第316話 魔軍交戦13 夜戦3

重すぎる愛シュヴィエドゥアー

紫の狭霧パープルヘイズミスト


 ファナの打撃をレイミアが霧状に変身してかわす。


 ファナは眉根を顰めるが、すぐさま攻撃方法を変更して火魔法に切り替える。

 ただの火魔法ではない。ファナの浄化魔法をふんだんに用いた聖火である。

 普通の吸血鬼であれば、霧状であろうと燃え尽きるはず。なのだが、紫色の霧は一向に消える気配がなかった。


「何かカラクリが? 聖女のわたくしがいるのに、吸血鬼を投入した意味がわかろうというものですわね」


 十数メートル先にレイミアが着地する。


「汚らわしい臭いが、わたくしの浄化魔法を喰らう瞬間だけ無くなりましたわ。何か細工をしていますわね?」

「さぁ、どうかしら? 神祖はそもそも浄化魔法すら寄せ付けない完成された存在よ。私が神祖に限りなく近づいている証かも、ね」

「抜かしなさいな。貴女が本当に神祖であれば、魔王と手を組む必要もありませんわ。それに、かの伝説の怪物は日光すら克服した存在と聞きましてよ? 白昼堂々攻めてくるでしょうに」

「うふふ。その伝説ですらブラフかもしれないわよ?」

「その発言で貴女が本物でないと確信いたしましたわ」


 ファナの髪先をレイピアが撫でる。

 ギリギリで首を捻りながらかわしつつ、ファナはレイミアを視認する。

 立ち位置は変わらない。彼女は十数メートル先にいたままである。

 ただ、右肩から先はそうではなかった。霧状になり消滅している。

 レイピアを持った腕を霧状に変形させ、こちらへ飛ばしていたのだ。


「おかしいわね。確かに貴女の背後に腕を出現させたのだけれど」

「敵意に気付いてこその聖女ですわ」

「その格好で聖女はないと思うのだけれど」


 レイミアが再びレイピアを振るう。

 十字架で受け止め、ファナは地面を足で抉りながら肉薄する。

 敵の魔法、いや、吸血鬼の特性の前では距離などあってないようなものだ。であれば、こちらの攻撃も届く距離で戦わなければ消耗するのはこちらのみ。

 ファナの判断の早さにレイミアは内心で舌打ちする。公私共に淑女と認めている彼女は当然、それを表に出さない。どんな時も吸血鬼は誇りを失ってはならぬ。彼女が幼い時から同族に言い聞かせられていたことである。


 霧状になってレイミアが距離をとる。

 それを追いかけるファナ。

 すぐさま逃げる方向を上空に移す。


「想定済みですわ」


 ファナが防壁をひらりと飛び降りる。

 周囲の騎士たちが、聖女の突然の奇行にどよめく。それを尻目に、後転しながら地面に着地し馬小屋へ飛び込む。


「ぱるくーる、でしたっけ? フィルに教えてもらって正解でしたわね」


 ゆったりとした足取りで、ファナが馬小屋の奥へ歩いて行く。そこにいたのは、毛並みの美しい白馬。ただの白馬ではない。鋭角な螺旋状の角。白鳥を思わせる手入れの行き届いた巨大な翼。異形の身でありながら。処女童貞以外は慈悲なく殺す獰猛な性格を有していながら。その美しさで魔物ではなく人類の友とされた使い魔、ペガサスである。


「ご機嫌よう」

「聖女様!?」


 突然の乱入者に、ペガサスライダーの女性騎士が慌てふためく。


「その子、気に入りましたわ。貸してくださいな」

「今、何と?」

「わたくしが乗りますわ」

「で、ですがこの子は特別気性が荒く……」

「ご安心くださいな。わたくしのパーティーにはもっと気性の荒い人間が揃っていましてよ」


 そういう問題ではない。

 その場にいる全員がそう思ったのだが、ファナの妙な自信に何も言い返せない。

 ちなみにこの発言。フィル達がその場にいたら確実に黙っていない。


 するりと、ペガサスの首元にファナが寄る。白魚のようでいて、筋肉質な手で首の下を撫でる。

 美しい馬は、当たり前のようにそれを受け入れる。


「そんな。私はその距離近づくのに半年かかったのに」

「これが聖女様か」


 周囲が唖然とする中、彼女は颯爽とまたがる。


「教会の教養教育で、馬術を習っていて正解でしたわね。あの口うるさい狸神父の言うことも、聞いてみるものですわ。翼が生えているのに乗馬するのは、流石に初めてですが」


 彼女がすっと腹を撫でると、ペガサスが一気にロケットスタートした。

 直感した。このペガサスは気性が荒いのではない。賢いが故に、「何故自分よりも愚かな人間の言うことを聞くのか」と不満を呈していたのだ。彼女が腹を撫でたのは、自分は対等な関係で交渉しているというアピール。自分が背中に乗るのは主としてではない。平等な仲間としてのアプローチを試みたのである。

 以前の彼女であれば、力を見せつけて主従関係を構築してから従わせていた。

 無意識のうちに、フィルと瑠璃の関係性を真似していたのである。


 扉を破壊し、ペガサスがさらに加速する。

 防壁がどんどん迫る。ファナはそれを怖がりもせずに、ペガサスの思うがままに走らせる。枷が取れたような勢いで走る白馬は跳躍した。そのまま防壁に着地し、翼をはためかせ垂直に駆け上がる。風と重力が彼女を後ろに引っ張る。立たせていた背骨を寝かせ、前傾姿勢で白馬に掴まる。羽ばたく翼が頬を撫でる。わずかに感じていた重力がすっと消えた。

 下を見ると、防壁の端を蹴り上げてペガサスが跳躍していた。

 ぐんぐんと高度を上げ、地面が遠ざかる。


「瑠璃の背に乗って飛ぶフィルは、こんな心持ちでしたのね。悪くないですわ」


 股の下でペガサスが嘶く。


「うふふ。失礼でしたわね。悪くないは過小評価でしたの。良くってよ。大変良くってよ!」


 ファナに呼応するように、ペガサスが加速する。

 グリフォンも鉄竜も無視して突き進む。まるでファナが狙う獲物を知っているかのようだ。


「初めての浪漫飛行にご満悦なところ悪いけど。その配色が気持ち悪い羽付きの馬は落とさせてもらうわね。貴女に比べて脆そうだもの。その足」


 紫色の霧が無数の蝙蝠に化けたかと思えば、それらが密集してレイミア・ヴィリコラカスその人となる。


「あら、純白が気色の悪い色だなんて。吸血鬼の美的感覚はわからなくってよ?」

「差し色で使う分にはいい色ね。でも駄目ね。全身白は気色が悪いわ。まるで神の使いを名乗っているかのようだわ。汚らわしい」

「わたくし、貴女と趣味が合いませんの」

「奇遇ね。私もそうよ」


 レイミアの周囲を飛ぶ蝙蝠が、一斉にレイピアに化けて突っ込んでくる。


「ッ!」

 ペガサスを旋回させて、ファナがかわす。


 一直線に飛んだレイピアはかわされると、またすぐに蝙蝠に戻り、ファナをソナーで補足する。

 敵を補足するときは超音波持ちの蝙蝠に。攻撃するときは貫通力と速度があるレイピアに。レイミア・ヴィリコラカスのみが使える使役術である。

 超音波の中には、吸血鬼独特の不浄な気配がする。聖女である彼女は、その不浄に人一倍敏感である。吐き気を堪えつつも、補足してくる音波を逆探知し、レイピアが飛んでくる方向を予測する。


「使い魔ですら、あれだけの変身能力を与えられるなんて。吸血鬼頭目の名は、伊達ではないということですのね」


 所詮は神祖ではない。とは以前言ったものの、これは脅威である。ファナは場合によっては自身の命も覚悟しなければならないと覚悟を固め始めた。

 とはいえ、こちらにもまだアドバンテージはある。吸血鬼の魔法というのはつまり、血を操る魔法。それはフィルが解析してわかっていることだ。あの使い魔がレイピアに変身するのも、その応用だろう。

 こちらの浄化魔法は何故か効かない。

 だが、逆にいえばその原因を特定しさえすればこちらの勝ちである。


 何か裏がある。

 こちらの攻撃が本当に一切通じないのであれば、空へ逃げる必要などない。

 でも、それすらブラフかもしれない。その発想が頭をよぎるが、ここで自分が挑発に乗らなければ、あの吸血鬼は防壁にいる教会の人間や騎士を丸ごと殺してしまうだろう。

 向こうにとってもそれは同じだ。聖女じぶんを放置すれば大事な吸血鬼どうほうが大勢死ぬ。

 互いに喉元に剣を押し付け合っている。

 この夜戦。自分が勝てば実質こちらの勝利。


 ファナが獰猛に笑った。

 レイミアはそれを見て、うんざりしたような顔をする。


「あら、乗り気じゃありませんの? わたくしは異教徒あなたをどう処するか楽しみで楽しみでたまりませんのに」

「戦闘狂は身内だけで結構よ」

「奇遇ですわね。同感ですわ」

「え?」

「え?」


 一瞬変な間が空いたが、二人は再度十字架とレイピアで鍔迫り合いをする。


束縛愛レストリアモレ


 浄化魔法を帯びたケージがレイミアを拘束すべく飛び出す。


「そんな遅い魔法、当たるわけがないわ」

「かわしましたわね?」

「ッ!」


 整った歯をむき出しにして、ファナが嗤う。

 かわした。

 ということは、「されたら嫌な攻撃」なのだ。

 重すぎる愛シュヴィエドゥアーも、放射する愛ラジエイトラヴリーも、平然と食らっていたのに、これだけはかわした。


「それだけわかれば十分ですわ。潰しますわ!」

「貴方のあしを私の使い魔が潰すのが先よ!」


 空中で両者が激突した。

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