第302話 戦前(いくさまえ)2

「報告には聞いていたけど、たっけぇな」


 雲にも届きそうな、黄土色の針のような城。

 土ぼけた針が、青空を真っ二つに分けて進んでくる。

 英語圏では、摩天楼のことをスカイスクレイパーと言うんだっけか。直訳すると、空を割く物。

 洒落た言い回しだが、あの建造物にはぴったりな呼称と言えるだろう。まさに、視覚的に空を割りながらこちらへ進んでくる。

 スケール感が大きすぎて、近づいているようには見えない。騙し絵のような光景だ。目視できる敵影も同様。魔女の帽子ウィッチハットと魔物の軍勢。それが城下の大地を真っ黒に埋め尽くしながら接近してくる。その行軍が砂埃をあげていることで、あの城が確実へこちらへと向かっているのだと実感できる。


「報告には聞いてましたけど、改めて見ると意味がわからない規模ですね。あんな軍勢、今までどうやって隠してたんだか」

「だからこそ、魔物とゾンビが主戦力なんだろうね。ゾンビは食料を必要としないから、地下に保存するだけでいい。魔物は普段、群生地に置いておけば野生と思われる。魔王とかいう奴は、史実以上に慎重だね。これじゃあ、敵に与している種族は吸血鬼や魔人族、獅子族だけでは効かないかも」

 隣にいるロットンさんがつぶやく。


「あれを最初に見た斥候の連中が泡吹きながら報告するわけだぜ。レギアの伝令が飲まず食わずでこの国まで走って報告するのも頷ける。ありゃ準備してなきゃどんな国でも沈むわな」

 冷や汗を流しながら、ライオさんが言う。


 胡座をかき、そこに弓を置いている。落ち着かないのか、弦をいじってテンションを確かめている。


「本当よ。行きた心地がしなかったわ」

「タヴラヴ君。そういえば、君のパーティーも斥候部隊にいたんだっけか」

「えぇ、いたわよ。今日ほど斥候を専門にしたことを後悔したことはないわ。あの城、気味が悪いわよ。監視しているのはこちらのはずなのに、逆に自分の周りに目玉が大量に浮いてるかのような錯覚すら覚えたわ」

「実際見られてたかもな」

「もう!やめてよ!」


 黒豹族のクバオさんが茶化すと、タヴラヴさんが怒る。


「何というか、すいません。俺も冒険者組と一緒に遊軍のつもりでいたんですが」

「構わないよ。君はストレガなんだから」


 俺が謝ると、ロットンさんは何でもないように笑う。


 そう、俺が率いる無彩色に来たる紅モノクロームアポイントレッドは、後方へ配置されたのだ。理由は戦意維持のためだ。俺はマギサ師匠から姓をもらっている。この姓を持つ以上、戦いの序盤で命を散らすことは許されない、のだそうだ。もしそうなったら、味方の戦意喪失は計り知れないものらしい。不思議な話である。俺はストレガではあるけど、マギサではないのに。

 それでも、ここオラシュタットで育った人々にとってこの姓はそれだけ強力な拠り所なのだ。


「あったり前よ!お前はまだ子どもなんだから、後ろでドーンと構えてればいいのよ!」

 クバオさんがガハハと笑う。


 相変わらず豹じゃなくて虎っぽい人だ。

 隣で、黒豹師団の人々や羊重歩兵団ムートンホプロン戦士めいた木こりファンテランバージャックスの面々も笑う。

 彼らはみんな、戦いに残ってくれた。都から逃げる一般市民の護衛依頼だってあったのに。口を揃えて「金のためだよ。国が依頼主だと太っ腹でいいね」と述べていた。

 でも、俺はそうは思っていない。


 腰を折り曲げて、俺は自分の持ち場へ移動しようとする。


「おい」


 意外な人に声をかけられた。

 ルーグさんだ。


「ルーグさん」

「見えてるか? 敵の城の真下だ」

 挨拶もなしに、ルーグさんは本題へ入る。


 必要なことしか話さない、この人の接し方は好きだ。

 シンプルで、やりやすい。


「歩兵部隊ですね。魔女の帽子ゾンビが多い。あと、オークやゴブリン。コボルトもいます。インプも。……アラクネもいる。多種多様だ。

「あの編成、見たことあんだろ」

「……もしかして、俺たちの初対面の時の?」

「そうだ。オークやオーガ、デカイのが主戦力だ。だが、奴らは大きいがゆえに数を増やすのも隠すのも一苦労だ。その上、まとがでかい。だからこそ、ゾンビや他の魔物が足元を守るよう編成されている」


 もう一度、魔眼に魔力を込めて遠視する。

 オーガの肩にはゴブリンメイジらしき影が見える。数体はレッドキャップにも見える。肩に乗ったやつが、魔法でオーガ達への攻撃を防ぐ役割だろう。


「今考えれば、俺たちがあの時接敵した魔物連中は実験個体だったんだろうな。レッドキャップオーガにゴブリンメイジ、アサシン、ファイター、アーチャー。まるで冒険者の編成のようだった。そして、母体が強力な上に繁殖力の高いアラクネ。あぁ、そうか。蜘蛛型の魔物を養殖したのは外壁をよじ登るためか。糞。手前の師匠が外壁にかけてる防衛魔法は優秀だが、物理的によじ登ることまでは対策してないよな」

「……そうですね」


 考えれば考えるほど、ピースが綺麗にはまっていく。

 腹が立つほどに。

 全ては、今日のためだったのだ。


「あれだけ用意周到な敵だ。俺が何を言いたいかわかるか?」

「……いえ」

「お前、いつも思うが頭いいのか馬鹿なのかわかんねぇな」

「すいません」


 俺の返答に、ルーグさんがため息をつく。義手から金属が擦れる音がする。


「この防壁は確実に突破される。それが前提だ。戦いが終わるころには、この防壁にいる冒険者どもはほとんど生き残っちゃいねぇ。間違いなくな。お前は後方だが、出撃することが前提にこの戦いは設計されている。あの第二王女様なら、そう考えてるだろうよ」

「……そう、ですよね」

「ふん。駄々をこねないだけ、大人になったな」


 そんなわけない。

 今すぐにでも駄々をこねたいくらいだ。俺が関わった全ての人に生き残ってほしい。願わくば、隣で共に戦いたい。

 でも。


「あんな軍勢見たら、全て俺の思い通りになるなんて、思えませんよ」

「…………」


 ルーグさんが、懐から何かを取り出す。

 それは瓶だった。空の、瓶。

 デザインを見ればわかる。シンプルで見た目を気にしない、師匠らしいデザインだ。中身さえ高品質であれば何も問題ないとばかりに、大量生産のことだけを考えて設計されてある。でも、見る人が見れば精度の高い金魔法で作られた瓶であることがわかる。

 あの日、俺がルーグさんに渡したものだ。


「俺はお前の駄々で生き残った。それは変わらねぇ」


 ルーグさんが俺の胸元にから瓶を叩きつけて、持ち場へ歩いていく。


「……元気付けてくれたのかな」

「十中八九そうだろ」

「うお、ロス」


 横からひょっこり現れた学友に驚く。


「お前こそ大丈夫なのかよ。外壁守衛なんて」

「さぁ、大丈夫じゃね?」

 飄々とロスが言う。


 そうなのだ。

 レギア兵は都の外壁防衛に配置されている。一番最初に接敵する危険な場所なのに、だ。ロスは父親と共に指揮に加わることになっている。

 ドラキン・ジグ・レギア皇。国が崩壊してもなお、民族の求心を失わない人物。

 一部の人間からは、エクセレイ国民と違ってレギア国民の方が捨て駒に使いやすいからだろうとの批判も上がっている。

 だが、得意魔法を考えると仕方ない布陣とも言える。

 敵の雑兵は大量の魔物とゾンビ。そのほとんどは疲れを知らないし、人間よりも死への恐怖が希薄だ。それに対抗するために、レギア兵の得意とする魔法が必要なのだ。

 土魔法を用いたゴーレムである。

 ゴーレムもまた疲れないし、死ぬことがない。ゾンビを相手どるにはちょうど良い雑兵なのだ。敵の歩兵とのファーストコンタクトを、このゴーレム達と犯罪奴隷たちに任せる手筈となっている。

 砂漠で育った民だ。エクセレイの人間よりも、土魔法は間違いなく卓越している。


「でも、アルは壁内へきないの護衛だし、クレアもイリスも城壁内なのに。俺だって」

「いいって、いいって。それよりも俺は嬉しいんだよ」

「嬉しい?」

「ほら、あれ見てみろよ」

 ロスの瞬膜が動く。


 遠くを眺めているのだ。視線の先は城の真下だ。

 そこには大量の魔女の帽子達がいる。当然、レギア兵の亡骸達も。


「俺の同胞達の死体をあんな使い方するなんて、許さない。あいつらと最初に戦う権利を得られるんだ。最高のオーダーだよ。エイブリー姫殿下に感謝だな。同胞の亡骸を見て、俺たちレギア兵が慄くなんて敵が考えてるとしたら浅はかだな。俺たちの戦意は、過去最高だよ」

「怖くないのか?」

「怖いよ。でもそれ以上に渇望してるんだ。戦いを」


 絵の具の原色のような赤が、爬虫類然とした瞳の中で踊る。

 あぁ、そうか。ロスは、この日をずっと待っていたのか。同胞達のために戦えるこの日を。

 この子は戦士だ。

 竜人の。


「そうだな。そうだ。目一杯暴れるといいよ。それがいい。たぶん。きっと」

「おうよ」

「でも、死んでくれるなよ?」

「当たり前だよ。父上にもレギアの後継者だから、戦況が少しでも悪くなったらショーと一緒にすぐ逃げろって言われてる」


 チラリと横を見ると、遠くにいるショー先生が「よっ」とばかりに片手をあげる。

 あの人が一緒なら、退却の判断は間違えないだろう。


「それなら大丈夫か。武運を」

「おうよ」


 俺はロスと拳を突き合わせて、王宮の方へ向かった。

 王宮には、すでにトウツやファナ、フェリ、瑠璃が待っている。パーティーマンバー。俺の、今世での3つ目の家族だ。1つ目はクレア達で、2つ目は師匠。

 大丈夫だ。

 無彩色に来たる紅モノクロームアポイントレッドのメンバーで、出来なかったことなんて一度もない。俺は、きっと大丈夫だ。

 完遂できる。


 俺のやりたいこと、全て。







「何ですって? 真昼間に接敵?」


 斥候の報告を聞き、エイブリーが眉を顰めた。


「姫殿下、昼に来られると何か困るのですか?」

「いえ、意図がわからないのです。敵の」

 貴族の問いに、エイブリーが答える。


「吸血鬼だね?」

「そうです、殿下」


 メレフレクス王の言葉に、エイブリーが返答する。

 父親とはいえ、王だ。ここではエイブリーも殿下と呼んでいる。


「敵の主戦力に吸血鬼がいるのはわかっています。夜を統べる種族。彼らの力を存分に発揮したいならば、昼に攻めてくるはずがない。そう思っていたのだけれど」

「始めから持久戦を強いてきていると?」

「そう考えるのが自然でしょうね」

 セーニュマン辺境伯の提言に、エイブリーが頷く。


 昼間の戦闘でこちらが疲弊したタイミングに、吸血鬼達が強襲するのだ。

 その時に光魔法を使える人員がいなければ?

 目も当てられない結果になるだろう。


「そう考えると、おちおち教会の人員を割くわけにはいきませんな」

「えぇ、そうですね」

「教会の退魔師エクソシスト回復役ヒーラーとして流用できないことになりますな」

「そんな。兵量を考えてもみよ!今でもカツカツだというのに!」

「なまじ国内の魔法使いの質が高いがゆえに、退魔師を厚遇しなかったツケが来ましたな」

「今はないものねだりするところではないわ」

 逸れかけた話をエイブリーが軌道修正する。


「ふむ。エイブリー、言ってご覧なさい。退魔師を温存するとして、手薄なとこを作らざるを得ない。どこを外す?」

「北部と南部です」

「む」

「妥当でしょうな」

 エイブリーの提言に、貴族達が次々と頷く。


 敵はレギアから来ている。つまり、西南西からだ。そこの正面の救護班を減らすわけには当然いかない。そして逆側の東も手薄にするわけにはいかない。敵が都を素通りして、退避している一般市民を襲う場合に対応する戦力が必要だからだ。その戦力を補強するために回復役ヒーラーを割くことはできない。


「ただし、敵戦力は依然として甚大です。正面で衝突した後、確実に都を包囲しに回るでしょう。北と南の防護を無視するわけではありません。ヘンドリック商会に連絡を。東部に貯蔵してあるポーション類を2割、北へ配当し直します」

「待ってください。何故北だけなのです? 南は見捨てるおつもりで?」

「増援の予定がある、ということですね?」

 一人の貴族の疑問に、グラン・ミザール公が質問を被せる。


「その通りです。私の読み通りであれば、追い付くかと」

「承知いたしました」

 グラン公が引き下がる。


 公爵が引き下がるならばと、他の貴族も提言を取りやめる。

 エイブリーが父親の方へ視線を向ける。


「ふむ。行きなさい」


 メレフレクス王が命令した瞬間、一人の騎士が弾かれるように会議室を飛び出し、伝令へ走った。


「戦う前から教会の戦力を封じられるなんて。本当、嫌になるわね」


 揺れる扉を見つめながら、エイブリーはため息をついた。

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