第304話 魔軍交戦

「始まるわ」


 瞳孔を見開いたタヴラヴが呟いた。

 黒い三角の狐耳がピンと伸び、毛を逆立てている。

 その瞳の奥には、地平線の向こうにある針の城が映っていた。

 地を歩く先兵達は、既に見えている。

 おびただしい数の魔女の帽子ウィッチハット、ゴブリン、コボルト。数は劣るが、ケンタウロスもちらほら見える。それらはオークやオーガなどの大型魔物を取り囲むような陣形で進んでくる。蜘蛛型の魔物タラントがカサカサと地を這い、オークやオーガの足元をすり抜けていく。

 城の周りには巨大な投石器がある。

 スプーンのような受け皿が、斜めに揺れながらオーク達に運ばれている。

 例の鉄の竜、航空戦力は見えない。

 おそらく、まだ城の中に収納されているのだろう。


「例のゴーレム戦力抜きであの数か。うへぇ、ゴブリンだけで万は余裕でいるんじゃねぇの?」

 クバオが顔を顰めている。


「おまけに嫌な知らせだ。倒立するねずみオモナゾベームもいるぞ」

「マジかよリーダー!」

 ナミルの報告にクバオが声を荒げる。


「十中八九、あの魔物達も魔王の先兵だったようね」

「ねずみ型の魔物は繁殖が早い。ゴブリンは他の種族、つまり俺たちにんげんがいなけりゃ繁殖はできない。雑食な分、ねずみどもの方が厄介だな。そうか、あいつらはコーマイでいう魔暴食飛蝗グラグラスホッパーの役回りだったんだな」

「マジかよ。じゃあ俺たち知らないうちに国救ってたのかよ!」

「そうなるな」

「エイブリー姫は、ねずみは疫病も運びやすいからと言っていたな」

「何だそれ。悪魔かよ」

「魔王だよ」

「知ってるわ!」

「おいおい。A級冒険者は余裕だなぁ」


 戦士めいた木こりファンテランバージャックスのリーダー、ウッカが会話に加わる。


「余裕なんてあるわけないじゃない!」

「お家帰りたい!」

「スイーツ食べたい!」

「リーダー!逃げるタイミングだけは間違えとんてくださいよ!」


 狩猟せし雌犬カッチャカーニャのメンバーが口々に不満を言う。


「おい。あんたんとこのメンバー、戦場に来てる自覚あんのか?」

「緊張してるよりましよ」

 ウッカの問いに、タヴラヴが肩をすくめて応える。


「リーダーはいいですよーだ!」

「こないだナミルさんと結婚したくせに!」

「抜け駆け!」

「イケメンを平等に分配しろ!」

「年増!」

「今年増って言ったの誰よ!」

「「「キャー!」」」


 散り散りに逃げる狐獣人たちを、ウッカが呆れた顔で見る。


「そういや、羊どもはどこだ? ねずみ退治の面子が久々に集まると思ったのによ」

羊重歩兵団ムートンホプロンの連中は、防御力を買われて特殊任務だ。やっぱ一能突出の人間は仕事にありつきやすくて羨ましいね」

 クバオが笑いながら答える。


「そうか。俺、あの時のレイド討伐メンバー、けっこう好きなんだよなぁ」

「そりゃ、俺も同じよ」

「私もー!」


 ウッカとクバオの会話に狐娘達も混ざってくる。

 その場にいる者達の脳裏には、小人の少年が同時に思い浮かんでいる。彼もこの戦場のどこかにいるはずだ。

 ストレガの名を引き継いでいるのだ。おそらく、活躍するに違いない。


「後は、アラクネマザーもどこかにいるはずよ。ルーグが警戒しろって言ってたわ。この壁を最初に突破するとしたら、アラクネかタラントだもの」

「南に蜘蛛型の魔物が繁殖してたのは、この日のためだろうってのは我らが姫殿下の予想だったっけか」

「糸を張られるのを警戒しろよ。ロープとして使われてゴブリンが大量に入ってきたら敵わねぇ」

「そのために火魔法の使い手を壁警護に等間隔で配置してる」

「蜘蛛の糸を焼き払う担当ってわけね」

「マジで? 第二王女様様だな」

「うへぇ、レッドキャップもわんさかいるぜ。俺らじゃ対処出来ねぇ。A級に任せてトンズラしようぜ」

「ちょい待てや。そのA級って、俺らのことじゃねぇの!?」

「待って。嫌なものを見つけたわ」


 タヴラヴの言葉に、周囲の冒険者が一斉に静まり返る。

 彼女の声のテンションが張り詰めていたからだ。狩猟せし雌犬の面々は、今や都で誰も疑うものがいないほどの索敵能力を誇っているのだ。

 そのリーダーが警戒信号を出した。

 これを無視することは、死を意味する。

 冒険者たちはそれをよくわかっていた。

 ここら辺の意識の共有も、エイブリーが冒険者達を遊軍として扱っている理由である。軍人のようにシステマティックに操るよりも、自由裁量に任せた方が結果を出すと思ったのだ。


「やっぱり。本物は見たことなかったけど、特徴が一致する。ラクスギルドマスターに、頭に叩き込まれたのよ。伝承に残っている魔王が引き連れていた魔物うち二体。それがいるわ」

「なんてやつだ?」

「片方はベヒーモス」

「実在したのかよ」


 目のいい獣人の冒険者達が集中して針の城の真下を眺める。そこには鎧のように頑強な頭蓋をした四足歩行の魔物がいた。サイのような一本角。象のような巨大な二本の牙。頑強で太い足が、一歩進むたびに小さなクレーターを作っている。


「この距離で目視できるのはおかしいだろ……」

「伝説になるわけだぜ。スケールが違いすぎる」

「もう負けたんじゃね?」

「無理だ、無理無理。かいさーん。勇者様に任せようぜ」

「それでも……それでもルーク・ルークソーンならやってくれる!」

「うおー!ルーク!」

「「「ルーク!ルーク!ルーク!」」」




「へっくし!」

「どうしたのよ?」


 くしゃみをするルークに、キサラ・ヒタールが尋ねる。


「いや、なんか肌寒くて」

「何言ってるのよ。今日は快晴じゃないの」

「誰かが僕の噂したのかなぁ」

「貴方、ほぼ毎日噂される立場でしょうに」

 キサラが呆れて言う。


「おーい、私はそろそろ持ち場につくわね!」

「わかった〜」

「アルク、ポーションは持ったかい? ロッドの調整は? 昨日はちゃんと眠れた? 南の迎撃ちの集合時間はまだだから、もう少しここで休んでから行ってもいいと思うけど」

「お前は私のおかんか!」

 アルクがルークの顎をロッドで小突く。


 普人族と小人族ハーフリングだから、どうしてもアッパー気味に入ってしまう。ルークが顎を痛そうにさする。

 でも、アルクは知っている。

 痛そうにするだけで、いつもルークは絶妙にかわしているのだ。


「南は私に安心して任せなさい!あんた達は中央をちゃんと守るの。人数が減っても、私たちは勇者パーティー。この国の希望なんだから」

「わかってるよ」

「「本当に〜?」」

「2人とも、僕に厳しくない?」


 昔は、ボウやソムが女性陣を宥めてくれていた。

 でも、彼らは今パーティーにいない。あの針の城にいるのだ。

 ルークは複雑な顔で敵の城を眺める。


「最初から裏切るつもりだったんだろうけど、僕らとの絆って、そんなに簡単に切れるものだったのかな。教えて欲しいものだね。ソム、ボウ」

 ルークがつぶやく。


「言っておくけど、貴方に与えられた役割は、あの裏切り者2人を倒すことじゃないわ」

 キサラがルークの手首を強く握る。


「わかってるよ」

「私がまだいるのに、いちゃつかないで」

「そ、そうだったかい!?」

「ごめんなさい」

 ルークとキサラがパッと離れる。


 アルクとしては気まずい問題である。勇者パーティーとして冒険していた時、少なからずルークへ好意を寄せていた時期もあるからだ。


「ふん。まぁ、いいわ。この戦争は絶対勝つ。そして、最も活躍した小人族は私だって証明するんだからー!」


 そう叫びながら、アルク・アルコは騎士達と共に南の防衛ラインへと向かった。


「あの子、まだフィル・ストレガのことを目の敵にしているのね」

「いいことだと思うよ。ライバルがいることは。ここ数年で、僕たちのライベルと言えるパーティーは本当に増えた。まるで、この戦争に勝つ前準備かのようにね」

「そうだといいけど」

「楽観主義は危険だけど、必要以上にナーバスになるよりかはいいよ。キサラも、いつも通り僕をバックアップしておくれよ」

「わかってるわ。ふふ」

「どうしたんだい?」

「懐かしいと、思ったの。最初は私と貴方、2人だけのパーティーだったから」

「そうだね。僕も懐かしいよ。2人組での連携、忘れたわけじゃないだろう?」

「もちろんよ。私を誰だと思ってるの?」

「僕が世界で一番見知った女性さ」

 そう言い、ルークが手をキサラへ差し伸べる。


 2人は、行き先が戦地とは思えないような軽やかな足取りで歩き出した。




「で、もう一体ってどれよ?」

「あれね」


 クバオの問いに、タヴラヴが指を指して返事とする。


「おいおい。普人族の俺には見えねぇよ。誰か実況してくれ」

 ウッカがつぶやく。


「ドラゴン、ですかね? でも足取りが弱々しい。老龍ですかね?」

 若い黒豹族の男が答える。


「老龍なんてものじゃないわ。というか、竜ですらない。俯く者カトブレパスよ」

「マジで言ってんのか、姐さん」

「そりゃないぜ」

「死んだな」

「この世の終わりだ」


 俯く者カトブレパス。名前の通り、長い首を地面に擦り付けるように項垂れた姿勢で歩く魔物である。首の長い水牛のような姿をしている。頭髪が長く、表情が隠れているのが不気味である。表情を隠す毛が太く頑強で、竜の鱗にすら見える。俯いているのは、頭に強力な能力が備わっているからである。その力を内包するためには、どうしても頭部の体積を増やさなければならないとは、もっぱらの魔物学の学説である。

 とはいっても伝説の魔物であり、実際に検証した者はいないのであくまでも空論であるが。


 その頭部に宿している能力とは、石化能力である。

 フィル・ストレガが使い魔にしている瑠璃がかつて持っていた能力である。その素材であるバジリスクも、伝説級の魔物であり、再び出会うのは困難とされている。

 俯くカトブレパスが頭髪で目玉を見せないのはそういうことである。


「あんなでかい水牛がいるなんて発想がないからな。ドラゴンに見えるのも仕方ないだろうよ」

「あれも勇者に任せるか?」

「いや、いくらルークでも難しいだろうよ。あの人はなんだかんだで近接専門だ。遠距離攻撃ができるやつじゃないと、近づいた時点で石化されちまう」

「じゃあ、誰が倒すんだよ」

「わからん。雷撃隊のシャティ・オスカか。はたまたマギサ・ストレガか。もしくは」

「フィル・ストレガ?」

「それは最高にイカした回答だな」


 クバオが豪快に笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る