第284話 世界樹

『ここをキャンプ地とする!』


 世界樹の巨大な枝の上でふんぞりかえり、宣言した。

 枝といっても、直径が5、6メートルは超えるものばかりである。あまりにも巨大。重力対策どうなってんだこれ。数キロにわたって枝葉が広がっているわけだけど、どれも地面に垂れ下がっていない。まるで雲のように大地を覆っている。そこはマジカルな何かが作用して真横に伸びているのだろう。多分。魔力視の魔眼マギ・ヴァデーレで見たところ、身体強化ストレングスに似た魔力の流れが見える。

 自立するためだけに魔力を浪費するのは、生き物として極めて効率が悪いはずだ。それだったら地面に横たわった方が断然いい。それでもこの大樹は立っている。その非効率的な姿に、妙な畏敬の念が生まれる。

 ぱない。

 異世界の樹、ぱない。


『早く帰ったほうがいいんじゃないかの?』

『異口同音』

『まぁ、そうなんだけどさぁ』


 間違いなく俺たちは強くなっている。

 ただ、師匠は「世界樹へたどり着けば、知りたいことがわかる」と言っていた。あれは一体どういう意味なのだろうか。

 まさか、まだたどり着いていない?

 いやいやそんなわけがない。

 こんな巨大で潤沢な魔素がある樹がそうでなかったら、いよいよ常識を疑う。転生してからというもの、ずっと疑っているけども。


『もう少し調査をしてからでも遅くはないはずだ。魔王がレギアを落とす託宣夢までには数ヶ月時間がある。魔力量も増えた。帰りの死霊の谷や雪山、溶岩窟でさらに補強もできる』

『あの鎧はどうするつもりじゃ?』

『……パーティー総出でかかるしかない。トウツの剣技とファナの浄化魔法が必須だ』

『あいわかった』

 返事こそしたものの、瑠璃は不安げな顔をしている。


 俺がもっと強ければ安心できるのだろう。自身の弱さが歯痒い。でも、やれることは全てやっているはずなのだ。必要以上に落ち込む必要はない。その暇があるなら、目の前のことに集中すべきだ。

 ゴムで押されるような、背中の圧迫感が消えた。

 目端に黒い羽がふわりと舞う。合体していたナハトが離れたのだろう。


『ナハト。今度合体する時は事前に言ってくれ。びっくりしたんだぞ』

『合点承知』


 本当にわかっているのだろうか。とぼけた顔をしているように見えるけど。不死鳥といい、最近は鳥類の表情を読めるようになってきた気がする。ワイバーンだって、トカゲと鳥の間みたいなもんだしなぁ。


『あいつ、生きてるかな』


 世界樹の幹を手でなぞりながら呟く。

 墜落したワイバーンのことだ。この世界で多くの魔物と戦ってきた。そいつらに対して、ある種の愛着や友情を感じているのだ。今回のワイバーンは特にそうだ。


 ブロマンス。

 一番当てはまるのはこの言葉だろう。

 まぁ、あいつはメスらしいから少しニュアンスが違うのかもしれないけど。


「ガアァ!」


 遠くに咆哮の残響が聞こえた。

 エルフ耳がピンと張り詰める。

 一つの魔力が勢いよく世界樹の上へと駆け上がる。


『何だ。生きてるじゃん』

 敵であるはずの魔物の無事に、うっかりと笑みがこぼれてしまう。


『何を笑っておるのじゃ。あやつ、我が友を捜しておるぞ』

 瑠璃が苦言を呈する。


 上空の魔力は滑空している。猛禽類と同じ動きだ。気流に乗り、羽を休めつつ高いところから獲物を捜す動き。

 俺たちは合図もなしに気配を消す。


『いいじゃないか。嬉しいものは嬉しいんだよ』

『……わしが今生きておるのは、我が友がそういう人間だからじゃ。是非も言うまい』

 やれやれといった様子で瑠璃がイルカ尻尾をペチンと鳴らす。


 魔力は少しずつ遠ざかっていく。俺を見つけられなかったのだろう。死霊の谷の方角へ飛んでいった。死霊高位騎士に遭遇しなければいいのだが。


『とと。こっちに集中するか。調査、調査と』


 ゴツゴツした世界樹の幹から手を離す。

 手触りがとても硬質だった。まるで木ではなく鉱物のようだった。しかも繊維質のように物体の継ぎ目がシームレスだ。これはシュミットさんも加工が難しいというわけだ。

 亜空間ローブから紅斬丸を出す。

 よく見ると、魔力が共振している。手元がビリビリと震える。


『故郷に戻ってきて喜んでるのかな?』

『刀が、かの? そんなことあり得るのかの? いや、ちょっと待つがよい。ルビーは一定の意思があると言うておる』

『ルビーが!? 起きたのか!?』

『今は我が友に頬擦りしておる!』

『うおお!ルビー!さっきは助けてくれてありがとうな!』

 俺はその場でくるくると回ってみせる。


 きっとルビーも、現代針金アートのような軌道で飛んでいるに違いない。

 ひとしきり小躍りしたのち、改めて調査を再開する。

 幹を凝視して魔素や魔力の流れを観測する。


『うーん。巨大な魔素の塊ということしかわからん。いや、違うな。複雑すぎて読みきれていないんだ。これはただの魔素の塊と言うには構造が入り組んでるな。紅斬丸の柄に一定の意思があるとルビーは言った。そうか、思念体なんだ。思念体だからこそ、魔素と断じるにはいかないほど入り組んだ動きが観測されるのか。うわ、何だこれ。俺の魔眼で見切れないぞ。ということは、あれか。俺の魔眼はこの世界に来る時に根源に触れた副作用。つまり、この樹木は根源と同等かそれ以上のオブジェクトと考えても、あながち間違えじゃないのかも。……ここにイブ姫がいなくてよかったな』


 いたら絶対面倒なことになっていただろう。仮にそれがマギサ師匠やシャティ先生もだ。俺も大概魔法オタクだが、あの人たちほどではない。


『むーんむんむんむん』


 俺の目で「何もわからない」という事態は初めての経験である。それが妙に新鮮で、清々しくて、思わず嬉しくなってしまう。

 愛情表現でもするかのように、頬とエルフ耳を幹へ擦り付ける。

 水の音がする。当たり前だけど、生きている。この水音は前世の家族と鹿児島へ旅行した時にも聞いたことがある。樹齢数百年の縄文杉。その幹に耳をそば立てた時、微かな音を聞いた気がしたのだ。

 あの時感じたのが蚊の口を通る液体の音だとしたら、これは巨大ストローで吸い上げられる水音だ。それほどに生命力に溢れていた。


『何かわかったかの?』

『全然わからん。でも心地いい』

『そうかの』


 瑠璃が俺の膝に頭を預ける。少し、警戒を解いている。どうやらここらはセーフエリアのようだ。深層にいる魔物達は、世界樹の恩恵に授かろうとしている。だが、世界樹を害するつもりはないようだ。それは本能的に察知しているのか。はたまた、この世界の法則ルールか。

 耳をそばだてる。樹木の鼓動に、瑠璃の息遣いが混じる。

 先ほど生きるか死ぬかの追いかけっこをしていたとは思えないほど落ち着いた時間が流れる。ルビーのいる方向から流れる赤い魔素マナが温かい。


『何もわからん!』

 頬をつけたまま、くわっと目口を開いて叫んだ。


 いやもうほんと、何の手がかりも掴めない。何だこれ。謎すぎる。そもそもこの世界の最初期にあったらしい伝説の木を、ぽっと出の異世界人が簡単に解けるわけがない。そんな簡単に出来るなら、この世界の人々も苦労していない。


『少し休むかの? 今日はハードな1日じゃったわい』

『そうする。ん?』

『どうした? 我が友』

『離れない』

『何がじゃ?』

『ほっぺが』

『何に?』

『世界樹から』

『は?』


 瑠璃が惚けた顔を出した瞬間、頬がついている幹が発光した。同時に、強力な引力が俺の顔にかかる。


『うおあぁ!? 飲み込まれてる!?』

『何じゃと!?』

 慌てて瑠璃が俺の手に噛み付く。


 瑠璃とナハトが引っ張る。

 が、びくともしない。

 ゆっくりと俺の顔が幹に埋まっていき、半分が飲み込まれてしまう。


『うわあぁ!瑠璃!ナハト!どうしよう!?』

『ぬぅ!』


 瑠璃が全身から触手を生み出し、体に巻きつける。それをナハトが掴み、全力で明後日の方向へ飛ぶ。体が微塵も動かない。首が痛い。でもそれどころではない。踏ん張っていた肘が飲み込まれ、腰、足も樹の中に埋まっていく。


『うわぁ!何これ!何これ!視界の半分が真っ黒なんだけど!怖い!』

 自由な半身をばたつかせて叫ぶ。


 まずい。これはまずい。もしかしたら世界樹というのはこの世の生き物から生命エネルギーを搾り取る装置なのかもしれない。それならば、近くに魔物がいないことに辻褄が合う。膨大な保有魔力にも説明がつく。


『我が友ぉ!食いしばれ!』


 吸い込まれているのは俺だけだ。瑠璃の触手が世界樹に触れた先から消滅していく。

 これはやばい。


『瑠璃!離せ!』

『嫌じゃ!』

『お前も死ぬかもしれないんだぞ!』

『ならぬ!大事な友達なんじゃ!フィオをここで失ってたまるものか!』


 あぁ、くそ!

 こうなると瑠璃は話を聞かないんだ!

 どうすれば離してくれるか。アイデアが出てこない。下半身が樹木に埋まってしまった。もう時間がない。

 ふと、ナハトと目が合う。


『ナハト』

『合点』


 ナハトが風魔法で瑠璃の触手を切り刻む。そして横腹にタックルをかまして俺から引き剥がす。


『なっ!』

 呆けた顔をして瑠璃が樹下へ落ちていく。


『ナイスだ、ナハト』

 サムズアップしながら木にめり込んでいく。


 カラスの鳴き声が聞こえた。


『ルビー!決してフィオから離れてくれるな!』


 あぁ、ルビーも入ることが出来るのか。

 それなら安心だ。

 少なくとも独りで死ぬことはなさそうだ。


 目の前が、真っ暗になった。

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