第291話 オラシュタットに集まって

 巨大な氷像が摩擦の音を立てながら隆起した。

 生物でありながら、無生物のような無機質さを感じる動きだ。筋肉で動いてる感じが全くしない。

 俺の目の前で立ち上がった巨竜は、クリスタルドラゴンだ。

 世界樹へ向かう時は、避けて通った相手。


『魔力量がどのくらい上がったか、試してみようか』

 呟きながら、俺は魔力を練る。


『退路は必要かの?』

『大丈夫だよ。いけるきがする』

『我が友の大丈夫は信用ならんのう』

『万事塞翁が馬』

『お前ら、一緒に深層を冒険したんだから少しは信じろよ……』


 酷い犬もどきと、なんちゃってカラスである。


 3人で阿呆みたいなやりとりをしている間に、クリスタルドラゴンの頭部が摩天楼の頂上のような高さまで登りきる。口元には膨大な魔力。

 吐息ブレスだ。


紅蓮線グレンライン


 吐息と熱線が宙で絡み合う。磁石のS極とM極のように反発したかと思うと、お互いの攻撃がそれて雪山の側面を抉り取った。


『撃ち勝つまではいかないけど、及第点かな』


 登山中は戦うことすら選択肢に入らなかった敵だ。

 十分だ。俺は強くなっている。


『瑠璃。援護を頼む。こいつを倒して下山だ』

『あいわかった』


 意気揚々と、透明な竜に飛びかかった。

 俺たちの本性は、すっかり野生に帰っていたのだった。







 その騎士は悠然と佇む。


 待っているのだ。

 小人族の少年を。

 呪いという形を借りてプログラミングされた指令が叫ぶ。「あれは障害だ」と。「今取り除かなければまずいものだ」と。


 だが、少年が死霊の谷へ戻ってくることはない。


 何故ならば、その少年は気配隠しのストールで身を隠し、とっくの昔にここを去っているからだ。律儀にも、死霊レイスをほぼ全て借り尽くしてしまった後という徹底ぶりだ。

 死霊高位騎士リビングパラディンは不死鳥の羽毛により、爆発的に強化された。しかし、これ以上の成長は望むべくもない。ここにはもう、彼女が狩れる餌はない。

 虹色に輝いていた魔力は、今や落ち着いている。

 元のどす黒い魔力が彼女を覆っている。


 彼女は待っている。

 あの少年の命を摘み取る瞬間を。







「驚いた。ルーグじゃないか。久しぶりだな」


 黒豹族のナミルが、隻腕の男に声をかけた。横には豹というよりも、虎のようにガタイのいいクバオがいる。

 ルーグが眉を顰めてナミルを見返す。相変わらず目つきが悪い。

 目が言っている。「何考えて俺に話しかけてるんだ、こいつ」と。


 それもそのはずだ。

 彼の弟子の片方は国家転覆罪かつ殺人罪。もう片方はその幇助容疑がかかっている。とった弟子が二人とも犯罪者だった。都に彼の居場所は残っていなかったはずだ。

 それなのに、何故か戻ってきた。

 絡もうなどという奴はいない。

 冒険者は無関心であることで秩序を保っている集団だ。何故ならば、触れるもの皆傷つけるような尖った人間が多いからだ。

 ルーグはその中でも鋭角に尖っている方だろう。


 だが悲しいかな。

 人間とは好奇心に飼い殺しされている生き物である。

 当然、気になる。何故、彼がオラシュタットへ帰ってきたのかを。

 そしていつも通り、人のいいナミルが聞きに行く流れになったということである。ちなみに勇者ルーク・ルークソーンがいるときは、大体彼にそのお鉢が回ってくる。冒険者たちは彼を勇者というよりも、気前のいい兄ちゃん程度に思っている。

 周囲の人間が耳を傾けていることにルーグが気づく。額に青筋が浮き出る。

 ナミルは猫科動物の嗅覚で、彼が怒りの感情フェロモンを体から分泌していることに気づく。それでもあえて会話を続けようとする。無関心だけじゃなく、鈍感力も冒険者には必須科目なのだ。


「いや、何。元気そうで良かったよ」

「俺が元気そうに見えるか?」

「いや、全然。いつも通り、不機嫌だ」

「はっ」

 鼻で笑って、ルーグが席につく。


 すぐさま、鳥の胸肉のステーキとワインが運ばれてきた。

 ルーグが以前、よく食べていたものだ。


「おい、まだ何も頼んでねぇ」

 ルーグがギルドのウェイトレスを呼びつける。


 聞こえているはずだ。だというのに、ウェイトレスは素知らぬ顔でカウンターへ戻っていった。


「くそが。どいつもこいつも」

 悪態を吐きつつも、慣れた手つきでステーキを切り分けるルーグ。


 ナミルは微笑ましくそれを見る。クバオは肩をすくめる。


「何笑ってんだ。おい、トレイを持ってくるんじゃない。男で密集すると飯が臭くなる」


 苛立ちを隠さないルーグに、笑いながら相席しようとするナミルとクバオ。

 周囲の冒険者たちが、いつも通りの昼食に戻る。

 あれは自分たちが知っているルーグ。そう思ったのだろう。


「で、何で戻ってきたのよ?」


 不躾に聞くクバオに、ルーグが難色を示す。

 ちなみにクバオの鈍感力はナミル以上である。ナミルの鈍感は養殖だが、この虎のような豹男は天然である。


「……やり残したことがあるんだよ」

「ふぅん……ん?」

 クバオに視線が下へ降りる。


 彼の食事風景に違和感を覚えたのだ。

 よく見ると、ルーグはナイフとフォーク両方を使って胸肉を食べている。


「おま、腕生えたのか!?」

「んなわけねぇだろうが」

 ルーグが馬鹿を見るような目でクバオを見る。


 実際、クバオは馬鹿と呼ばれる部類の人間ではある。


「この2年で、これを準備した」

 ルーグが長袖の裾をまくる。


 そこには鋼鉄の腕があった。


「すげぇ」

「ガントレットじゃなかったのか」

「幾らしたんだ? これ」

「2年間タダ働きだ。しかも、材料も自前だ」

「マジかよ」

 クバオが目を丸くする。


「帰ったわよ!」


 細く明るい少女の声が鳴り響いた。

 スイングドアが開け放たれたかと思うと、壁にめり込む。

 一斉に視線が集まる。

 強力な武器強化ストレングス。しかも、特別頑丈なギルドの壁にめり込んだのである。こんなことが出来る人間は限られている。

 ギルドへ入ってきたのは、勇者一行。その魔法使いである、小人族のアルク・アルコだ。

 後ろから「お騒がせしてすいません!」とペコペコしながら、ルーク・ルークソーンが入ってくる。その横には呪詛を呟くキサラ・ヒタール。

 勇者一行である。


「やっと戻ってこれたわよ!ずっと国中を行ったり来たり!もうたくさんよ!」

「帰っては来れたけど、これも戦いのためなんだよね……」

「もう働きたくない。もう働きたくない。もう……」


 ぶわっと泣き出し、キサラがくずおれる。

 それを支えるルーク。


「…………飲むか」

「そうだな」


 その場にいた冒険者たちは、良くないものを見たとばかりにそれぞれの食事へ戻ったのであった。

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