第317話 魔軍交戦14 夜戦4

 怨霊の塊が、オラシュタットの防壁を眺めていた。


 その鎧は、余りにも多い死霊を抱え過ぎていた。呪いをため込み過ぎていた。朦朧としていた自我は更に浅く、淡く、薄く、引き延ばされていく。

 それでも元々あった魂が頑強であったからか。色の濃い人生を送っていたからか。他の悪霊を寄せ付けぬほどの未練を残しているのか。

 希釈され続けてもなお残る着色料のように、ベースとなる魂は他の死霊を鎧に閉じ込め統率していた。


 数キロ横を、赤く巨大な影が通過した。


 あのワイバーンである。

 深層から降りてきた、異例ともいえる存在。

 亜竜だが、あの環境で生き残るワイバーンは真龍と呼んでもいいだろう。


 数瞬、目が合う。

 ワイバーンは怨敵を見るように、鎧を睨んだ。

 鎧は特段、意にも介さなかった。


 ワイバーンが都へ行くのをそのまま見送る。


「…………我が王。御身の元へ」


 全身鎧フルメイルの膝が軋む。

 ゆっくりと、怨霊の塊は都へと歩いていった。







「やばいのが来る」


 ガタリと、俺は椅子から跳ね起きた。

 瑠璃が膝に顔を擦り付けてくる。


『風下だから、わしにもわかる。あの亜竜じゃな?』

「あぁ、そうだ。糞、何でこんな時に来るんだよ」

『お主を殺しに、じゃろう』

「ストーカーにも程があんだろ……」


 頭を抱える。

 今はあの亜竜の相手をする暇なんかない。

 だが、あれの狙いが俺であることは事実。確実に対処するには、あれの戦い方を見知った俺が出向くのが一番だ。

 では、その間クレアの警護は?

 完璧なのか?

 カイムやレイアは王宮内に娘がいることに安心して防衛に出ている。

 もちろん近衛騎士隊長のイアンさんがいる。学園の教員も。A級冒険者も多く控えている。名うての傭兵だって。ハポンの御庭番もいる。

 それでも、今の俺はクレアから離れてあれを倒すべきなのだろうか。

 昼の敵情視察とはわけが違う。

 あれと戦ったら、間違いなく後に響くくらい魔力を消耗する。

 どうすれば。


『我が友』


 ぱちりと、瑠璃と目が合う。

 今は大型犬のサイズだから、目線が水平だ。


「……あぁ、そうだ。ありがとう。一人で考えたら駄目だよな」

『そうじゃぞ。それと』

「?」

『あれの対処はお主だけが知っているわけではない』

「瑠璃。まさか」

『あれはわしが相手しよう』

「でも!」

『我が友。シンプルに考えるのじゃ。お主はやるべきことがある。わしはお主の使い魔』


 しばらく、俺と瑠璃は見つめ合う。

 一瞬、瑠璃が視線を俺から話す。


『ルビーがわしの傍についてくれるらしい。わしの身に何かあれば、我が友か我が友の師匠に伝えると言うておる。それに、あのピンク髪の娘は我が友の自由行動をこれ以上許しはせんじゃろ』

「……分かった。頼むよ」

『その返事が聞きたかった』


 瑠璃が尻尾をフリフリしながら、王宮の出口へ向かう。


『あぁ、そうじゃ』

「何だ?」

『ピンク髪の娘に伝えておいてくれ。南に巨大怪獣が現れるが、味方じゃと』

「……タラスクの素体、使うのか」

『相手が相手じゃからの』

「……皆信じるかなぁ」

『信じてくれるのを期待するしかないじゃろうに』


 2人して、苦笑いを浮かべる。


「瑠璃。無理は禁物だからな。命優先だ」

『それは難しいのう。誰かさんの使い魔じゃからの』

「はは、確かに」


 俺は瑠璃の毛並みを手櫛で整える。


『今から甲羅になるんじゃ。毛並みを整える必要などない』

「いいんだよ。俺がしたいんだ。させてくれ」

『うむ、よかろう。好きにするがよい』


 俺が膝を折って、床につける。

 太ももの上に瑠璃が頭を乗せる。


「あぁ、そうだ、瑠璃」

『なんじゃ』

「一つ訂正だ」


 瑠璃が瞳だけ、思案気に俺を見あげる。


「お前は俺の使い魔じゃない。親友だよ」

『知っておる』


 心地よさげに、瑠璃が目を細める。


「ねぇ~、そういえば瑠璃ちゃんって雌なのよね?」

「その質問、今する必要ある?」


 横から気だるげに会話に乱入してきたトウツに、俺はうろんげに応える。


「ありあり。大あり~」


 トウツがだらりと、肩の上から両腕を乗っける。

 瑠璃の毛繕いをしているので、かわせない。

 いつもだったら全力で逃げるけども、今日は瑠璃のために我慢してやろう。いや、決して背中に密着している双丘が心地いいからとか、そんなんじゃないんだからね!勘違いしないでよね!


『我が友がよこしまなことを考えておるのう』

「そんなわけ……ルビーまで!?」


 めっちゃ赤い魔素点滅するやん。俺が死にかけの時にするやつやん。


「ふふん。作戦成功」

 頭上で何やらトウツが勝ち誇る。


「何の作戦成功なんだか?」

「何って、ラブコメのミスディレクション? 的な?」

「いや、どういう意味だよ」


 本当、意味わかんない兎だな。


「あぁ、そうそう。瑠璃ちゃんのことは心配しなくてい~よ」

「何がだ?」

「僕が守るからねぇ」

「お前が?」


 正直、驚いた。

 思い上がりに聞こえるかもしれないが、トウツが積極的に守る対象と言えば、てっきり俺だけだと思っていたのだ。


『我が友、騙されるな。わしを助けて我が友に好かれようという魂胆じゃ』

「あぁ、そうか」

「何に納得してるのかわかんないけど、僕に不都合なことを話してるのはわかるよ。瑠璃ちゃん?」

『知らんな』


 両者が冷えた眼差しで見合う。

 こいつら、直接会話できないのにいつも喧嘩できるの、すごいよな。


「僕らが初めて戦った時、瑠璃ちゃんは完全ではなかった」

 目線を戻し、トウツが話しかける。


「タラスクの、風化した死骸を無理やり外装に使っていた。今は違う。保存状態のいいタラスクの防壁を瑠璃ちゃんは手に入れている」


 魚人族マーフォークの戦士たちが、脳裏に浮かぶ。

 多くの戦死者を出しつつも、瑠璃へ戦果のほとんどを投資してくれた人々。


「バジリスクの目はもうないけど、それは大きな問題じゃない。そもそも、今回戦う敵にバジリスクの目が効く相手は多くないからね」

「確かにな」


 ゴーレムや魔女の帽子ウィッチハットが主戦力だ。そもそも目がない連中ばかりである。吸血鬼や魔物達には効くだろうけども。


「でも、弱点は共通している」

「体内か」

「そう」


 初めて瑠璃と出会ったとき、俺とトウツが攻略した方法。体内に潜り込み、本体るりを直接叩く。魔王軍でも、当然出来る者はいるだろう。


「だから、瑠璃ちゃんの足元は僕が守るよ。大船に乗ったつもりでいたまへ」

「助かるよ。ありがとう」

「お礼はダークエルフの呪いが解けてからの初夜券で」

「高い。まけてくれ」

「い~や、びた一文まけないね」

「そこを何とか。頼む」

『え。わし、この交渉が終わらんと出撃できんのか?』


 妙なネゴシエートが始まり、瑠璃が困惑する。


「えぇ、仕様がないなぁ。じゃあ貸し一つで」

「待て。それは一番危険なやつだ。何を要求されるかわかったもんじゃない」

「桃髪の同級生には貸しを許したのに?」

「イリスとお前の危険度はダンチだろうが」

「い~や、あの小娘は危険だね」

「イリスが?」


 あんないい子、危険からは程遠い存在だと思うけども。

 いや、待て。あの婆さんの孫だ。やっぱり危険かもしれない。


「今はフィオ・・・が上手くかわしてるけど、将来性がね」

「確かに。あいつの将来性はやばい」

『よくわからんが、我が友が間違っているのはわかるのう』


 え?

 何言ってんだ瑠璃。あの婆さんの遺伝子継いでいるんだぞ。普通に危険に決まってるじゃん。


「う~ん、じゃあ添い寝券で許してやろう」

 トウツがふんぞり返って述べる。


 おお。胸を張ってもそのボリューム。素晴らしい。アンビリバボー。スパシーバ。


「大丈夫? ついでに襲ったりしない?」

「しないしない」

『普通、逆じゃろうに』


 そうだよね。俺もそう思う。ぶっちゃけ、ダークエルフの呪いがなければ流されてる可能性、今までかなりあったからなぁ。

 不純だと言ってくれるな。

 青少年が美人に言いよられて折れない方がおかしいのよ。

 本当、何でエルフに転生したんだろう。

 恨むよ神様。


「ま、そういうわけだからさ。瑠璃ちゃんは僕に任せてよ。フィオはフェリちゃんと一緒にのんびり待っていて。フェリちゃんだったら広範囲魔法も使えるし、王宮の防衛にはぴったりでしょ」

「あぁ、わかったよ」


 伸びをして、トウツが歩き出す。

 その横を瑠璃がひょこひょこと歩く。


 2人の周囲を、赤い魔素が煌びやかに照らしていた。

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