第308話 魔軍交戦5

 窓枠に穴が穿たれて、矢が壁に突き刺さった。


 元勇者パーティーのソムとボウは、ダーツのように突き刺さったそれを一瞥し、すぐに警戒体制に戻る。

 先ほどまで一方的に矢を放てるはずだったここは、もはや安全な場所ではない。


「おかしい。こちらの方が高度は上のはずだ。何故やつらの矢が届く?」

「落ち着け、ボウ。相手は数百年単位で森で弓引いてる連中だ。二十年そこらの俺たちなんて、後輩もいい所だろ」

「分かってるさ」


 ボウがそう呟きながら弓を引く。

 ソムの弓が精度と多芸さに秀でているのに反して、ボウのそれは剛力。説明はそれに尽きる。

 リーダーであるルークのポテンシャルを最大限に引き出そうと、異なるタイプの射手をエクセレイは準備していたのだ。

 もっとも、そこまで考えて魔王はこの2人を「作った」と言える。

 出来るだけ多くの種類の人間を作っておけば、誰かしらが国の中枢に絡むだろうとの目論見だ。そしてそれはコーマイを始め、ほとんどの国で成功している。


「やることは変わらない。エルフの射出は撃ち返しても確実に対処される。赤髪の射手を集中して攻撃し、疲弊させる。幸いあそこには、あの方が向かっている」

「分かった」

「エルフ側の攻撃は俺が観測役をする。お前は赤髪を」

「任せろ」


 2人の会話は事務的を越えて機械的にすら聞こえる。それほどに抑揚がない。ルークやキサラが見れば、「変な薬でも飲んだのか」と言いたくなるほど異様な光景である。

 そのくらい、勇者パーティーは軽口を言い合える関係であった。


 とはいえ、彼らの本当の姿はこちらである。そう育ってきた。そう作られてきた。


「森の住民め。大人しく森に引きこもっていればいいものを」


 無機質な声で呟きつつ、ボウが羽を握った。







「攻撃が止んだ!」

「よっしゃ、今のうちだ!」


 騎士や冒険者たちが前に乗り出して魔物への対処にあたる。

 先ほどまではソムとボウの攻撃を警戒して防壁に隠れていたのだ。

 既に数十匹のタラントの侵入を許している。防壁下の連中は今頃大慌てで毒蜘蛛を討伐していることだろう。


「南西の防衛にエルフがいてくれて助かった。通したのはタラントだけで済んだな」

「死ぬかと思った……。盾が1つ駄目になりましたよ」

「逆にすげぇよ。やっこさんの矢一本の方が多分、あんたらの盾1つよりも高い素材だろうからな」

「へぇー。勇者パーティーってのはブルジョアなんすね」

「元、な」


 ライオがシャーフの言葉に付け加える。


「お二人とも、のんびりできる時間は一瞬だったみたいよ!」

 斥候の狐娘が叫ぶ。


 見ると針の城の方角から、ゴブリンライダーよりも足の速い集団がこちらへと向かってきていた。

 倒立したネズミのような魔物達だ。


「げ。オモナゾベーム」

「またあいつらかよ!」

「いやぁー!もうネズミは嫌!」


 羊重歩兵団と狩猟せし雌犬達が悲鳴をあげる。


「アリだー!」

 斥候の騎士が叫ぶ。


「アリって何だよ!……蟻だな」

「蟻ね」

「タイラントアント。南の熱帯雨林地帯にしかいない魔物だぞ……」


 黒い波が押し寄せてきていた。

 その波はオモナゾベームよりもゆっくりだが、着実にこちらへ近づいてきている。

 黄土色の大地がどんどん黒に埋め尽くされていく。

 騎士達が、メットの中で歯をガチガチと鳴らす。


「タラントだけじゃない。オモナゾベームもタイラントアントも防壁を登ることができる。まずいな」

「火力が必要だ」

「魔法使いか?」

「温存するって話だろう」

「今死ぬか、後死ぬかだな」


 ライオがちらりと見ると、騎士が信号魔法を放っているのが見える。


「お上の判断に任せるようだ。俺たちはゴブリンとネズミを出来るだけ減らそう。幸い、まとはいくらでもあるぞ」

「了解!」

「ラジャ!」

「任せてくださいよ」


 その場の人間が一斉に動き出した。






「あの夫妻は大丈夫かしら」


 エイブリーが爪を噛む。


「念のため、私の部下を数名向かわせています」

「ありがとう」


 背後から耳打ちしたイアンに、エイブリーがうなずく。


「カイムさんとレイアさんは、大きな枠ぐりだと客人なのよね。積極的に戦ってほしくはなかったわ。助力を乞うにしても、防壁を突破された場合に限るつもりだったのに」

「失礼ながら申し上げます。同じ立場であれば、私もそうしたでしょう」

「あら、私の護衛も放り投げて?」

「それは有り得ませぬ」

「本当に?」

「家内も子ども達も、私がどういう人間なのか知っています。私がそういう判断しても、納得するでしょう。それが理解なのか諦めなのか、判断はしかねますが」

「ふふ。ありがとうね」


 伝令が入った。

 北西防壁より、大量のタイラントアントを視認。一万はくだらない数だと。


「火魔法の部隊を前へ」


 即座にエイブリーが判断する。


「魔力を温存するのでは!?」

「本作戦の初志から逸脱することになる!」

 数名の王族が声を荒げる。


「魔力の浪費はやむを得ません。一番最悪なのは戦いの序盤で民の戦意を失わせることです。彼らの要求を突っぱねたところで、拒否された理由を全ての兵士が理解できるわけではない。前線で戦う者達には、自分たちのトップは自分たちを使い捨てにする連中ではないと、確信してもらわなければなりません。特に彼らは一万のタイラントアントの軍勢を直接視認している。判断の早い傭兵などは、ここで援護をしなければ戦線から逃げ出すでしょうね」


 一呼吸で捲し立てた後、エイブリーがメレフレクス王をちらと見る。

 王が無言でうなずく。


「決まりね。火魔法の班を北西に30配備。南西の方にも念のために10送ってちょうだい」

「承知しました」


 騎士が転げるように伝令へとんでいった。







「来たわね」


 仁王立ちして、アルク・アルコが呟いた。

 眼下にはディザ川。

 エクセレイに恵と共に、自然災害をもたらしてきた運河である。もっとも、災害に関してはマギサ・ストレガが整備してからはほとんど起きていないが。


 ディザ川には大量の魚影が映っていた。

 否、魚影だけではない。甲殻類やクラーケン、十数メートルもあるような蛇のような影も見える。


「海水に住んでるやつもいるじゃないの。ここ淡水なんだけど。魔王っていうのは生態系そのものも変えることができるの?」


 そんなの、魔王どころではなく神じゃないの。

 という言葉をアルクは飲み込む。

 川近くは教会が大量に隣接しているので、口を滑らせるのは厳禁だ。


 教会が川の近くに多いのは、古くからのエクセレイの知恵である。巨大なディザ川は恵みと共に、災害と水生の魔物を多く運んできた。生きるためには水が必要だが、同時に怪我人や死人も多く生み出してきた。

 そのため、治癒出来る人員の多い教会が川に隣接することになる。


 ここエクセレイは飲み水のほとんどをディザ川に依存していることも一つの理由である。

 運河に呪いや毒を放り込まれたら、都市機能が一網打尽になるからである。

 隻腕のルーグが哨戒していた修道女シスターに救われたのも、ノイタが蒔いた毒をすぐ浄化できたのも、この教会の配置によるところが大きい。


「アルク様……」


 隣にいる雷撃隊の騎士、グラーツ・ブリラントがアルクへ判断を促す。

 とてつもない勢いで魔物達が接近しているからだ。シーサーペントの顔が水上に現れ、川岸の防壁をクラーケンの足が破壊し始めている。


「まだよ。まだ待つの。あんた達の魔法は強力だけど、燃費が悪いからね。出来るだけ引き付けて叩くわ。というか貴方、雷撃隊に選ばれるくらいだから、エリートなんでしょう? もう少ししゃんとなさい。どこの家よ?」

「一応、ブリラント家の長男です」

「ブリラント家の? そりゃすごい。というか何で前線にいるのよ。かなり位の高い貴族じゃないの。騎士にならずに顎で命令できるご身分じゃない」

「少し、影響を受けた人がいまして。貴女と同じ小人族なんですけども」

「へぇ」


 アルクは、何となくその小人族が誰なのかは察したが、口には出さない。


 眼前ではクラーケンが巨大な眼玉をギョロギョロとさせて水面に上がってきている。


「頃合いね。雷撃隊、前へ」

「「「はっ」」」


 騎士達が前へ出る。

 グラーツ・ブリラントは先ほどの不安そうな顔とはうってかわり、精悍な表情を浮かべて前へ出る。

 兵隊が心を乱さずに戦うことが出来るのは、愛する者を守るだとか、国を守るだとか、そんな大層な理由ではない。

 命令されるからである。

 戦いは一歩間違えば死ぬ。それは巨大なストレスを人間に与えるものである。そのため、行動原理をシンプルにすることでストレスを和らげるのだ。それが命令である。軍人が縦社会なのはそういうことである。


「撃て」


 アルクの号令で、雷撃音がさく裂する。

 閃光が瞬き、遅れて轟音と水が飛び散る。川岸の防壁がはじけ飛ぶ。

 複数の魔法使いによる合併魔法とはいえ、アルクでもこれは防げない。


「シャティちゃんにレンタルしたけど、えげつない部隊ね。これ」


 アルクの眉が歪な形を作り出す。

 称賛しつつ、嫉妬しているのだ。シャティ・オスカという魔法使いに。

 魔法使いである彼女は、当然魔法使いの頂点である宮廷魔導士を目指している。シャティは積極的に喧伝すればすぐにその椅子に座ることができるだろう。

 この威力を見れば、それを確信できる。


「えげつないけど、流石に対策はしているみたいね」


 大量の魔物達が身体を焼いて絶命する中、数体の魔物が水から這い出てくる。


 シーサーペント、クラーケン、そして雷に耐性のある巨大雷鯰ジガンテイカヅチシルーロ


「アルク様」

「慌てないの。魔力を回復しなさい。そのために、私がここにいるんだから」


 アルクが身の丈以上の杖を振るい、可愛らしくウィンクした。

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