第287話 世界樹4
「いや、いやいやいや。待ってください。どうして転生者がこの世界を滅ぼすんです? え、もしかして俺もやばいですか? 無意識にこの世界のこと、害してたりしませんか?」
しばらく呆けた後、慌てて言葉を紡ぐ。何か話さないと落ち着かない。
「それについては安心してほしい。君は今のところ、この世界の敵ではない」
「今のところ」
ということは、これから敵にもなり得るということか?
何それ怖い。やめてほしい。今ある課題だけで手いっぱいなのに。気づかぬうちにナチュラルパブリックエネミーとか勘弁してほしい。
「どうして世界が滅ぶ、なんて話になるんです?」
「それは、最後に話そうかね」
…………焦らすじゃん。
いや、この人は落ち着いて老成しているように見えて、こういう人だった。初めてコヨウ村に潜入するときもそうだった。
「まずはそうだね。ここへ至れた方法についてだが」
長老が懐から取り出す。
それは見慣れたものだった。
長い間、アルがスカーフとして首に巻いていたもの。そのアルと一緒にミザール邸に侵入した時にも使った。コヨウ村へ潜入する時、長老から貰ったもの。
そして、ここエルフの森深層へ入る時に、師匠から没収されたもの。
気配隠しのスカーフだ。
「……それ、師匠から返されてたんですね」
「あぁ。私は君にあげたつもりだったんだがね」
「それを使って魔物から隠れてここへ来た」
「ご明察。というよりも、これはここへ安全に来るために作られたものだからね」
「あぁ」
なるほど。
確かに。
それは合点がいく。
あの魑魅魍魎のエリアを抜けるくらい鍛えるよりも、こういう一点物の魔法具を作った方が現実的だ。
「これが完成したのは、ある意味奇跡だったそうだよ。以来、エルフの長老で継承されている。あぁ、言い忘れていた。村ごとに長老はいるが、全ての長老を取りまとめているのは私だよ。だからこの世界樹に一番近いコヨウ村の担当をしていたのだよ」
「えぇ」
何だその衝撃の事実。
何で誰も教えてくれなかったんだよ。
「何故誰も教えてくれなかったといった顔をしてるね」
げ。
「赤子の時から思ってたけど、君は顔に出やすいね」
うるせぇ!ほっとけ!
目の前の人物はエルフの中では間違いなく位の高い人物なんだけど、俺の中でぞんざいに扱っていいカテゴリに入りつつある。
「この役職は面倒なくらい重要でね。変に知名度を高くして悪心ある者に狙われるわけにはいかなかったのだよ」
「……なるほど」
それは確かに、そうだ。
この人はエルフの中心人物。それがノーガードで情報を垂れ流しするわけにはいかないだろう。
「ちなみに、君にこのスカーフを預けたのはこの役職もついでに押し付けられないかと考えていたからだね」
「……おい」
聞き捨てならないことを言ったぞ? この長老。というか辞めたいんかい、長老。
思わず敬語が崩れてしまう。
え、俺、エルフの長老押し付けられるところだったの?
やめてほしいんだけど。
「俺は転生者で、危ないんじゃなかったんですか?」
「妖精に好かれて、マギサ・ストレガが弟子と認めた人間が危険だとは思えないね」
「む」
俺は自分が長老になれるような人望ある人間だとは思わない。
でも、ルビーが選んでくれた。師匠が選んでくれた。
なるほど、「あの2人が選んだ人間」という意味では信用は出来るのかもしれない。問題はそれが俺という一点につきるけども。
「そもそも、俺の前世を知っているんですか?」
「少なくとも、エルフではないね」
「そうです。それです。異人種に任せていいんですか? エルフの伝統の役職じゃないんですか?」
「今はエルフだ」
「…………」
ぐうの音も出ない。
「やってくれるかい?」
「嫌です」
「ははっ。そう言うと思っていたよ」
長老が若者とも老人ともつかない顔で笑う。
「さて、では次の質問に答えようか」
楽し気に長老が先を促す。
俺は無言で亜空間ローブからアーマーベアの鎧を取り出す。
金魔法で長老の木製の椅子と同じ形に変形させる。
腕を組んで意気揚々と座ろうとして失敗する。足が長老ほど長くないからだ。少しイラつきながら風魔法で浮遊して座る。
それを本当の子どもを見守るような目で見る長老。
腹立つ。
「では、ここは何ですか?」
長老が、口を開いた。
「ここは――――」
「ここが手前らの墓場だ!」
ティッターノ王が巨剣を振るう度に
巨人達の戦いは攻勢だ。
だが、被害が少ないわけではない。
巨人族は兵士一人を育て上げることに膨大なコストがかかる。十数名戦死することも、彼らにとっては痛手なのだ。
「埒があかないな。戦死者はどうなっている?」
「今のところ、死体を捕獲されたものはおりませぬ!」
「よい。戦死者の遺族には補償を。国庫が尽きても構わん」
「はっ」
エルドランに浄化魔法の使い手は少ない。テラ教の教会に数名いるのみである。エクセレイのように、気軽に戦場へ連れて行けるほどの数はいない。フィオがいた世界からすれば、衛生兵のいない戦場など考えられないだろう。だが、巨人族は退路なき戦いを誇りと思う民族性がある。遺族への補償が手厚いのは福祉が行き届いているからではない。彼らは戦場で死ぬことを何事にも代え難い誇りと考えている。金銭的補償はその現れである。
彼らは戦死した兵士を人の形を保たなくなるまで損壊することで、ゾンビとして敵に鹵獲されることを防いでいた。
「うるさい羽音だな。あの鉄竜とやらは」
空気をかき混ぜる音が奇怪すぎる。巨人たちが聞いたことがない羽音である。もちろん、これは羽音とは言えないだろう。
「竜だなんて格好いいものではありませぬ。あれはゴーレムです」
「全くだ。広報め、敵の兵器に無駄に格好つけた名前をつけおって」
「しかし、どう動いているのでしょう。あれは」
「魔法立国のエクセレイがわからんと言うのだ。我々が考えても詮無いことよ。ただ、一つだけわかることがある。あれをこの戦で全て撃ち落とす」
「拝命がままに」
王の傍で、また丸太のような槍が投げられる。数十メートル上空を飛ぶ鉄竜がまた、火を吹きながら墜落する。
「しかし魔王め。様子見が長いわ」
ティッターノ王が地面をストンピングする。
頑強な岩場であるにも関わらず、豪快な音を立てて陥没する。
「魔の王とは臆病者か!来い!巨人の王が相手をしてやろう!」
王の声がハウリングする。
足元の石がひび割れる。
それに対する城からの返事は静寂だった。
その代わり、針のような城のバルコニーに二人の人影が現れた。
ティッターノ王は目を細めながらその人物達を見る。一人は黒いローブに身を包んで顔すら見えないが、シルエットから華奢な男性であることがわかる。頬の肌は紫がかった黒に近い。もう一人は骨だ。まるで王様のような豪奢な毛皮と宝石を散りばめた装飾品のローブを身にまとい、巨大な魔法石がついたロッドを両手で持ち地面へ突き刺している。
「……あれが魔王ですかね」
「違うだろうな。城の奥にもっとヤベェのがいる」
ティッターノ王が怨敵を見つめる。
焦りが生まれる。エルドランに浄化魔法の使い手は少ない。これは民族性によるものが大きいが、南にレギアやエクセレイと死霊対策を完備している国が多く、アンデッドが北上し辛い地形にあることも理由の一つだ。
つまり、不死王との相性は最悪だ。
豪奢な姿をした不死王が、拡声魔法を展開する。
「んっん〜!ヤァヤァ愚民の諸君。元気に死んでいるかい? え、現在進行形で死んでるって。それは結構。死は平等に訪れます。誰もが享受出来る幸せにございます。今日も景気良く死んでいきましょう。他ならぬ私のために。アァ、言いそびれましたね。私はトト・ロワ・ハーテンと申します。城内に控えておわす、魔王様の近衛隊長兼、魔法研究室長兼、魔物研究室長兼、人類総ゾンビ化計画の立案者でございます」
骨の王が、恭しく礼をする。
地上の巨人達がわずかに浮き足立つ。
人類総ゾンビ化計画。
つまりこいつはこう言ったのだ。「
その上、彼は喋った。やつは大きく分類すれば死霊。つまり魔物。知性を持つ魔物は国を転覆するほどの力を持つまで進化しているという認識は、兵卒や冒険者に留まらず、一般常識として浸透している。
「怯むな!目の前の敵に集中せよ!」
ティッターノ王が鉄竜を一機撃墜して叫ぶ。
「これはこれは。エルドランは素晴らしいリーダーをお持ちだ。一兵卒も全てが強者である。私は死体が手に入らなくて悲しいね」
トトはよよよ、と泣き真似をする。
当然、骸骨の空洞からは液体が微塵も漏れ出ていない。
「さてさて、悲しいことに交渉は決裂でございます。アァ、交渉というのは戦のことでございます。残念ながら、我らが魔王様にとって交渉事とは『全て余に寄越せ』という意味らしいのです。つまり戦うしかないのでございます。私らは君たちの死体が欲しい。何だったら死体をくれなくても皆死んでくれればそれでいい。でも諸君たち愚民は驚くべきことに、生などというつまらないものにしがみついている。悲しいことだね。愚かしいことだね。なんと救いようのない知能が低い種族達なのでしょう。価値観のアップデートがお済みでない。死ねばいいのに。君たち巨人はこれまでの歴史通り、我々相手にステレオタイプパワープレイで挑むようだ。いやいや、嫌だね。何故脳筋に付き合わされなければならないのか。私の脳みそは君らの筋肉よりも密度が高く、高尚で高価だというのに。マァ、空洞なのですがね」
乾いた笑いを浮かべて、トトが言葉を切る。
仮に彼の顔に肉がついていたとしても、目は笑っていないだろう。そういった空寒さを感じる笑い声である。
「ですがマァ、世の中というものは広くてですね。私の脳みそについてこれる人材というのはごく稀にいるのですよ。代表は魔王様ですが、もう一人の例外を紹介致しましょう。魔王軍四天王のキリファさんです。はい拍手!」
トトが心底楽しそうに指の骨をカチカチと合わせて音を鳴らす。
指にごちゃごちゃとつけた巨大な指輪も金属音を鳴らしている。
ティッターノ王はあれの一つ一つが魔法具だと気づく。しかも
トトの音頭に合わせて、黒いローブの男が前に出る。
「諸君には実験台になってもらおう」
「ちょいちょいちょいキリファ君。言うことが簡潔すぎるよ。死とはエンターテイメントなのだから。彼らを楽しませないと。一度しか出来ないんだよ? 死ぬの。もったいないよね?」
「死は死だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「ふふ。私は君のそういう所が嫌いだなぁ。早く死ねばいいのに。君はいいゾンビになるよ」
「貴様こそ、魔王の寝首をかくのを失敗して消滅しろ」
「おやおやマァマァ!私が魔王陛下を裏切るだなんてそんな!そんなことあるわけないじゃあ〜りませんか〜!」
トトが戯けて変な踊りを披露する。
「仲間割れか?」
ティッターノ王が険しい顔で骸骨たちのやり取りを見る。
「ふん」
キリファという男がバルコニーの湾曲したアーティスティックな柵を握る。
すると瞬く間に城が変形し、中腹に巨大な空洞がぽっかりと空いた。数本の細い柱が外側に歪曲し、かろうじて城の上部を支えているように見える。ぽっきりと折れそうだが、絶妙な力の分散が働いているのか、城が壊れる様子はない。
その空洞の中心に、それはいた。
巨大な肉塊だ。
ただただ、巨大なだけの肉の塊。
それは球体をしていた。
「俺が感じていた巨大な魔力はあれか。魔王じゃねぇのか」
「いかがしましょう」
「壊せ。のんびり待つ必要はねぇ」
「はっ」
巨人族の魔法使いの部隊が散開し、魔法を展開する。
彼女らは巨人族にしては珍しく華奢なので、見た目に分かりやすい。ちなみにガチガチの狩猟民族であるため、後衛である魔法使いは女性が多い。
形成された魔法が城を襲う。
が、骸骨の闇魔法がほとんどの遠距離魔法を撃ち落とす。かろうじて城へ辿り着きそうだった魔法は壁に阻まれた。文字通り、壁が出現して阻んだのである。
城の真下の地面が隆起し、巨大なブロック塀を数秒で築いたのである。
「何だありゃあ」
「土魔法……ではない。金魔法ですね」
「見りゃわかる。俺が言ってるのは規模だ。あの規模の金魔法、出来るやつなんているのか?」
「かのマギサ・ストレガでも無理かと」
「…………」
巨人の国随一の魔法の使い手である腹心の言葉に、王は言葉をつぐんだ。
が、すぐに切り替える。
「最優先討伐目標だ。あの気色の悪い肉の塊と黒ローブの男を殺せ。おそらく、城を動かしているのもあの男の金魔法だ」
「はっ」
魔法使いが絶えず連撃を放っている。黒ローブが作り上げた壁を瞬く間に削っていく。それに乗じて巨人の歩兵が城へ接近していく。
敵に強力な魔法使いと
が、裏を返せば敵の主戦力を引っ張り出せたということだ。こいつらを倒せば、長引いた戦局に変化がおとずれる。巨人たちは、賭けるならばこのタイミングだとばかりに特攻していく。
「ハーテン」
「ハイハイなんでしょうキリファさん。死ね」
「貴様が消えろ。巨人が知恵足らずという点については同意しよう」
「ハハ!珍しく気が合いましたねぇ!」
トトが手を叩いて喜ぶ。
パキン、とキリファが指を鳴らす。
すると、城の中腹の空洞にゴブリンメイジ達が現れる。どれもレッドキャップだ。
「あ〜、あ〜。無駄遣いだこと。メイジのレッドキャップなんて高級品なんですよ? どれだけたくさんのゴブリンを蠱毒に突っ込んだか。量産するのにかなり設備投資したのに。鹵獲した人間の女達も、子宮がズタズタに潰れるまで使い倒したんですよ? 費用対効果って知ってます? 費用対効果。ま、元手はゼロなんですけどね〜!」
飄々とトトが言ってのける。
巨人の女兵士たちが唾棄するような目つきで彼を睨みつける。
彼はわざと拡声魔法に今のやりとりを乗せた。敵の士気を下げるためである。
もっとも、巨人相手には逆効果であるが。トトという男は頭こそいいが、人への共感性に著しく欠ける男であった。それは動く死体であるアンデッドとなる前、つまり人として生きていた時からそうだ。
現れたレッドキャップ・ゴブリンメイジ達が次々と自決を始めた。腹を斬った後、首を切断する。自力で首を断ち切るなど、生き物としての本能を捨てるほど狂っていなければ出来ない芸当だ。
巨人達が呆気に取られる。
と同時に、トトの言う「無駄遣い」という意味に気づく。どういう事かはわからないが、魔王軍はゴブリンメイジを使い捨てにしたのだ。
「何だってんだ。ん!?」
ゴブリン達から黒いもやが噴き上げた。
呪いだ。それが次々に肉塊へ吸収されていく。急速に魔力が形を変えていく。ゴブリンメイジの呪いを糧として、動き始めたのだ。
「エクセレイのレポートにあったやつです!呪いを使う変種のゴブリンメイジ!」
巨人の魔法使いが叫ぶ。
気味の悪い鼓動が鳴った。
それは城中腹の肉塊から聞こえた。
まるで心臓そのもののような挙動。
音が鳴るたびに大気が震える。分厚い巨人達の皮膚すら震える感覚がする。
「ひひ。数体野に放って実地研を重ねて正解だったね。やはり繰り返し試さないと、今日のような本番で実を結ぶことはないからね」
トトが黒い笑みを浮かべる。
骸骨であるというのに、巨人達にはなぜかその表情が読めてとれた。
「紹介が遅れたな。この物体は四天王のアーキアと言う。お前達を滅ぼすモノだ」
「は?」
キリファの物言いに、巨人達が驚く。
魔王の脇を守る使徒として、四天王と呼ばれる強力な悪鬼がいるという伝承は残っている。キリファという男はまだいい。あの魔法だけでも強者ということがわかる。
だが、もう一人、否、もう一体があまりにも予想に反していた。
あの肉の塊が、四天王?
巨人達の疑問は長くは続かない。
何故ならば、この肉塊によって半日もかからず国が崩壊したからである。
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