるみる近づいてくる。

 そして距離が縮むにつれ、気づく。

 防壁の外の民家。木々。空を飛ぶグリフォン。ペガサス。鉄竜。

 比較する対象が増えるたびに、その巨大さが、羽の広さが、明確になっていく。


「あれ、マジでワイバーンか?」

「あんなでかい魔物だったっけか?」

「知らねぇよ。俺、ワイバーン見るのは初めてだぜ?」

「いや、おかしい。何だあれ。普通の成体の倍以上はあるぞ!何だあれ!」


 冒険者や傭兵達がどよめきだす。その不安に騎士達が煽られそうになるが、我慢して隊列を乱さない。全身鎧フルメイルの膝がカチカチと音を立てる。


「あぁ、糞。だからあの使い魔が出張ってんのか」

「魔王ってのは、魔物のサイズも変えんのかよ!」

「ふざけんな!南は比較的安全な防衛地点じゃねぇのかよ!」

 唾棄するように、傭兵が罵る。




 ふわりと、何かが宙を浮かんだ。

 それは肉の塊である。

 どういう原理かはわからないが、宙を浮いている。どう見ても、挙動が魔法のそれではない。


「何だこれ?」

「よせ、触るな」


 触れようとした傭兵を、冒険者が止める。


「あ?」

「お上様の命令だ。触るな、だとよ」

「あ、あぁ」


 おっかなびっくり、傭兵が手を引っ込める。


 風船のような肉球が、ふわふわと防壁前に陣形を作り出す。まるで蜘蛛の巣のように、綿密に、広域に、張り巡らされていく。


 ワイバーンがそこを悠然と通り過ぎようとした瞬間。


 大気が爆ぜた。


「うおあぁ!?」

「ぎゃあああああああああ!」


 敵味方関係なく、防壁の周囲の人間や魔物が吹っ飛ぶ。

 爆撃の煽りを受けて、鉄竜やグリフォンが焼かれていく。


「うっへぇ」

「えげつねぇ」

「ペガサスライダーが逃げてたのはこれのせいか!」


 誘爆は続いている。まるで絨毯のように、爆撃が連鎖する。空を炎で覆いつくす勢いである。


爆弾魚ボマーフィッシュ……」

「あれ全部、それだってのかよ!? 乱獲なんてもんじゃねぇぞ!」

「ここ数年、あの魔物の討伐クエストがなかったのってそういうことかよ!」


 冒険者達が口々に叫ぶ。

 彼らの言うことはまさにその通りである。

 この戦いのために、瑠璃は無尽蔵ともいえる魔物の死骸をストックしていた。爆弾魚ボマーフィッシュに至っては、近海の生息域を消滅させる勢いだった。


「ギィアアアアアア!」


 空の炎の塊から、赤い亜竜が飛び出した。

 目は爛々と輝き、まるで闘志を失っていない。むしろ、ボルテージが上がっているように見える。


「嘘だろ!?」

「あれ食らって死なないワイバーンなんているわけないだろ!」

『む、いかん』


 瑠璃がそう呟いた瞬間、冒険者達が消し炭になった。


「ひ、ひぃいいい!」


 ついさっきまで人間が立っていた空間が、丸ごと黒い焦げに変わってしまった。

 周囲の人間が慌てて逃げる。


『身軽な我が友対策に編み出した、高速火球ファイアーボールかの』


 ぱちりと、瑠璃とワイバーンの目が合う。

 ワイバーンの表情に憤怒が混ざる。


『ふむ、その様子じゃと、わしを覚えておるようじゃの。丁度よい。お主は我が友にとって邪魔な存在じゃ。ね』


 瑠璃が3本のワイバーンの頭部を体外に顕現する。

 突然現れた同胞の骸に、ワイバーンが更に怒る。


 瑠璃が残りの爆弾魚ボマーフィッシュを着火するのと、ワイバーンの紅蓮線グレンラインが甲羅に着弾するのは同時であった。







「何だ。あの魔物どもは」

「ハテ? 私は全知全能を自負しておりますガ、皆目見当もつきませんネ」


 そう答えながら、トト・ロワ・ハーテンは内心驚く。

 魔王が何かに興味をもつことは、珍しいことだからだ。


「貴様の作品ではないのか?」

「私の作品にしては、野性味が多すぎますねェ」


 トトが顎をしゃくる。指にかかった大量の装飾品が、コツコツと顎の骨を鳴らす。


「何か、気になることが?」

「…………」


 魔王が黙り込む。

 トトの心が浮足立った。

 この男が興味を持つ。それはこの世界では稀有な存在であることを示す。

 アンデッドの王である自分と出会ったときも。真祖に最も近い吸血鬼、レイミア・ヴィリコラカスと邂逅した時も。獅子族の生き残りと出会い、紛争をして軍に吸収した時も。魔人族の代わり種を見つけたときも。

 自分の最高傑作「アーキア」を見たときも。

 この男が食指を動かすことはなかった。


 それが、南の防壁で削り合う2体の魔物を眺めて考え込んでいる。

 こんなに面白いことがあるだろうか。いや、ない。


「よろしかったら、私が生け捕りましょうカ?」

「貴様が出張る予定は……いや、そうだな。頼む」


 もしトトに人間だった時の肉が頬に張り付いていれば、だらしないくらいつり上がっていただろう。

 この男が生け捕りを所望するほどの得物。

 欲しい。

 生け捕りして、実験動物モルモットに加えたい。


「いじったら、貴様の首が飛ぶぞ」


 肉がないはずの背筋が、ぞわりと逆立つ。


「ヒヒ。魔王様の意に反すること、私がするわけなァいじゃありませんかァ!」

 トトがカタカタと笑う。


「どうだか」

 フードの下で、魔王が憮然と呟く。


「デハでは、ご拝命のままに。魔王様の足元にあれらの魔物、捕まえてご覧にいれまショウ」

 恭しくトトが敬礼する。


「黙って行け」

「相変わらずジョークのわからないお方だ」


 ただの骸骨であるはずの顔面が、喜色を隠さずに輝く。

 コツコツと骨の音をリズミカルに鳴らし、トトが歩く。

 躊躇なく針の城のバルコニーから飛び降りる。

 足を下に、垂直に落ちていく。


 魔王は、洞のような目でそれを眺めていた。

 そして、少し顔を上げて見る。

 その視線の先には、巨大な甲羅を背負ったキメラがいた。


「あれを使えば、あるいは。いや、何を考えてるんだろうな。そんなこと、出来るわけがないというのに。ふふふふふ」


 魔王が笑った。

 笑ったというのに、その声は冷淡で空虚であった。


 信じてはいけないものを、信じているかのように。

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