第303話 戦前(いくさまえ)3

「師匠。ここにいたんですか」


 城壁の一角に腰掛ける師匠に、話しかけた。

 マギサ・ストレガ。

 今日こんにちの大戦が確定して以来、人前にはほとんど顔を出していない。

 だが、各地の小さな村々を救っていることは、まことしやかに噂されている。

 姿を表していないというのに、この国の人たちが盲信しているのだというのだから恐ろしいものである。同じストレガだというのに、この違いだ。


「何だい。少しは探知魔法が上手になったじゃないかい」

「わざと痕跡残したでしょう? 多分、魔力を直接見ることができる俺にしかわからないやつだ」

「ふん。深層に行ったのも無駄じゃなかったようだね」

「魔力の色を変える、カメレオンみたいな竜とかもいましたもので」

「そいつは、わたしゃ知らないやつだね。今度教えな」

「師匠なら生捕できますよ」

「ふん」


 師匠の魔力の色が変わる。かと思えば、今度は無色になる。

 ……なんだ。できるんじゃないか。これなら俺でも探すことは困難だ。


 石畳の上だというのに、師匠は喫茶店のオープンテラスにでもいるかのように寛いでいる。隣にはナハト。そしてジェンド。それぞれ羽と横腹を毛繕いしている。


「お前、イリスの護衛はいいのか?」

「にゃん」

「その『にゃん』は問題ないの『にゃん』だな」


 まぁ、最近のイリスとクレアへの護衛は過剰なまでに堅牢だ。メイラさんもいるし、大丈夫だろう。

 俺はジェンドの隣であぐらをかく。両足の隙間にジェンドがするりと入り込む。


「師匠。何で軍議に出なかったんですか。王宮は面倒だったんでしょうけど、せめてギルドの方くらい出ても良かったのでは?」

「あいつらは私を扱えんだろう」

「何ですか。その困る回答」


 エイブリー姫なら、うまく扱うと思うけどなぁ。

 というか、ハポンの御庭番の人たちといい、遊軍が多すぎるな。うちの軍。


「馬鹿弟子」

「何ですか? 糞師匠。いってぇ!」


 尻の下の石畳が針に変形して刺さる。

 足の間でジェンドが跳ねる。


「この世界をどう思うかい?」


 えぇ。会話続けるのかよ。


「どう思うと言われましても。というか、いいんですか? それって、俺のいた世界とここを比較するということですよね? 向こうのこと、こっちの人は知らない方がいいんですよね?」

「ルアークから、あらかた聞いたようだね」

「何故か長老を押し付けられそうになりました」

「あやつは慎重そうに見えて、時々馬鹿に見えるね」

「エルフの長老捕まえて馬鹿って……」


 まぁ、俺にそんな大役を任せようとすることを考えると、確かに馬鹿なのかもしれない。

 脳裏に知的なルアーク長老の顔が思い浮かぶ。ううむ。ビジュアルが全く馬鹿に見えないから困る。


「で、どうだい? この世界は?」

「そうですね。好きです。端的にいえば」

「どういったところが?」

「シンプルなところ」

「シンプルとは、何だい?」

「生きればいい。ただ、生きているだけで幸せなんです。それがたまらなく、居心地がいい」

「お前の世界は生きることが息苦しかったのかい?」

「さぁ、どうでしょう。多分、俺さえ変われば向こうの世界でも幸せになれたんだと思います。いや、違うかな。幸せなのに、それに気づけてなかったんだと思います」

「そうかい」

「だから、ありがとうございます」

「……何がだい?」

「俺をこの世界で、最初に幸せに導いてくれたのはルビーと師匠なんです。だから、ありがとう。師匠。俺を弟子にしてくれて」

「ふん」


 すっと師匠が立ち上がる。

 肩に乗るナハトの体積が膨れ上がっていく。ジェンドが俺の足の上から離れて師匠の反対の肩へ乗る。


「どこに行くんですか?」

「魔王」

「? 魔王、ですか?」

「あれは私が処理する。お前は黙って椅子にでも座って見てな」

「助かります。よろしくお願いします」

「…………」

「何でしょう?」

「普通、そこは自分が倒すと言うところだろうに」

「まさか。俺には荷が重すぎます」


 クレアさえ救えればそれでいい。

 現状、託宣夢では彼女が死ぬことになってしまっている。今回の戦いでは、それを避けることしか考えない。

 ルビー、トウツ、瑠璃、フェリ、ファナ。レイアにカイム。エイブリー姫。イリス、アル、ロス。王宮のみんな。学園のみんな。コヨウ村のエルフたち。冒険者のみんな。

 人付き合いが苦手な俺でも、これだけ救いたい人たちができてしまった。

 それでも、クレアを第一に考えている。


 何故か?


 あの子の人生がねじ曲がったのは、きっと、俺が転生したからだ。双子でさえなければ。巫女の力を共有さえしなければ。

 助けたい人はたくさんいる。でも、義務として救わなければならないのは、きっとあの子だけだ。

 彼女の将来を、軌道修正する。

 それができて、初めて俺はこの世界に歓迎されるんだ。

 勝手にそう思っている。


 それだけで四苦八苦しているというのに、魔王を討伐しろだって?

 そこに手を出したら、指の隙間から砂のようにクレアがこぼれ落ちる。そんな気がしてならないのだ。今はクレアだ。それしか考えない。初志をそれてはならない。


「ふん。まぁ、いいさね。お前は自分の戦いをすればいいさ」

「師匠は」

「……何だい」

「師匠は、なぜ戦うんです?」

「お前と同じさね」

「同じ?」

「生きてるだけで、人ってのは上等なのさ。今以上幸せになるのは、死んでから考えればいい」

「死んだ人は、みんな幸せなんですかね」

「当たり前さね。魔法の研究を二度と邪魔されない」

「はは」


 師匠は相変わらずだ。

 その変化のなさが、心地いい。


「あの世で会ったら、一緒に魔法の研究しましょうよ。師匠」

「丁度いい。エルフの実験体モルモットが欲しかったんだ」

「おい。合法の研究だろうな? 糞婆ぁ」


 師匠の背中から、黒く艶やかな翼が生える。

 すごい融合率シンクロだ。俺がナハトと混ざった時は、こんなに綺麗に体が融合していなかった。

 あっという間に飛び立ち、どこかへと消えていく。

 準備があるのだろう。戦いへの


「あのお婆さん、変わらないなぁ」


 一陣の風が、下から吹き上がる。肌寒い。

 地平線では、夕日が落ちかけていた。


「帰ろうか」


 みんなが待つところへ。

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