第290話 世界樹7(終)

「俺たちが科学を持ち込んだから、ダークエルフが生まれた?」

「そうと言える」


 ルアーク長老は、難しい顔をしている。

 この人がこういう顔をするのは珍しい。


「巫女がこの兵器を予言して、一斉に調査が行われた。すると浮かび上がってきたのが、君たち転生者だよ。ここは基本、魔法が全てと言っていいほど世界を動かす技術となっている。ところが、君たちが現れた地域や国が、独自の発展を遂げていることに気づいた。いわゆる、科学都市や科学国家だ」

 もっとも、君の世界に比べると粗末なものかもしれないがね、と長老は付け加える。


「これらの都市、地域、国が発展しすぎると、巫女が託宣夢で述べた通りのことが起こる」

「核戦争……俺たちの世界ですら起きていませんよ? 主に抑止力として置いてあるだけです」

「そうだろうね。でも、今後ずっとそうだと確約できるかい?」

「それは……どうでしょう」

 俺は言葉に詰まる。


 もしそのスイッチを押せば、自分の国の民が助かるとすれば? 確実な安全が手に入るならば。

 他国の人間は多く死ぬかもしれないが、押す人間は出てくるかもしれない。

 道徳というものは力強い不文的なルールだけれども、必ず破るものが出てくるのがセットだ。俺は元いた世界の日本史や世界史で、それを最低限学んでいるつもりだ。


「ここ、エクセレイが魔法立国として成長を遂げているのはそういうことだよ。初代の王とテラ教会が連携し、科学が入る隙間を完全に遮断したんだ」

「師匠が俺に口止めしていたのは、そういうことか」


 異端審問官に追いかけられたいかい?

 師匠はそう言っていた。


「エルフが森に引きこもったのは、これが大きい。この情報は、悪心もつ者に渡ってはならない。我々の先祖は多種族との交流を極力控えることになる」

「え、でも、数は少ないですけど、都市部にもエルフはいますよね?」

「情報を完全に遮断するのは悪手だからね。我々が必要以上に怯えているだけで、科学というものは安全かもしれない。異界出身の君から意見を聞いてみたいね」

「間違いなく便利ですけど、使い方を誤れば危険というのは間違いないかと」


 そして人間は、間違う生き物だ。

 間違ってでも利益を追求したのが、俺がいた世界なんだろうけども。

 でも、俺がいた世界は便利で、少なくとも不幸な人よりも幸せな人の方が多かったように思う。あれが失敗した世界だなんて、思いたくない。


「なるほど。とまぁ、君がいた世界の技術も全てを拒絶するわけではなく、安全なものは選別して取り入れるようにすることとしている」

「はぁ」


 なるほど。この世界のちぐはぐなところの理由、その根幹がわかったような気がする。俺がいた世界よりも人類史は短いけども、妙に発達した考えの国家が多かったように思う。この世界には、元いた世界とは違う大きな点がある。それは魔法と種族だ。異種族が多くいるこの世界は、ともすればあっちよりも世界大戦が起こりやすい要素が揃っているように思う。違いは、軋轢を生むから。それでも起きたことがない。それは成熟した考えをもつ国家が多くあるからだ。その考えはどこから?

 あっちの世界から引っ張ってきたのだろう。

 おそらく知識を。歴史に裏打ちされた大きな戦争を回避する知恵を。

 この世界は隣国同士の小競り合いはあるが、世界規模の大戦を経験していない。


「問題は多種族との交流が深いエルフたちだ。ここから巫女の情報が漏れる可能性がある。あまりにも危険だ」

「エルフは約束を厳守する種族性があると思うのですが」

「人の口に戸は立てられないからね。それはエルフも同じだ。こちらが口を滑らせなくても、誰かが拷問されるかもしれない。自白魔法をかけられるかもしれない。愛する人を人質にされれば、口を割るかもしれない」

「…………」


 俺はどうだろうか。

 大切な秘密があったとして。茜の命が引き換えだと言われたとして。口を割るだろうか? おそらく、話してしまうだろう。この世界に来て気づいたけど、どうも自分はそこそこに利己的な人間のような気がするのだ。


「だから目印をつけた。異種族と濃い交わりをもった者の肌の色が、変質するようにね」

「……ダークエルフの条件は、異種族との姦淫ではなかったんですね」

「その通り」


 通りで、魔女の帽子ウィッチハットになった者が皆ダークエルフになっていたわけだ。あれは呪われたことでエルフの秘匿する情報が抜き取られないようにする目印だったのだ。


「肌の色で分かりやすくして、追跡者トラッカー執行者エンフォーサーに裁かせる」

「そう。その通りだ。君と一緒に行動している、フェリファンと言ったかな? 最近はめっきり彼女への追っ手が減ったとは思わないかね?」

「はい、確かに」


 フェリは言っていた。無彩色に来たる紅モノクロームアポイントレッドに入って以降、エルフの追っ手がぴたりと止んだと。


「彼女に白判定が出たからだよ。危険な情報を漏らす可能性はない、とね。そもそも彼女は巫女に関する情報を持っていない。他にもダークエルフは世界中に多くいるが、全員を追いかけているわけではない。情報を持たないものは監視を緩くすることで泳がせているのだよ」

「それはまぁ」


 何というか、思ったよりも人道的である。

 てっきり、ダークエルフは全て根絶やしにとでも思っているのかと。


「この世界はあくまでも魔法を中心に動かす。争いの火種は、小さい方がいい」

 そう言い切ると、長老は言葉を切った。


「君の世界に比べると、こちらの人類史は進みがゆっくりなのだよ。長寿種が多いのが、その要因だがね。いや、原因かもしれない」

「あっちは短命の普人族のみだから、進みが速い?」

「そうかもしれないね」

 長老が小さく笑う。


「そちらは速いだけに、星を食い潰す速度も段違いのようだ。年間にして、動植物が4万種ずつ減っているとこちらの世界へ教えてくれた転生者もいるようだね」


 その人物は、おそらく俺と近い時代の人間だ。いつだったか、ニュースで似たような話を聞いたことがあるような気がする。伝えた転生者とは、どの国の人だろうか。


「だから、こちらへ流れてくる。魂が清められ、循環するよりも早く次から次へと生物が死に、あの世へ送られる。そうなった時、発展途上の世界へ魂が送られるのだよ。ちょうど君のようにね。向こうはあの世がパンク状態。こちらはこの世にリソースがあるから容量を埋めたい。利害の一致というやつだね」

「つまり、別にここへ転生するのは俺じゃなくてもよかったということですか?」

「そうなる」

「あー」


 妙な脱力感が体を支配した。

 心のどこかでは、期待していた。もしかしたら、自分は特別な存在ではないのかと。でも、そうではなかった。


「まぁ、私はクレアの双子として生まれた人物が、君で良かったと思うがね。カイムとレイアも鼻が高いだろう」

「そんな馬鹿な」

「いや、そうと言えるよ。ストレガに認められた才覚に、その眼。元いた世界の知識。増長して悪心を持たなかっただけ、君は偉いよ。もし君が君でなかったら、この世界はもっと悪い方向へ突き進んでいたよ」

「あの、ありがとうございます?」


 何故か疑問系で礼を述べてしまう。


「さて、これはお返ししようか」


 ふわりと、スカーフが首にかけられる。


「いいんですか? 長老は深層からどう抜けるおつもりです?」

「なに、なんとかするとも。幸い、あの鳥は私に興味がないようだ」


 確かに。

 あの不死鳥とりに睨まれたらここを脱出するのは不可能だろう。師匠ですら可能かどうかもわからない。


「ついこないだ、エルドランが半壊した」

「なんですって!?」

「今はレギア国内を、魔王軍が西へ西へと移動中だ。巨人の魔女の帽子ウィッチハットも十数体引き連れている」

「行きます!…………どうやってここ出ればいいんですか!?」


 振り返り、走り出し、すぐに戻ってきた俺を長老が笑う。

 笑うなや!この真っ暗な空間、本当に前後感覚もなくてわかんないんだよ!


「落ち着きなさい。頭の中に扉を思い浮かべなさい」

「扉?」

「君が開ける動作を最も思い浮かべやすい扉だよ」


 扉……とびら、トビラ。

 どれがいいんだろうか?

 開けやすいといえば、両開きのドアか?

 ギルドによくあるウェスタンスイングドアはどうだろうか。半分宙に浮いている構造だし、押しやすいだろう。それとも、エクセレイ魔法学園でアルと一緒に過ごしていた、寮のドア? 重厚感のある木製のドアだ。トウツ達と共に過ごしていた冒険者用宿の拠点のドアはどうだろうか。冒険者のもめごと対策に頑丈に作ってあったが、あれも長年使っていたからイメージしやすい。


 いや、違う。

 思い出した。

 一番俺が長く取手を握り、行き帰りに通った扉があるじゃないか。

 前世、住んでいた実家。そのドアだ。

 取手が安っぽいアルミで出来ているけど、微妙に防犯には十分な耐久が保証された作り。目に優しい緑色の、重いドア。スーツに着替えた父は満員電車に揺られないよう、いつも先に外に出ていた。姉は下手なナチュラルメイクをするために、いつもギリギリまで居間にいた。時々、遅刻しかけて母にどつかれながら通学したっけ。


「もう出来ているよ。目を開けなさい」


 長老の声に気づき、目を開けた。

 目の前には、実家の扉がぽっかりと浮かんでいる。

 直観でわかる。ここを通れば、世界樹の外だ。


「不思議な形の扉だね。下の方に、変な凹凸がある」

「郵便受けです」

「郵便?」

「手紙を、受け取る、ところ? みたいな」

「ほう。全ての個人宅にこんなものがあるのか」

 長老が楽しそうに笑う。


「あの」

「何だい」

「いってきます」


 長老が不思議そうな顔をする。

 そりゃそうだ。血もつながっていない赤の他人にそんなことを言われても、困るだろう。

 でも言いたくなったんだ。この扉の取手を握ったら、そんな気分になったんだよ。


「あぁ、いってらっしゃい」

 長老が優しく笑い、小さく手をふる。


「いってきます!」


 もう一度大きく叫んで、俺は外へ飛び出した。

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