第297話 オラシュタットに集まって6
「で、なぜ貴方がエクセレイにいるのですか?」
「いや〜、ははは」
ジト目で紅茶のティーカップを指にかけているのはエイブリー・エクセレイその人である。
一方、対面に座っているのはトウケン・ヤマトだ。
エイブリーは来客を今か今かと待ち侘びていた。フィル・ストレガがエルフの森深層のレポートを持ってきてくれるものだと思っていたのである。王宮へ足を運ぶよう便りも既に送ってある。ところが、一向に現れる気配がない。
不敬。
普通であれば不敬罪である。
だが、あの叔母母の弟子であれば、王族からの要請も普通に無視することは想像に難くない。フィルの場合は無視するというより、素で忘れてそうだが。あの師弟は違うベクトルで非常識なのだ。エイブリーはそれをよく知っている。
それはいい。
それはまぁ、いいのだ。
問題は目の前の青年。
喜び勇んでドアを開けた先に、この黒髪の青年がいたのだ。しばらく見ないうちに背丈もすっかり伸び、華奢な雰囲気は微塵もなくなっている。
「……ここは時期に戦場になります。てっきりファナ・ジレット達に帯同した後、ハポンに帰郷したのかと」
「いやそれがの、ここでもう少しやっておきたいことがあるでの」
「やっておきたいこと?」
「正確には、見ておきたいことかのう」
「何でしょうか?」
「魔王」
「は?」
「魔王。いやぁ〜、一度見ておきたいんじゃよね、余。せっかく生きてる間に伝説にもなるような魔の王が現れるんじゃ。見ておいて損はないじゃろ?」
「その為に命を張るのですか?」
「まさか。命までは張らんよ。余とて命は惜しい。エクセレイが危なければ、とっとと船を出すわい」
「貴方それ、話す相手が私以外の王族であれば国交問題ものよ」
「だからお主のところに面通しに来たのよ」
「…………」
あんまりな言いように、エイブリーが閉口する。
トウケンの後ろにいるハンゾー・コウガが渋い顔をし、エイブリーの後ろに控えるパルレ・サヴィタが目を忙しく動かす。二人はお互いに目線で連絡を取り合う。「うちの主が済まない」とハンゾー。「どうせうちの主も黙ってません」とパルレ。
「で、この国の為に何をしてくれるの? あぁ、パルレ。お茶はまだ出さなくていいわ。まだお客様じゃないもの、彼」
「酷いのう。戦力としてハンゾーとアズミ、他数名の元御庭番やその候補生を貸すぞ」
「パルレ。戸棚の奥のギョクロを出して頂戴」
「姫、お主も余に負けず現金な奴じゃのう」
トウケンが眉根を顰める。
エイブリーは黒光りした笑顔を見せる。
彼女の笑顔を見て、トウケンは学園のフィンサー教諭を思い出す。彼女は確か、彼のホームルーム担任クラスに在籍していたはずだ。
「でも、いいのですか? ハポンにはほとんどメリットがないはずよ」
「何を言う。本当に国益を考えるならば、我が国はゴウゾウ・イナバを派遣すべきじゃろ」
「トウツ・イナバの父親ね。何故?」
「知れたこと。先兵の諜報だけでコーマイは国の根幹が一度崩壊した。レギアも国土は盗られた。エルドランも数日で半壊。北部の小国はどこも落ちた。ゴウゾウがいなければ、うちも秒で落ちるのう!」
トウケンがカラカラと笑う。
笑い事ではないので、エイブリーが顔を顰める。
「我が国は決して巨大でも強靭でもない国じゃ。海に守られておるから長らく繁栄しておるだけ。エルドランが落ちたんじゃ。エクセレイとアトランテが落ちて海を渡ってきたら、確実に終わりだのう。本当に国のためを思うならば、マギサ・ストレガ擁するここに戦力を固めて叩くのが一番じゃ。そうじゃろう?」
「えぇ、そうね。周辺国をことごとく潰されたわけだから、それも敵わないけど。失礼だけど、貴方の父親は腰抜けなの?」
「ぶっは!」
トウケンが出されたお茶を吹きそうになる。
従者のパルレが美味しく淹れてくれたので、吹き出すのをギリギリ堪える。そもそもエクセレイで玉露を手に入れるとなると、値が高すぎて中々飲めないのだ。大事に飲まなければいけない。
トウケンは背中を震わせてくつくつと笑う。まさか将軍家の自分の父親を腰抜け呼ばわりするとは。一国の第二王女といえど看過できるものではない。普通は。そしてトウケンは、将軍家の人間の中では少し、普通ではなかった。
「そうじゃのう。腰抜けというよりも、小心者と言った方が正しいかの。余は提言したんじゃぞ? 『父上!エクセレイにて魔王を叩くべきです!ゴウゾウの派遣をご許可ください!』とな。するとどう言ったかと思う? 『大局を見誤るでない。ゴウゾウはこの国を守るために外へ出してはならぬ人材だ。部下はいくらか見繕ってやる。エクセレイに情が湧いたか。ならばお前の裁量で守るがいい』とな。守りたいのは国ではなく自身の心の臓であろうに」
トウケンがため息をつく。
エイブリーが彼の後ろを見る。
ハンゾー・コウガは御庭番の幹部だ。
だが、既に初老を過ぎつつある。セミリタイアと言える人材だろう。
その他、彼につけられた部下は「元」御庭番とその候補生たちだ。現役はアズミ・イガのみ。将軍家の長男を守る為につける人材としては、いささか物足りないだろう。
これが、彼の裁量で動かせる戦力。
「貴方、お父さんと仲が悪いの?」
「お主は余に茶を吹かせたいのか?」
「別にそういうわけではないわ。大事な息子を海の向こうへ派遣するんだもの。大事にされているのかしら」
「プライベートなことを聞くのう。そうさな。実力は評価されておるよ。でなければ、ここへ留学に送られることもなかった」
「なるほど。兄弟は?」
「弟がおるの。腹違いの兄弟もたくさんおる。成り上がりの士族らしく、父は性豪でのう!」
「あら、私のお父様も負けていませんわよ?」
二人の背後では、忍者と近衛騎士とメイド達がソワソワとしだす。自身の肉親であり国のトップ達を言いたい放題なのだ。もちろん、どちらの父親も国の為に子どもを増やしていることを承知している。決して色欲に身を任せているわけではない。
「弟さんは、どんな人?」
「華奢で生っ
「貴方よりも?」
「うむ」
「ふぅん。体が強くない弟君よりも、頑丈な貴方をこっちへ寄越したのね」
「そうじゃの」
「彼は将軍としての素養があるの?」
「ないな。よき為政者にはなるじゃろう。だが、
「なるほど。彼が将軍を継げば、お父様はさぞ後ろから楽に指示ができそうね」
「うむ。弟は余よりも扱いやすい。先日帰郷して改めて思った」
「うふふふ」
「はっはっは」
お互いに笑い合う。
「貴方の手駒は自由に動かしてくださいな」
「指揮系統を統一した方がいいんじゃないかの?」
「まさか。文化が違い過ぎます。下手に合わせるより自由に動いてもらった方がいいわ。貴方の部下は遊軍向き。ニンジャって、そういうのに長けた戦闘員でしょう?」
「まぁの」
「それに」
エイブリーがアズミ・イガを見る。
「貴方以外の指示を聞くとは思えませんもの」
桜色の唇が吊り上がった。
「で、明日のお祭りはどうするの〜?」
トウツが俺を蟹挟みしながら話す。
何故彼女の足が俺の腰に絡みついているのかというと、オラシュタットに帰ってきて以降、学園の面子とばかり連れ立っているのが御立腹なようだ。
俺としては、改めてパーティーメンバーで戦闘の作戦を立てたり実際に訓練してみたりと、トウツ、ファナ、フェリに一番時間を割いているつもりなのだ。
だが、フェリ曰く「それはプライベートではないのよ」だと。
解せぬ。
「だから言ってるじゃん。午前はアルとデート。午後はそこに巫女と王族の祭務が終わったクレア、ロス、イリスと合流して遊ぶって」
「そこにわたくし達は入りませんの?」
「入らないな。一部の隙もないスケジューリングだ」
「ぶーぶー!」
トウツとファナがサムズダウンする。
「アルケリオ君、だっけ。彼と一日中いる必要はあるの? 午前を私たちに回してもいいんじゃないの?」
ポーションの出来栄えを確認しながらフェリが言う。
「いやいやフェリ。ある。あるとも。アルとの時間は何事にも変え難い。俺は一分一秒でも長くアルと一緒にいたいんだ」
一生、一緒にいてくれや。
くらいには思ってるぞ。
「何回あるある言ってるのよ」
フェリが呆れる。
「朝はアルちゃん。昼は巫女ちゃん、皇子ちゃん王女ちゃん。じゃあ、夜は僕とだね。もちろん場所は布団の上さ」
「何言ってますの。夕刻にはわたくしと一緒に教会へ行きますわよ。そして神の御前で愛の交歓といきましょう」
「私は一緒にポーション作れればいいわ」
『わしは一緒に昼寝できればいいのう』
「よし。フェリと瑠璃の案、採用」
「酷い!贔屓だ!フェリちゃんばっかり!」
「そうですわ!瑠璃なんて2年間一緒にフィオといたのに!」
「お前らの案採用したら、俺の肌が暗色になるだろうが!」
ほんと油断ならないなお前ら!
「こうなったら力ずくでフィオの予定をわたくしで埋めるしかありませんわ」
「珍しく同感だねぇ。僕がフィオをベッドの上で一番上手に扱えるんだ!」
「お前さっきベッドじゃなくて布団って言ってただろ!?」
「フィオ。突っ込むところはそこなの?」
俺とファナ、トウツがトライアングルに睨み合う。助かるのは、ファナとトウツがお互いを牽制し合っていること。
いける。
こいつらが争っている間に、漁夫の利でどちらも倒してみせる!
2年間の修行の成果を見せてやる!
「あの、こんにちは……」
来客者がいた。
おずおずとドアを開いて現れたのは、コーマイから俺たちが連れてきた使者ベル・ア・ソアさんだった。鱗粉に混じり、芳しい香りが部屋に入ってきて鼻腔を刺激する。
「ベルさん!」
俺はぱっと笑顔を浮かべて彼女へ近づく。
おい、後ろ。舌打ちが聞こえたぞ。
「どうしたんですか!? コーマイとの連絡が忙しいと聞きましたけど!」
確かエルドランと協力体制を築いたはずだ。そのため、伝令が密に訪れるからベルさんは最近寝るまもないと聞いた。
「いえ、あの」
もじもじして指あそびをするベルさん。
腕や指の関節が俺よりも多いから、一瞬びっくりするような手の動きをしている。
でも可愛い。
「その、招待です。王宮から。エイブリー姫様の」
「あ」
俺はすっと、部屋の奥へ歩いていく。
その場の全員の視線が俺の背中へ刺さる。
20キロ程度の体重が異常に重く感じる。
部屋の隅で俺は四つ這いになる。
「お家帰りたい」
「ここが家よ」
俺の独り言に、誰かが返事をした。
そこからはあっという間だった。
宿をベルさんと出た瞬間、ペガサス馬車に乗ったメイラさんに拉致される。ドナドナされる俺。簀巻きにされる俺。明らかに魔力を空にする勢いで空を高速で駆けるペガサス馬車。メイラさんに脇に抱えられてイヴ姫の寝室に放り込まれる俺。というか寝室でいいんかい。いつもの客間じゃないんかい。
「二年ぶりね、フィル君」
上から甘ったるい声がする。
俺は顔を上げない。あの吸い込まれるような桜色の瞳と、相対する心の準備ができていない。彼女は知識欲の権化である。意図せずとはいえ、俺は彼女をお預け状態で放置したのだ。殺される。目が合えば殺される。今、手元にレポートなんてない。どんな顔して「都に戻ってまだレポート一文字も書いてませんでした。てへっ☆」と言えるのか。何か足元見る限り、着ている服がネグリジェっぽくて上見たいけど見ないぞ俺は。絶対に。あ、でも一瞬見たいかも。どうしよう。ちらっと上見るか? げ、赤い魔力を感知。ルビー、ステイステイ。
「姫様、ご機嫌麗しゅう」
「あら、随分と丁寧な言葉遣いね。偉いわねぇ。でも私が欲しいのはそんな優しい言葉じゃないというのは分かってるわよね?」
「……はい」
「私があなたをオラシュタット魔法学園に授業料免除枠で入学させた条件、覚えてる?」
「……覚えてます」
「言ってごらんなさい?」
「研究成果の報告」
「よくできました」
上からゆっくりとした拍手が聞こえる。4拍で一回ずつくらいの、超スローな拍手。
ふえぇ、怖いよぉ。
「フィル君、顔を上げなさい」
「そんな、姫様。俺のような下賤の者が恐れ多い」
「今更そんなこと言うの? あと、二人っきりの時はイヴよ」
「では、イヴ姫」
「イヴ」
「はい、イヴさん」
「……まぁ、いいわ。顔を上げなさい」
「怒らないなら上げます」
「上げなさい。それから判断するわ」
恐る恐る、顔を上げる。
それはそれは素晴らしいアルカイックスマイルだった。この世全ての罪を赦すかのような、慈母に満ちた笑み。だからこそ、最も攻撃的に見える笑みだ。
「レポートは?」
「……まだです」
「そう。約束は守るわ。顔を上げてくれたから、怒らないであげる」
「はは~。ありがたき幸せ」
「でも、その代わり」
イヴ姫が俺の顎に指を当てる。
桜色の瞳がサディスティックに見下ろしてくる。
何だろう。もしかして見えないだけで、俺に首輪ついて鎖に繋がれてたりします?
「今夜は寝かさないわよ」
すげぇ。
ここは彼女の寝室で、服装は露出の多いピンクのネグリジェで、部屋に男女が2人っきりなのに。全然色っぽく聞こえねぇ。
俺の視界の端には、デスクに山積みされた真っ白な紙の束とインクが詰まった瓶が1ダースあったのだった。
この後滅茶苦茶レポート書いた。
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