第312話 魔軍交戦9 カンダタの糸は自分で掴むもの
航空戦力が戦線を押し返し始めた。
飛行型ゴーレム、通称鉄竜の
防壁の上の人たちも、上空からの攻撃に気を割かずに済んでいるため、目の前の敵に集中し始めている。
「そろそろ下がっていいかな」
「そうだね〜」
「そろそろ、じゃないわよ!」
穏やかな俺たちとは対照的に、イリスがツンツンして怒っている。ツーサイドアップがいい感じに逆立っている。威嚇している猫みたいだ。
「どしたん?」
「どうしたじゃないわよ!ガッツリ戦ってるじゃないの!タラントもタイラントアントも数十匹倒してるし!何が敵情視察よ!こんなのただの先鋒隊よ!」
「違う。たまたま敵情視察していたら、たまたま敵戦力に遭遇して、たまたま戦闘になっただけであって……」
「そんなたまたまあるかい!」
大阪の血でも流れているのだろうか、このお姫様は。
ツッコミのキレが良すぎてつい、茶化してしまう。
「まぁでも、押し返したみたいだし。それに無理はしないよ」
「何がよ?」
「そろそろ、向こうのホームグラウンドだろう?」
空を見上げると、イリスも釣られて見上げる。
青い晴天が、オレンジ色になりつつある。
黄昏時。誰そ彼時。人の顔が識別できず、「貴方は誰?」と、人々が尋ね始める時。顔が識別できないからこそ、知人を名乗り、吸血鬼が屋内に侵入しやすい時刻。
ここから先は、彼らの時間だ。
「光魔法の心得はある。でも、教会のエキスパートほどでもない。餅は餅屋だ。ここから先はテラ教会の人々に任せよう」
「あんた馬鹿だけど、徹頭徹尾馬鹿じゃないから助かるわ」
「ありがとう。……あれ?」
褒められた? 今、褒められたよな? 褒められたな。よし、褒められたということにしておこう。
「そういうわけですわ」
静謐な声が横から流れてきた。
しかし、その声の持ち主は頑強なシックスパックの持ち主である。その筋肉でそんな声は出んやろ。普通。
ファナだ。
後ろには、多くの
事が事なので、ファナも教会の意向に素直に従ったということなのだろう。
「ここから先はわたくし達に任せてくださいまし」
彼女の目が爛々と輝いている。
反比例して、後ろの神父や修道女達は目が死んでいる。
夜に備えて休むはずだったのが、昼間から駆り出されたのだ。そして吸血鬼達との夜戦である。コンディションは最悪。その上、聖女様のお守りである。彼らは今から、いかに聖女様が市街地を破壊せずに戦わせるかコントロールしなければならない。
頼れる仲間は皆、目が死んでいる。
が、頑張れ。
彼女のパーティーのリーダーではあるが、他人事のように心中で応援する。
「よろしく頼む」
「えぇ、わたくしの活躍をご覧になさってくださいまし。惚れなおしたら、戦の後に子作りでもいかが?」
「まず一回も惚れてねぇ」
ファナが笑顔を返す。
体は某機動戦士みたいに屈強なのに、首から上は可憐なんだよなぁ。
「ファナ」
「何ですの?」
「死なないでくれよ」
「わたくしが死にそうになったら、助けてくださいますの?」
「当たり前だろ」
にまぁ、と彼女の口角が上がる。
何だその猛禽類のような笑顔。攻撃性が高すぎる。どう見ても王子様に救われるヒロインみたいな顔じゃない。
「安心してくださいな。わたくしは強いですわ」
「知ってる」
教会の面子を引き連れ、彼女が防壁へと向かう。
夜には、教会のバックアップのために予備の傭兵や冒険者も投入されるはずだ。上手くいくといいけども。
「ねぇ、フィル」
「何だ?」
「モチって何?」
「あ〜」
返答に困った。
まずイリスはお米も食べたことないもんな。
「ハポンの主食を潰して固めた食べ物さ」
横からトウツが言う。
「へぇ」
「毎年お年寄りが喉に詰まらせて130人くらいは死んでるというね」
「何それ。そんなもの食べてるなんて、ハポン人は馬鹿なの?」
何も言えねぇ。
でも美味しいのよ。
「戦場に似つかわしくない、平和な会話だね」
渋い声が聞こえた。
聴き慣れた、落ち着く声だ。
「ウォバルさん!」
「やぁ」
紳士然とした、テンガロンハットの冒険者が現れた。アルシノラス村の常駐冒険者、ウォバルさんだ。後ろにはゴンザさんとフィンサー先生もいる。
フィンサー先生は珍しく、手斧を既に持っている。
思えば、この人が臨戦態勢でいるのをほとんど見たことないんだよなぁ。
「今から戦闘に?」
「夜のアンデッドとの戦闘経験がある冒険者や傭兵は限られていてね。こんな老骨にもお鉢が回ってきたのさ」
ウォバルさんが爽やかに肩をすくめる。
所作がいちいち綺麗なおじさんである。
「馬鹿いうでねぇ!俺たちゃまだまだ現役よ!」
後ろからゴンザさんが叫ぶ。
「近いんだから、叫ぶ必要ないって」
フィンサーさんが呆れて言う。
「でも、ウォバルさん達は光魔法を使えませんよね? どうするんですか?」
「教会の人に即席の
「なるほど」
敵の数に対して、明らかに退魔師不足だ。
それならば、別の方法で戦力を増やすしかない。合理的である。
ただし、教会の人間は過労で倒れるだろう。
戦いが終わったら、教会は国にお金をたかっても許されるんじゃないかなぁ。戒律違反ではあるけども。
「ほらほら。子どもは帰る時間だ。もっとも、君は普通の子どもではないがね」
「いえいえ。ただの子どもですよ。大人しく帰らせていただきます」
「ただの子ども」と言ったタイミングで、全員が顰めっ面をした。何だその反応。
「久々の戦場だ。血が騒ぐわい」
「ドワーフは血の気が多すぎて困りますね。私は嫁と平穏に学校運営だけしていたいんですが」
「何を言う!戦いこそ男の本懐よ!」
「原始的ですね。もっと文化的に生きましょうよ」
「そこに刺激はあるんか!」
「戦いでしか刺激を得られないなんて、つまらない人生ですね」
「うっさいわ阿呆!こちとらやりたくないギルドマスターやらされてんだ!少しくらいは暴れさせろ!」
ゴンザさんとフィンサー先生が軽口を叩き合う。冒険者特有の、戦い前のトラッシュトークだ。
ゴンザさんがギルドマスターと言った瞬間、俺をチラリと見た。
おい。リタイアする時に俺に押し付けようとか考えてるんじゃないだろうな?
「相変わらず元気なおじさん達だったねぇ」
「あぁ、愉快な人たちだ」
戦場へ軽快な足取りで行くベテラン達を眺めながら、トウツとのほほんと話す。
「何言ってるのよ。はたから見れば、あんたたちのパーティーもあんな感じよ」
「え、そうなの? 嘘だろう?」
「まさかぁ。僕たちはまだもうちょっと落ち着いてるよ」
「あんた達、本気で言ってるの?」
え、俺たちあんな感じなの?
まさかぁ。
「夜戦に入るぞ!日中戦い続けた冒険者は後退だ!」
「やっとかよクソ!」
騎士の号令に、冒険者や傭兵たちが退却していく。
「ライオさんは!?」
「俺は……無理でしょ」
ライオが針の城を眺める。
今もなお、ボウ・ボーゲンとソム・フレッチャーの狙撃は断続的に続いている。
あの二人と撃ち合うことができる射手は、ライオを含めて上級冒険者でも限られてくる。換えが効かないのだ。
「南西のエルフとこっちで、向こうの注意を分散できているから死者がこの程度で済んでいる。この状況を打開しない限り、休むのは難しいよな」
「でも!」
「心配すんな。竜種と持久戦した時は、2〜3日寝ずに戦ったこともある」
ライオが手をひらひらと振る。
「…………」
ガツンと、大楯を地面に突き刺し、ライオを取り囲む。
「お前ら」
「あんたはここの守りの要になりつつあります。ならば、それを守るのが俺たちの仕事です。違いますか?」
「違いねぇな。お前さん、自分のこと臆病とかのたまってるが、絶対そうじゃねぇだろ」
ライオがニヤリと笑う。
シャーフが不器用な笑みを返した。
「これを使ってください!」
そこへ若い騎士が大楯を担いでやってきた。
「これは……スミスさんの作品じゃねぇか!俺たちじゃ逆立ちしても買えないやつじゃねぇか!」
「メレクレフ殿下の命です!相応しいものに使わせよと!」
それを聞き、羊重歩兵団達が受け取り装備していく。
「すまねぇな!使わせてもらうぜ!」
「はい!」
若い騎士は脱兎の如く走り、持ち場へ帰っていく。
入れ違いに、教会の神父が現れた。
ラクタリン神父だ。
「あんたは……安全な場所で指揮を執りそうだと思ってたんだがな」
「口を慎め赤髪の冒険者。貴様達を助けに来たのではない。私の武勲を上げるためにきたのだ。大司教になるための実績作りのためにな。つまりは貴様のバッグアップだ。黙って矢を寄越せ。退魔の付与魔法をかけてやる。何。礼は後日に教会のお布施に入れておけ。どうした? 早くしろ」
ポカンと口を開けるその場の冒険者たちに、ラクタリン神父が罵声を浴びせるように指示を始めるのだった。
「ちっ。やっと退却かよ」
ルーグは遊軍として防壁を駆け回っていた。
パーティーを組んでいる冒険者や、隊列を組む騎士達は基本的に持ち場を離れることが出来ない。陣形を壊すことが、仲間の死に直結することがあるからだ。
対して、ソロ冒険者のルーグや傭兵たちは戦場を自由に動くことができる。傭兵達は報酬のために効率よく敵を倒すことができるし、安全な戦場を選び戦うこともできる。
だが、ルーグは違う。
危険な場所を優先してカバーする動きをしていた。
パーティーを組んでいた時は絶対にしなかった動きである。
「
接敵したタイラントアントの前足を拳で叩き折る。
「ギギギ!」
バランスを崩すが、残る5本の足で器用に動き、タイラントアントが突撃してくる。
「足がねぇから
タイラントアントの頭突きをかわし、ルーグが頭上にひらりと乗る。
「
触覚を握り、焼き潰す。
感覚器官を潰されたタイラントアントが前後不覚に陥り、バタバタと暴れる。
「ザマァねぇな。爆散掌底」
手足を丁寧に一本ずつ焼ききり、最後に胴体を破壊する。本来はパーティーで取り囲んで倒すのを推奨されている魔物だが、ルーグは一人でやってのける。
「クソ。ノイタと馬鹿弟子がいたらまだ楽なんだがな」
ルーグが悪態をつく。
ぞわりと、髪が逆立った。
この感覚は以前も感じたことがある。
パーティーメンバー全員を失った、あの時の感覚。
絶望。死への予感。圧倒的な強者の存在感。
ゆっくりと、振り向く。
それは防壁の縁に、細長い尖った足を引っ掛けていた。続いて、白魚のような白い女性の手が縁を掴む。
幽鬼のような青白い女性の顔が出てくる。
もちろん、人の女性の顔ではない。
肩、腹、そして人ではない胴体が持ち上がった。
その胴体は人間ではなく、虫型の異形であった。
アラクネ・マザー。
かつて彼のパーティーメンバーを全滅させた魔物である。
慌てて周囲を確認するが、もう他の冒険者や傭兵は撤退している。
単独行動が仇となったのだ。
夜戦の戦力がここへ来るには、もう少し時間がかかる。
逃げてもいいが、そうなった時、防壁の真下の補給部隊が打撃を受けることになる。
「はは、最高だな。クソが」
ルーグの顔が歪んだ。
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